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意識することは少ないが、日本文化は性に大らかだ。性を敵視する発想は、外来文 化としてやってきた。性を罪悪視する思想は日本の土着文化にはなかったのではないか。 |
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「こうした施設は日本では料理屋と同様、生活に必 要なものとみなされている」「白昼、娼家から出てくるのは、コーヒー店から出てく るのと同様でほとんど問題にならない」と指摘している(『江戸参府紀行』平凡社東 洋文庫)。 日本人のセックスに対するあけっぴろげな態度は、古今多くの外国人を驚かせてきた。 「キリスト教では性は悪と結び付 いているが、古事記などに代表される日本の神話には、性が罪や罰に通じるという意 識はない」 武蔵丘短期大学の鎌田東二助教授(宗教学)はそう話す。鎌田助教授は、 日本神話の中の重要な場面には必ず「ホト」(女陰)が登場していることを指摘する。 そもそも、日本というクニは男性神イザナギノミコトと女性神イザナミノミコトの性 交(みとのまぐわい)の結果生まれる。 有名なのは、アマテラスオオミカミが天の岩 戸に引きこもり、この世が暗黒に覆われる場面だ。アマテラスの気を引こうと、神様 たちは岩戸の前で宴会を催す。そこで踊りを披露したアマノウズメノミコトが乳房を 開き陰部を露出、神々がどっと笑う。その声を聞いて、アマテラスが顔を出すのだ。 神話上初代の天皇とされる神武天皇の皇后となるホトタタライススギノヒメの名前は、 そのものずばりの「ホト」。ある女性を見初めた男性神が、丹塗矢に変身して女陰を 突いた結果生まれた娘だからだ。「女陰」を名前に持つ王女は、世界でも彼女だけだ ろう。 明治初期に来日した英国人日本学者チェンバレンが古事記を英訳して出版しよ うとしたところ、読んだ人がポルノ小説と勘違いした、という逸話まで残っている。 「日本神話におけるホトは、神霊が現れる通路のシンボル。自然崇拝の一つとして、 日本人は性を崇拝していた」鎌田助教授はそうも指摘する。 セックスを罪悪視する禁欲主義や、 処女や貞節を尊ぶ純潔主義は、儒教や仏教、キリスト教など外国の文化として日本に 入ってきた。 16世紀の日本社会では、女性が結婚まで処女でいる必要はなかった。 1563年に来日、三十四年にわたって九州、近畿、北陸などでキリスト教の布教に 従事したイエズス会宣教師ルイス・フロイスは、1585年に著した『ヨーロッパ文 化と日本文化』(岩波文庫)に次のように記している。 「日本の女性は処女の純潔を 少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」 昭和初期 に兵庫、大阪、京都などの農村を十年間歩いて性規範を調査し『夜這いの民俗学』『 村落共同体と性的規範』などの著作に記録した民俗学者の赤松啓介氏(85)は「夜 這い」が私事ではなくムラの公事として広く行われていた、と指摘する。 男女が十二、 三歳になるとムラの「先輩」の指導で、「筆下ろし」や「水揚げ」(初セックス)を する。その後は若者グループ「若衆」内部で相手を代えつつ楽しむこともあれば「総 当たり」もあった。結婚も形式的で、夫婦が別々の男女と夜這いをすることも普通。 女性は十代で母親になり、十人ぐらい子供を産むのが普通だった。 「セックスに対す る考えが今とまったく違う。子供を産むことは農業の労働力が増えることを意味した。 労働人口を維持しないとムラが成立しない。それに、電気もないムラでは、娯楽とい えばセックスくらいしかなかった」 儒教や仏教の禁欲主義の感化を受けた人もムラに はいたが、少数派だった、と赤松氏はいう。 同じころ、大阪市内の商業区域で同じ調 査をした赤松氏は、そこでも女中と丁稚、番頭、主人などの間で農村と同じ「夜這い」 が行われていることを発見する。 上方落語の「口入屋」は、新しく入った美人の女中 の寝室に、番頭や主人が一斉に夜這いをかけて起こる騒動を描いたもの。赤松氏が調 査したころの個人商店は、経営者も従業員も店で寝起きする職住一致の世界だったの だ。 「夜這い」が衰退するのは、(1)農民がムラを出て工場労働者になり、人口が 激減した(2)従業員が商店に住み込まなくなった、戦後のことにすぎない。 ムラの 祭りや公衆浴場での混浴の禁止など、性の罪悪視を政策として推進したのは明治政府 である。背景の一つは、欧米諸国が当時の日本の風俗を「野蛮」と決めつけたことだ。 例えば『ペルリ提督日本遠征記』(法政大学出版局)は、混浴などを例に、「日本の 下層民は、疑いもなく淫蕩な人民」と断じている。明治政府にとっては性の罪悪視が 近代国家への道の一つになった。 「『末は博士か大臣か』が流行した明治二十年代か ら、性を自然な成長ではなく勉学を阻害するものとする見方が広がった」風俗史家の 下川耿史氏はそう指摘する。 当時は「オナニーをすると知能や身体の発育が止まる」 という説を東大医学部の教授がまじめに発表するような時代。それに反抗して、陸軍 軍医部長だった森鴎外が「オナニー無害説」の論陣を張った、という逸話が残ってい る。 日本人にとってはタイミングの悪いこと に、十九世紀中頃の欧米社会には、性を極端に罪悪視する運動が吹き荒れていた。そ の当時は避妊知識さえポルノと見なされた。 米国の医師ノールトンは1832年に避 妊法を説明したパンフレットを出したところ、起訴されて三カ月の禁固刑にされた。 英国でも1857年に「ロード・キャンベル法」が成立し「腐敗堕落に導く傾向があ る」と判断すれば、出版物を破棄できる権限を判事に与えた。米国が「性解放の先進 国」と呼ばれるのは、1960年代のカウンター・カルチャー以後の話。性道徳では 本来は保守的な国で、1920年の段階で姦通罪が二十州に残っていた。避妊知識を 全米五十州で公に普及できるようになったのは、65年のことにすぎない(『売春の 社会史』筑摩書房)。 もともと、キリスト教文化の根底には「性の罪悪視」がある。 高尾利数・法政大学教授(宗教論)は次のように説明する。 「カトリックの公式教義 は性欲を中心とする『欲情』を罪とし、性行為から生まれる人間をすべて罪を負って いる、とした」 イエス本人は無権利な女性の側に立ち、売春婦にも寛容だったが、キ リスト教を体系化したパウロは「男は女に触れない方がよい」(新約聖書・コリント の信徒への手紙1七章一節)「女の頭は男」(同十一章三節)と書き残し、禁欲主義 と女性蔑視の傾向をキリスト教に残した。 (AERA 95.2.27) |
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