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女が生まれて初めて出会う男 父親に虐待された経験のある女性によく出会う。彼女たちは、みんな性の荒野に迷っていた。性の冒険旅行をさまよったすえ、愛する男に出会った慶子。彼女の話から考えたこと。 |
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この前、女と一緒に夜の街をぶらついた時の話だ。「アダルトグッズ・ブティック」に連れていってあげる、と女は言う。雑居ビル地下に案内され驚倒した。そこにはバナナ型やたまご型のバイブレーターとか、鞭に拘束具等々のSMグッズが所狭しと並んでいたのである。要するに「女性でも入れるファッショナブルな店」を売り物にした大人のオモチャ屋なのだった。よく考えれば、その女の仕事は女性用エロ本の編集だ。その方面にはめっぽう詳しいのだ。 女が来た。交差点の向こう側に立っている、髪の長いのが彼女だ。しばらく会わないうちに、髪を茶色に染めるのを止めたらしい。ダッフルコートを着て、地味なスカートに地味なブーツを履いている。 名前?名前なんかどうでもいい。慶子とでもしておこう。 慶子とは取材で知り合った。その時僕は、東京のセックス産業のルポを書いていて、女性用のエロ本という物の存在を知って驚愕したのだ。編集部を訪ねると、読者から志願して編集者になったという慶子は、毅然として僕にこう言ったのだ。 「セックスは男のためだけにあるんじゃない。二人でするもの。女の子がエッチでもいい。みんな、こんな雑誌を待っていたと思う」 その後、慶子とは何回か会った。 五人の男と同時並行で肉体関係を持っていたこと。手を縛られたままセックスをするのが好きなマゾヒストであること。レズビアン・バーで知り合った女と寝たことがあること。テレクラで知り合った男二人と3Pセックスをしたこと。アナルセックスをしたこと。 慶子は、会うたびにそんな話を楽しそうに僕に話して聞かせたものだ。 その彼女が久しぶりに電話をかけてきた。私、結婚するんです。惚れた男ができたんですよ。そう言うのだ。 ● そして僕らは、イタリアン・レストランのテーブルで向かい合っていた。慶子の顔を眺めながら、僕はぼんやり考えた。 もう三十歳のはずだが、童顔のせいでずいぶん若く見える。話し方も物腰も品が良い。最初に会ったとき、躾の厳しい家で育ったことはすぐ分かった。 「昔の彼氏たちですか?そんなもの、全部きれいさっぱり別れましたよ」 結婚するったってお前、あの五人の彼氏連中とはどうなったんだ。月曜日はカメラマンで、火曜日はモデルで、とか自慢してたじゃないか。 慶子は微笑みながら言うのだ。あの五人なんて、もうほとんど記憶に残っていないですよ。惚れた男と一緒になります。 一体、どうしちゃったんだ。 「信じられないかもしれませんけどね」 慶子は、コーヒーをスプーンでかき回している。 「私、二十一歳で結婚するまでずっと処女だっんですよ」 OLをしていたころ、同僚だったエンジニアと結婚したんです。初めての男と結婚したわけですよね。堅かったですねえ。そう言ってけらけら笑った。 ウソだろ?ううん、ウソじゃない。 「結婚したのは、早く家を出たかったからなんですよ」 慶子は、そこでふうと溜息をついた。 彼女の父は銀行員だった。どこから見ても地味で真面目な勤め人。母はパート主婦。一家の住まいは、埼玉県にあった。 父が慶子に暴力をふるい始めたのは、彼女が中学生のころだった。 夏休みだった。朝、剣道部の練習に行きたくない、と彼女は家でむずかっていた。突然、何の前触れもなく父が激昂した。いきなり力尽くで制服を脱がせ始めた。胸がふくらみ始めた年頃だ。死ぬほど恥ずかしい。泣いて抵抗しても、父親は彼女が上半身丸裸になるまで止めなかった。いま考えても、なぜあんなことをしたのか、さっぱり分からない。 次は、高校のころの話だ。ボーイフレンドがいることが学校にばれた。学校は男女交際厳禁のお堅い女子校だ。母親ともども校長に呼び出される。お父さんには内緒にして、と頼んだのに、母は裏切った。 父は拳で娘の顔を殴り続けた。殴られているのは自分じゃない、と念仏のように心で唱えた。そうしないと、発狂しそうだった。あの時、弟が止めに入らなければ、あのままどうなっていたのか、分からない。 母が慶子をかばったことは一度もない。 「あんたが部活に行かないから悪いんでしょ」。 制服を脱がされた時も、その一言で片づけられた。