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大阪ポップ雑誌「東京だけがポップの中心やないで」 東京でマスメディアの仕事をしていると、どうしても企業との距離が取りづらい。丸め込まれそうになる。大阪発のポップカルチャー雑誌二つ。「客」の視点で押してます。大阪かてポップやで! |
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「九六年の日本のロックシーンはスカだった!」 年末特集として、編集長のこんなコラムが一ページ堂々と載るのだから、レコード会社やミュージシャンにとって、これほど手強い雑誌はないだろう。大阪に編集部を置く日本ロック専門誌「J−ROCK」(ジェイロックマガジン社)である。 表紙に据え、広告まで載せたバンドでさえ、手加減しない。「メンバーで演奏技術が平均に達しているのは××だけ」「プロデューサーに操られたままでいいのか」。この率直な批評が、雑誌の看板だ。 「良質の音楽はこれだ、と提示する雑誌にしよう。それが方針。ウチは『独断と偏見』をずっと掲げていますから」 里居正裕編集長36の姿勢は気持ちいいくらい明快だ。同誌が選んだ「セレクテッド・アーティスト」(現在百八組)しか載せない、というのだ。選考基準五項目が巻頭に掲げてある。「演奏力」「創造力」「生き方が芸能人化していないか」「音楽的ルーツ」等々。結果、安室奈美恵はもちろん、小室哲哉一派は一切載らない。パフィもSMAPも載らない。 とはいえ、ウルフルズやドリカム、サザンやユーミンを取り上げることもある。要するに、良い物は褒め至らない物は批判する、という至極健全な編集方針なのだ。 実は、この方針を貫くのが一苦労だ。ガンコに流行り物に手を出さないから、部数は十五万部で頭打ち。ただでさえこの業界はコンサートツアーや新作発表に合わせた宣伝絡みでないと取材を渋る。批判されて逆に気に入ってくれる奇特なアーティストもいるが、怒る人も多々ある。 「『スターのインタビューやらせてやるから新人も抱き合わせで載せて』なんて言ってくる。ジャーナリストの判断じゃなくてレコード会社の主導権で決まっちゃう」 大阪に編集部があるのも苦労の種だ。たいていのミュージシャンは東京にいるから、取材時間が取れない。東京にある雑誌なら当たり前の、インタビューの売り込みなんてない。試聴用タダCD、コンサート招待券も来ない。身銭を切るしかない。 八〇年代、商社員としてサンフランシスコに住んだ里居さんの頭にある手本は「ローリング・ストーン」「スピン」など、自由で見識の高い批評を誇るポップカルチャー雑誌だ。 「これだけ聞くものが増えると、勉強してよく知っているリスナーが出る反面、愚民化される部分も出てくる。それが恐い」 企業側からでなく街の普通の人々や店からファッションを発信しようという雑誌が「CaziCazi」(交通タイムス社)だ。偶然にも、こちらも編集部は大阪。ブティックや古着屋ひしめくファッション街・アメリカ村のど真ん中に編集部はある。 「ナイキのスニーカーを取り上げるにしても『いまゼッタイこれがオシャレ』とか、煽る記事はやらない。それよりは『信用できる靴屋』を紹介する」 編集部の梅田顕弘さん26はそう話す。部員三人全員が二十代だ。 センスの良い店を記者が歩いて探すのが方針だ。大阪はもちろん、京都、神戸と必ず足を運ぶ。予告なしにアメリカ村を歩き、センスの良い兄さん姉さんをつかまえては、服や鞄・靴を紹介。表紙を飾る美人も、実は街を歩くフツーのお姉さんだったりする。ストリートに根をおろした雑誌なのだ。 「メディア側にいると、読者に比べて高い所にいると思う人が多いように思う。僕らはそうは考えませんから」 根強い愛読者がついている。必ず八〇%以上が売れる。あるサングラスの店を紹介した時は、一日二十本以上の問い合わせ電話が一週間以上続いたそうだ。 発行元は本来バイクやクルマの雑誌を出版する会社だ。ファッション誌は初の挑戦だった。見回しても、オール関西で成功したファッション誌は他にない。 いま、四国や九州の古着屋はもちろん、東京の服飾メーカーまでもが「アメ村ファッション」の情報を仕入れるべく、同誌に注目する。東京中心のファッション誌「POPEYE」「BOON」とも「友好関係」にある、と梅田さんは言う。 「僕らにとって、自分の生きているスタイルのひとつとして服がある。この雑誌で、一生通用するようなドレスコードを会得してくれたら嬉しい」 (AERA 97.2.10) |
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