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まるで子供部屋みたいなオフィスに、その男は座っていた。壁に並んだスター・ウォーズのキャラクター人形。パソコンの上にはアヒルのおもちゃ。風船やらゴムボールやら、ガラクタが床いっぱいに散らばっている。ドアには、力士のぬいぐるみを来て部下とスモウに興じる彼の写真が。
「あの人形かい? もうすぐスター・ウォーズの新しいシリーズが始まるからね。僕はSFが大好きなんだ。飼いイヌの名前も、スター・トレックから取ってマイナと名付けたんだ」
お月様みたいなまん丸の顔に、クマのような目がくりくり動く。かじりかけのサンドイッチを片手に、男はあっはっはと楽しそうな声で笑った。
○一年で株価が一挙9倍
この童顔の青年、ジェフ・ベゾス(35)を侮ってはいけない。彼のインターネット書籍通販会社「アマゾン・コム」は、世界百六十カ国・四百五十万人の顧客を相手に三百万点の書籍を売る巨大企業なのだ。フォーブス誌によれば、彼の資産は二十一億四千万ドル。全米第九位の大金持ちなのである。
昨年一年でその株価は九倍に急上昇、インターネット株ブームの火付け役になった。おかげで、今ではアマゾンの資産額は石油会社テキサコと肩を並べる。
驚くべきことに、アマゾンの「開店」は一九九五年七月。たった三年で、文字通りのアメリカンドリームを実現してしまったのである。
が、そのことを問うても、ベゾスは柔和な笑顔を崩さない。
「いやあ、自分でもびっくりしてるんですよ。十年かけて一億ドルくらいの規模になればいいなあと思っていたのが、もうその十倍以上ですから」
今でもぼくは心の底ではコンピューターおたく。実業家じゃありません。そう言うベゾスは、テキサス州の石油会社の重役の家に育った。十歳の時にはもうコンピューターに夢中。プリンストン大学でコンピューター工学を学ぶと、名門銀行バンカーズ・トラスト、ヘッジファンド「D・E・ショウ」で複雑な金融商品を計算するシステム設計に関わった。
が、当時からベゾスはインターネットの可能性に心を奪われていた。インターネットなら何か大きなことができそうだ。それに加わりたい。そう決めてNYを離れ、シアトルに移ったのは九四年だ。
が、インターネットでビジネスができるとは誰も思っていなかった時代である。自分の蓄えに合わせて、家族や友人二十人を回って集めた資金は百万ドル弱。注文を受ける心臓部サーバーは、ピザの宅配箱みたいな卓上型だった。「本社」の自宅ガレージは、機材を増やしすぎてブレーカーがいつも飛んでいたという逸話もある。
それにしても、書籍販売や小売業にはまったくの素人だった彼が、なぜ書籍を商品に選んだのか。
「この世で一番品数が多い商品を調べてみたら、書籍だったんです。次がCD。これならインターネットでしかできないスーパー・ストアができると思った」
彼の読みは正しかった。書籍の店頭販売には、店舗の賃料や店員の人件費、書籍の倉庫保管料など莫大なコストがかかる。インターネットで注文を受けてから書籍を仕入れるアマゾンは、このコストがいらない。アマゾンの成功を見て参入してきた老舗書店チェーン「バーンズ&ノーブル」も、今のところシェアは八対二で大差をつけられている。
○夢信じ、あきらめない
おもしろいことに、今でもベゾスは自分の本の半分を書店で買っている。店頭に行って本に触れ、匂いを嗅ぐのが好きなのだそうだ。現在の書店に不満があってアマゾンを始めたわけじゃない、と彼は強調した。
書籍の卸売会社に近いこと。コンピューターに強い人材が豊富なこと。NYを遠く離れたシアトルを本拠地に選んだのも、そんな理由がある。
「起業家は楽天家じゃなくっちゃ務まりませんよ。あっはっは」
深い専門知識。緻密な計算。未開拓の分野に一人乗り出す勇気。ベゾスは、天真爛漫な笑顔の裏にそんな成功の秘密を隠している。
紆余曲折。七転び八起き。順風満帆のベゾスに比べると、高級コーヒーチェーン「スターバックス・コーヒー」会長ハワード・シュルツ(45)の成功に至るまでの道のりは、悪戦苦闘の連続だった。
