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ソニーはなぜソフトウェア開発に強いのか?答えは「趣味」だった!
ウォークマン。CD。ソニーの製品はライフスタイルそのものを変えてしまう。「ハードの鉄人」たちは、実は趣味の鬼でもあった。マーケットにないニーズを作ってしまう秘訣は「自分が欲しいと思うものを作ること」だった。


映画、音楽だけがソニーのソフトかと思ったら、何とお笑い芸人まで発掘していた。

ここは東京、夜の公民館。会議室に二十人ほどの若い衆が集まっている。前に立つ漫才コンビ「フロントバック」は、愛媛県から上京して修行中の十八歳。ネタは「死語講座」。「日本死語協会」会長が、死語を使ったナンパを伝授する、という話。

「彼女、デルモ?パニコン?もー、ランバダしまくり状態!あー言えばじょう言う!ではバイナラー」

講師役の松みのるさん44は、かつて「松竹梅」という漫才トリオで鳴らしたプロの芸人だ。
「うん、よう調べてあるから中身が濃いねえ。あと、科白をちゃんと覚えとくように」

こうして一組ずつネタを演じさせ、コメントを加えていく。他の出演者もお互いに批評する。切磋琢磨。雰囲気は塾みたいだ。何回か通ううちに腕が上がったところで、小さめのライブに出してまた腕を磨く。これが、ソニー系のタレントプロダクション「オーガスト・クラブ」の新人養成塾だ。

それにしても、一体なぜソニーがお笑い芸人を?
「タレントが成長すれば、歌も歌うし、ライブをDVDビデオにすることもできる。デジタル衛星放送で多チャンネル化すれば、お笑いチャンネルとか絶対できる」 「オーガスト・クラブ」プロデューサーの肩書きを持つ松さんは、マルチメディア時代の「芸人」需要をそう語るのだ。

実はこの会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の子会社だ。昨年十二月にSMEが株を買収、ソニーグループの一員になった。「オーガスト・クラブ」だけではない。よく見ると、ソニーグループの主要なソフト会社はどれもSMEとつながりがある。各社のソフト担当責任者を並べると、SMEのOB会のようになる。

ゲーム機「プレイステーション」を千万台売ったソニー・コンピュータ・エンタテインメント(SCE)もそうだ。ソニー本社とSMEが半分ずつ株式を持っている。

「自分が満足するもの、遊びたいものを作る。音楽もゲームも映画もアニメも、ソフト作りの基本は同じです」
ゲームソフト開発の責任者、佐藤明専務48はそう話す。SMEに二十年在籍。好きが高じて、任天堂のファミコン用ゲームソフトの開発を始め、それがSMEでの仕事に。その経験を買われて、ソニーがゲームに進出する際、SCEの役員に抜擢された。

ゲームソフトの才能発掘の手法は、音楽のオーディションそのままだ。企画書を募集。優れたアイディアがあれば事務所を借り、ワークステーションなど必要な機材を提供する。いま、そんなグループが全国に二十ある。このゲーム企画のオーディション「ゲームやろうぜ」は有名になり、今も一日一本はゲーム企画の持ち込みがある、という。
「クリエイターがやりたいことをやれる環境を作ってあげる。これも音楽と同じ作業なんです」

インターネットのプロバイダー「ソネット」を運営する「ソニー・コンピューター・ネットワーク」(SCN)でコンテンツ制作責任者を勤める保科有孝取締役45は、SME時代はハウンドドッグのマネージメントや演歌歌手のディレクターをやっていた。
「ステレオだって音楽なければタダの箱。コンテンツが好きで初めてハードを買う気になるのは、ステレオもインターネットも変わらない。コンテンツ制作というと、どうしてもSMEにお鉢が回ってきますね」

SCNは九六年一月に設立された。業務は二種類ある。十二万人の会員をインターネットに接続する「プロバイダ」と、天気予報、ニュース、パソコン・ゲーム関係のニュースレターページなど「コンテンツ」を用意することだ。
「インフラ業がメインじゃなく、コンテンツを発信するツールと考えています」(堀篭俊生社長)。つまり、単なる回線運営会社ではなく「中身」を提供するのが主な仕事だ、ということだ。

例えば「トーキョー・トラッシュ」。ミュージシャン、ビデオアーティストやデザイナーの集団が作るサイバーパンク風のホームページだ。そんな非正社員のクリエイター集団が三十から四十いる。
オーディションをする。プログラマーやデザイナーなど、いいクリエイターがいれば、契約社員として資金を提供、抱える手法。これもSMEとよく似ている。
「作詞・作曲と同じで、クリエイターはできたものの質を求められる。時間決めで働くサラリーマン文化じゃないですから」

プロバイダとしての下地が固まったら、コンテンツにもっと力を入れたい、という。音楽や映画を回線を通じてダウンロードするビジネスも将来の課題だそうだ。

ハード機器を売るなら、優れたソフトも揃える。音楽、映画、ゲーム、インターネット。ソニーの手法は一貫している。この文化のルーツはどこにあるのか。
話を聞いたのは、ソニーのパーソナルAVカンパニー・プレジデントの高篠静雄さん53だ。というより「ウォークマンの父」と紹介した方が分かりやすいだろう。七九年夏にウォークマンが誕生したときの設計担当係長だった。

「前の担当者より大きなモノを作ったら、努力と執念が足りないようで恥ずかしい」
そういう高篠さんは、工業高校を卒業してソニーに入社後、ずっと技術畑を歩んできたエンジニア、つまりハード作りの専門家である。小型化に執念を燃やしてきた。