その時から、理不尽に殴られると「私が悪いんだから」と引き受けてしまう習性が身についてしまった、という。 慶子は、コーヒーカップを抱くように両手で支えている。 「自分の子供をかばう母親って、羨ましかったな。家族愛とかちっとも感じられない家で…。今でも、家族愛って何なのかよく分からないですよ」 父は彼女を殴り続け、彼女は黙って耐えた。家の中に、味方はいなかった。家には良い思い出がない。帰る場所もないから、仕方なく帰っていた、というだけだ。彼女はそう言う。 それでも、慶子の家にはすさんだ家という雰囲気はなかった。母が父親に味方し続け、慶子が親に逆らわなかったためかもしれない。外から見れば、ごく普通の慎ましい家庭に見えたことだろう。 短大を出て就職した会社で、最初の夫となる男性に出会ったのは、そんな時だ。その男性は優しく、誠実な人だった。尊敬していた。そして、自分を心身ともに受けとめてくれた、初めての男性だった。 が、結婚は二年しか続かなかった。自分が夫に求めていたのは父親の代わりだと気づいたのだ。父親代わりだから、セックスもできなくなった。 「私なんかじゃ、あなたに申し訳ない」 最後はそう言って泣いた。そして、離婚を申し出た。 慶子の性の放浪が始まるのは、その直後だ。ファッション雑誌と思ってコンビニで買い求めた雑誌が、女性向けのエロ本だった。 「3P体験」とか「同性愛体験」とか、記事の七割が読者の投稿でできている。グラビアでAV男優相手に「本番」を繰り広げるヌード女性まで読者だった。 その時、彼女の中で、何かのスイッチがかちんと入った。 最後はとうとうそのエロ本の編集部で働くまでになってしまう。僕が慶子と知り合ったのも、このころだ。 そして二年。彼女は「セックス冒険旅行」を続けた。レズも3Pもアナルもその時の話だ。それまでの自分との反対側の極に、彼女は突き抜けて行ったのだ。 「そうね。私、試してみたかったのかもしれない」 慶子はまた、ふうと溜息をついた。 「私、ドアを次々に開けていったんだと思うんですよ」 でも、中には何もない。また次のドアを開ける。だが、またそこは空っぽ。開けても開けても、結局何も残らなかった。 「私ね、ずっと死にたい、と思ってたの」 慶子は、空になったコーヒーカップをじっと見つめている。 「今の彼氏と出会う前ね。ずどーんと落ち込んで…」 五人の中で、本気で惚れた男は妻子持ちだった。彼氏が望むんだから、とアナルセックスを許したのもこの男だ。それも彼女なりの愛情表現だったのだ。 が、そこには安らぎはなかった。最後の方は毎晩泣いていた、と慶子は言った。 でも、今の彼氏には、SMの趣味はなんですよ。縛ってよ、って頼んではみるんだけど。でも、それはそれでいいと思っているから。 そう言って彼女は静かに微笑んだ。 いつのまにか、レストランの客は静かに引き、店の中には僕と慶子だけになっていた。 ああ、いい笑顔だ、と僕は思った。こんなに安らいだ慶子の顔を見るのは初めてだ。 ● 慶子と別れた帰り道のことだ。電車の中で、僕はつらつらと考えた。 最近、父親に虐待された経験のある女が僕の周囲に次々に立ち現れるのは、なぜだろう。 一升瓶を一晩で空にする父に、毎晩包丁で追い回され、しかたなく車の中で眠った、と話す女がいた。酔って帰っては、理由もなく私に平手打ちを食らわせる父だった、と語る女がいた。詳しく聞けば、その父たちは地元の医師会長を勤める名士だったり、一流企業の部長だったりする。 その女たちは一様に性に迷っていた。 申し分のない夫に嘘を重ね、他の男と寝る。愛してもいない男と寝る。男が数カ月に一度必ず変わる。心に巣くった得体の知れない何かが、彼女たちを衝き動かしている。 何かが、おかしい。 僕は電車の中を見回した。 夜だ。向かいの座席で、幼女が父親にもたれかかって眠っている。 その平穏な寝顔を眺めているうちに、僕はふと思い当たった。女が生まれて初めて出会う男は父親なのだ。女が男に抱く愛の原型を作るのは父親なのだ、と。 車窓の外に、屏風のような高層団地が並んでいた。 日本は根腐りしている。僕はそう思った。それは、銀行でも証券会社でもなく、霞ヶ関でも永田町もない。腐っているのは、あの箱のような団地の一室なのだ。 あの明かりに包まれた部屋のどこかで、今日も子供が親に打たれているのだ。この社会に養分を吸い上げ花を咲かせるはずの根が、人知れずとろとろと腐っているのだ。 こちらの腐敗の方が、ずっとずっと恐ろしい。僕にはそう思えるのだ。 (あうろーら 97年11月号) |
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