「コーヒーにどんなに素晴らしい可能性があるか、広めたかった。そんな夢を信じて、絶対に絶対に、絶対にあきらめなかった」
多少きれい事にすぎるような彼の言葉も、その経歴を振り返るとなるほどと思わざるをえない。
七〇年代、「スターバックス」は、シアトルに店を構えるコーヒー豆の卸売店だった。セールスマンとして調理機器を納入していたシュルツは、そこのコーヒーの豊かな味に心を奪われる。
当時、彼はセールスマンとして高給を稼ぎ、NYの高級住宅街に家を構えていた。が、スターバックスの経営者を説き伏せ職を得ると、それを全部捨ててシアトルに移住してしまう。八二年のことだ。
○最初の一年間収入ゼロ
シュルツが夢見たのはイタリアのエスプレッソ・バーだった。うまいコーヒーを囲んで人々が集まり、くつろぎながらお喋りを楽しむ。そんな「オフィスと家の間にある第三の場所」を作りたい、と思った。
ところが、スターバックスの上司はそんなシュルツのプランに消極的だった。三年後、業を煮やして退社。自分の会社を始めたはいいが、彼のアイデアに耳を貸す者はほとんどいなかった。
「負け犬の気持ちが知りたかったら、起業家として資金集めをすればいい」
二百四十二人に当たって二百十七人に断られた、と彼は振り返っている。「頭がおかしい」「バカじゃないか」。そんな悪罵を浴びた。会社は収益が出ず、一年間収入はゼロ。生まれたばかりの子供を抱えて途方に暮れた。
意外なことだが、米国に「喫茶店」はほとんどない。コーヒーといえば、インスタントか、ファストフード店で出るまずい飲み物。高い金を払ってコーヒーを飲みたがる者なんていない。シュルツは、そんな「常識」に一人挑戦した。
軌道に乗ってからのスターバックスについてはここで述べるまでもないだろう。エスプレッソ・バーを成功させたシュルツは、八七年、三十四歳で古巣のスターバックス本体を買収してしまう。九二年には株式を上場。今では世界に約千四百店舗、社員三万五千人を抱える大企業である。
「何が僕をここまで駆り立てたかって? 失敗するのが怖かったんですよ。起業家にとって成功と失敗はいつも隣り合わせだ。そして自分がどちらにいるのか分からない。いつも不安と自信の間を行ったり来たりした」
そんな謙虚な言葉を、シュルツは静かな口調で淡々と話す。あまり笑わない。目だけが、鷹のように鋭い光を放っている。
苦労人である。育ったのは、NY市の低所得者用住宅。父はタクシーやトラックの運転手だった。早くここから抜け出したい、とばかり考えていたという。フットボールで奨学金を得て北ミシガン大学を卒業したあとは、ゼロックス社のセールスマンになった。
そのころから、いつか事業を興したいという「炎」が心の中に燃えていた、とシュルツは言う。組織の一員のままではハッピーじゃないと思った。そんな時に巡り合ったのがスターバックスだった。
「リスクが怖いのは、日本人もアメリカ人も同じです。二十年たっても『あの時ああすればよかった』と言い続けている人はたくさんいる。僕はそうはなりたくなかった。何もしないよりは挑戦して失敗したほうがマシだ」
逆境にもめげず、高いリスクに挑戦した勇気の源は何なのだろう。
「自分の夢を信じることです。強く信じることです」
最後まで、シュルツは「ドリーム」という言葉を繰り返した。それこそがベンチャースピリットなのだ、と強調しながら。
○既存の音楽産業脅かす
次のジェフ・ベゾスやハワード・シュルツを狙う若い起業家はたくさんいる。音楽をインターネットでダウンロードできるサイト「MP3コム」会長のマイケル・ロバートソン(31)もその一人だ。
サンディエゴ市の本社を訪ねると、一カ月前に彼と電話で話したときには十人だった社員が二十五人に増えていた。オフィスも引っ越したばかりでまだ工事中。ハーバードを出た弁護士を副社長に迎えるかどうか。初めて作る部署にどんな名前をつけるか。真剣な会議が繰り広げられていた。
「二週間前に千百万ドルの投資を受け入れたんです。それで人を増やした」
MP3コムは今や既存の音楽産業を脅かす存在だ。世界中から無料で音楽をダウンロードできるからだ(掲載するのは著作権をクリアした曲だけ)。「インターネット上のラジオ局」と呼んでもいい。