が、もう一つの顔は民族楽器の収集家。インドでシタール。コロンビアでハープ。出張に行った先々で買い込んでは担いで持って帰る。ラテン音楽やジャズ、クラシックをこよなく愛し、自分でもクラシックギターを弾く。
「楽器の機能美は素晴らしい。我々の商品も、音楽を送り出すという機能は同じなんです」
そう言って、高篠さんは愛用のMDウォークマンを貸してくれた。メキシコ民謡の歌声が流れてくる。
「いつも音楽を聞いていたい。音楽の嫌いなヤツにこれを作れと言っても、無理ですよ」

ウォークマンは革新的な技術から生まれたわけではない。元々あった会議録音用テープレコーダーの録音機能を取ってステレオ化し、小型ヘッドホンを組み合わせただけだ。今となっては信じられない話だが、試作したものの、社内も販売店も反応は冷たかった。録音できないテレコなんて売れるわけがない、というのだ。そのウォークマンは、音楽の聞き方を一変した。音楽を「部屋でスピーカーの前に座って聞く」スタイルから解放したのだ。

雑誌『ポパイ』の溝川史朗編集長48は、当時を回想して言う。
「音楽を聞くという概念を打ち破る、おもしろい商品だとすぐ分かった。日本人のライフスタイルを変えた」
学園紛争が終わったあとの七〇年代の日本に、アメリカ西海岸の明るいカルチャーを持ち込んだのが『ポパイ』。ウォークマンは、その「ポパイ少年」流スタイルの必修アイテムになった。

さかのぼって見ると、七十年代まで、ソニーはラジオやテープレコーダー、AV機器を作るハード中心のメーカーだった。それが現在のようなソフト・ハードの総合メーカーになったのは、八二年のCDの開発がきっかけだ。

現在の標準となっているCDの規格は、ソニーとフィリップス社(オランダ)が共同で開発した。ところが、当時はLPレコードとカセットテープで音楽市場は飽和状態。抵抗するレコード業界を説得しようとした大賀典雄(現会長)氏は「石持て追われた」と、ソニーの社史は述べている。

傘下のCBSソニーからCDの売り出すこと。それが、CDを普及させるためにソニーが取った戦略だった。
「自分がほしくないモノを出しても売れるわけがない。ファンの発想で選びました。ユーザーの感覚が失せたら最後ですよ」
八一年から二年間、CBSソニーでCD第一号アルバムを選定する作業をした小野志朗・SME洋楽制作本部長はそう話す。

こうして発売されたCD第一号は二十三種類。音にうるさいオーディオファンが聞くから、とジャズとクラシックは真っ先に入れた。が、よく見ると当時はまだ無名だったビリー・ジョエルの「ニューヨーク五二番街」が。松田聖子、郷ひろみ、キャンディーズも入っている。当時のCBSソニーの看板歌手だった。

LP時代のヒットとは、よく売れて山口百恵の五十万枚。それが今ではドリカムのように三百万枚が売れる。日本の音楽マーケットは爆発的に膨らんだ。LP時代はコンポーネント・ステレオで音楽を聞く人と、ラジカセで聞く人では、年齢も性別も音楽の好みもまったく別だった。CDは、この壁をぶち壊してしまったのだ。

マーケットが変わると、ソフト(音楽)そのものも影響を受けずにはいられない。昔はステレオ派は洋楽、ラジカセ派は歌謡曲と住み分けがあった。CDがその壁を壊さなければ、アムロやパフィのような「邦楽」が今ほど隆盛を極めていたかどうか分からない。

対照的な運命をたどったのが、DAT(デジタル・オーディオ・テープ)だ。こちらは、音が良すぎてダビングするとオリジナルとまったく同じものができてしまう。死活問題だ、とレコード会社側が抵抗してアルバムを出さず、DATもほぼ消滅してしまった。

音楽でいえば「MTV」を日本に初めて持ち込んだのもソニーだ。MTVとは、米国の二四時間音楽ビデオ専門チャンネルのことだ。八四年、アメリカ出張中のある社員がホテルでMTVを見て驚いたのが始まりだった。UHF局の深夜枠を使い、解説なしにひたすら音楽ビデオだけを流す。これまでにない番組だった。
こうして始まった「ソニー・ミュージックTV」は「音楽をテレビで見る」というライフスタイルを初めて日本人に紹介した。

MTVという新しいソフトに合わせて、新しいハードも出した。九〇年代に入ってソニーが出した高画質・高音質テレビは「音楽をテレビで見る」ための商品である。ついでに言うと、このCMのキャラクターが、MTVが生んだスーパースター、マイケル・ジャクソンだった。もちろん彼はソニー所属のアーティストである。

「新しい商品を出すとき、これを使うとこんな楽しいことができますよ、というライフスタイルを見せる。マーケットの啓蒙活動とでも言うんでしょうか」
MTVを言い出した出張社員、河野透・広告宣伝部統括部長51はそう話す。

さて、ゲーム、音楽、ウォークマンと、ハード・ソフト問わずソニーの開発担当者が異口同音に言った言葉がある。それは「いまマーケットが望んでいる商品を作っても遅れるだけ。消費者を驚かす商品を作れ。市場も需要も自分で作れ」だった。その成功の秘訣は?と尋ねると、驚くほど似た答えが返ってきた。それは「自分がほしいと思うモノを作れ」だった。結局ソニーとは、よき趣味人の集団なのだろう。

(AERA 97.03.17)





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