成長期の起業家らしく、ロバートソンの毎日は多忙を極めている。朝五時には起きて仕事を始める。夕方帰宅して妻や二人の子供と夕食を取ると、またオフィスへ。帰るのは午前一時半ごろだ。家にいても車を運転していても携帯電話は鳴りっぱなしだ。
オフィスの壁には、ザ・フーやザ・ローリング・ストーンズのパネルが飾ってある。
「あ、あれ? 僕が音楽ファンのように見せかけるために、同僚が置いていったんですよ」
そう言って笑う彼も、ベゾスと同じようにコンピューターの専門家。音楽マニアでもなんでもない、という。カリフォルニア州立大学サンディエゴ校で専攻したのは認知科学。そこで初めて触れたコンピューターにのめり込んだ。
○一日25万件のアクセス
一貫して一匹狼だ。大企業で働いたことがない。卒業するとソフトウエア関係のコンサルティング会社を始めた。MP3コムは、彼にとって三つ目に起業した会社だ。
「MP3」とは、音情報をインターネットで送信するための圧縮技術の名前だ。短時間で、CDなみの音質を損なわずに音楽を送受信できる。驚いたことに、ロバートソンがMP3を初めて知ったのはたった十五カ月前だという。
「インターネットは世界に開かれた国際標準です。音楽も国境を超えた世界共通語ですよね? 何か大きなことができそうだという確信があった」
彼の動きは素早かった。九八年一月、自分を含め社員三人でMP3コムを立ち上げる。
とはいえ、手持ちの資金はたった一万ドル。オフィスは自宅。機材はパソコンなみの小さなコンピューターだった。仕事は、MP3コムに音楽を乗せませんか、というメールをミュージシャンに片っ端から送ることだった。
その間コンサルティングの収入で食いつないだが、一年間は収入ゼロ。インスタントのチーズマカロニばかり食べていた、という。
それから、わずか一年。MP3コムは爆発的に顧客を増やした。サイトへのアクセスは一日に二十五万件。ダウンロードは十六万件あるという。収入は広告で賄っているので、客は無料で音楽をダウンロードできる。
ロックやラップからクラシックまで、五千のアーティストが二万曲を乗せている。ディオンヌ・ワーウィックなどMP3と契約を交わす大物も現れ始めた。
コンサートのチケット販売。アーティスト関連商品の通販。ファンクラブのウェブ上での運営。ビジネスプランは尽きない。
○いまも生きる開拓者魂
一カ月ほど前に、九歳年上のベテラン経営者をヘッドハントしたばかりだ。彼の下で「社長」として働いている。
「僕は戦略を立てるのが仕事ですから。経営の現場作業は経験のある人を雇って任せればいい」
そう話すロバートソンは、物腰の柔らかな痩身の青年である。小さな会社はリーダーの顔が見えることが大切と、今も客やマスコミからの電話やメール一日百本以上を自分で応対している。
彼もやはり苦労人である。ロサンゼルス近郊の貧しい家庭で育った。家族は会計士の母親と、姉妹が三人。食料品店や荷物の配達など様々なバイトをしながら大学を卒業した。立ち上げた会社の経営に失敗したこともある。
もともと貧乏だったから、失敗するのは怖くない。とはいえ、また貧乏に戻るのもいやだ。だから必死で働く。貧しい出自はロバートソンの起業家としての個性を形作っている。
例えば、彼は借金をしない主義である。外部からの資金を受け入れなかったのは、ベンチャービジネスではハングリーであることが必須の条件だからだという。
「カネがないから必死でチャンスを探す。客の言うことに真剣に耳を傾ける。資金が潤沢すぎると、甘えてダメになっちゃいますよ」
他人と違った何かを、自分なりの方法でやること。ベンチャービジネスの精神をロバートソンに問うと、そんな答えが返ってきた。
「ベンチャー」とは、本来「危険を伴う冒険」の意味である。組織に頼らず、人跡未踏の荒野を一人進む。米国のフロンティア・スピリットは今もベンチャービジネスの世界に生きている。そんな気がした。(文中敬称略)
(AERA 1999年03月08日)
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