![]() 鄭問氏は台北郊外に奥さん・子供と住む。東京に住もうとしたが、あまりのテンポの早さに参ったそうだ |
|
台湾・香港の漫画家 日本MANGAを母に育った台湾・香港の漫画家。今や本家日本にもない個性的な作品を生み出している。環流する中華MANGA家たち |
|
祖先を祭る祭壇がアトリエ正面に鎮座している。エイリアンの人形。日本の黒田武士の甲冑。バットマンやウルトラマンの人形。台湾の劇画家・鄭問氏38のアトリエでは、彼が書く漫画の世界そのままに古今東西の異形の者たちが絵筆を運ぶ彼を見おろしている。 鄭氏は、講談社の週刊コミック誌「モーニング」に「深く美しきアジア」と「東周英雄伝」の二本の長編を連載した実績を持つ。特に、九二年から約二年間続いた「深く美しきアジア」は鄭氏ならではの個性的な作品だ。 理想と秩序だけが支配する世界の実現を目指す魔界の子「理想王」と、あらゆる厄災をもたらす疫病神の「百兵衛」の対決を軸に、魑魅魍魎が乱舞する一種のオカルト物語だ。中国神話をベースに、善と悪、明と暗の対立など壮大なテーマが語られる。 登場人物は誰も、日本人の作品とはひと味違った個性の持ち主だ。例えば主人公の百兵衛は、純粋無垢な心を持つ二枚目のくせに、ゴミの中を這いずり回り、自分が起こす厄災に苦悩して泣きわめく、情けない人物。この百兵衛の成長が物語の軸になる。逆に、理想王は自分の理想実現のためには殺戮も辞さない冷酷無情の男になっている。 「私は日本人ではないから、自分にしかないものを書きたい。自分のオリジナリティを持っているからこそ、日本で受け入れられたのでゃないでしょうか」 八六年に戒厳令が解除されるまで、台湾では漫画は検閲の対象だった。鄭氏によれば、これが台湾漫画に二十年間の空白を生んだ。鄭氏は戒厳令解除後に頭角を表した第一世代だ。この世代は日本漫画を読んで育ち、今も強い影響下にある、という。 鄭氏の場合は、七歳の時に読んだ海賊コピー版の「原子小金剛」(『鉄腕アトム』)が人生を決めた。「ある種のマジック」と、彼はその出会いを振り返る。美術学校を卒業後、インテリアデザイナー、イラストレーターとして六年を過ごしたあと、二十五歳で劇画を描き始めた。 鄭氏が「漫画の最高峰」と絶賛するのは「子連れ狼」だ。七十巻を繰り返し五、六回は熟読した。 「礼儀、恥、忠誠。このモノしか信じない現代に、古来の精神世界を表現し切っている。『こんなに高い内容を漫画で表現できるのか!』と感動した」 八年前、台湾の雑誌に掲載された作品が講談社の編集者の目にとまったのが日本進出のきっかけだった。一月からは秦の始皇帝を主人公にした新作の連載開始が決まっている。 「自動車や電気製品は米国にも良い製品があるが、漫画だけは日本の独占市場です。アジア全体が日本的漫画表現に馴染んでいる事実は、もはや変えようがない」 台湾は、おそらく世界でもっとも日本漫画が愛されている国だ(アエラ一月二十日号)。鄭氏はその影響を積極的に評価している。「日本漫画のアジアにおける役割は、日本の外交官も及ばぬパワーを持っています」 鄭氏は、作品の「後書き」にそう記している。 「主人公が表現する包容力、善良さ、積極性などの個性的な資質。これらの漫画を通して、私たちのような日本以外の国の人々にも、日本民族が平和を愛し、正義を追求する民族であることが理解できたのです」 日本の漫画を栄養に花開き、また日本に環流する東亜の才能たち。香港の司徒剣僑32もその一人だ。『超神Z』を日本で〓万部売り、ファンの間ではすでによく知られた存在である。 作品を見ただけでは、作者が香港人とは分からない。劇画調、戦闘シーンがだらだら続くカンフーもの、といった従来の香港漫画より、はるかに洗練されたストーリーと絵柄。日本アニメに近いクオリティである。 「すみません、昨夜は徹夜だったもので」 メガネの丸顔。司徒は、日本にもよくいるオタク系青年の風貌だ。彼の仕事場は「自由人出版集団有限公司」という。お堅い雰囲気の新聞社ビルの一角、突如「おたくの城」が出現する。 日本語版の漫画本とCDが壁を埋めている。「らんま1/2」「美少女戦士セーラームーン」「気まぐれオレンジロード」「サイレントメビウス」。「エヴァンゲリオン」のプラモデル。彼の身長より高いガラスケースの中には「ガンダム」のモビルスーツやウルトラマンのプラモデルが鎮座。よく聞けばBGMは「ラ・セーヌの星」「グレンダイザー」。懐かしのアニメソングではないか。 壁に「ガンダム」のキャラクターデザインで知られる安彦良和の直筆イラストがあった。 「彼は僕の師匠です。シンジュクで会いました」 安彦氏と一緒に映った写真を大事そうに取り出した。 「好きなアニメはガンダム、セーラームーン、エヴァンゲリオン、サイレントメビウス……。日本の漫画にすごく影響を受けました。特に安彦さんが好きです」 若いながら、漫画家としてのキャリアはすでに十四年。「香港漫画界一の画才」の評判が高い。香港では珍しく単行本形式で発表しているが、各巻三万部以上を売った。日本なら六十万部以上の大ヒットにあたる。 「これ、知っていますか」 そう言って、司徒はテープをかけた。シャランラ、シャランラ、ヘィ、ヘ、ヘィ、ヘィ、ヘィ。 「小さい時に大好きだったアニメが、これなんです」 何と、懐かしの『魔女っ子メグちゃん』!。続いて『キャンディキャンディ』『ウルトラマン』『マジンガーZ』と、アニメソングのヒットパレードである。 幼いころから日本のアニメや真願に夢中だった。漫画家になるのが夢で、小学校四年のころにはストーリー漫画を描き始めた。数学の答案用紙の余白は漫画でぎっしり。そんな中学生だった。 香港で漫画家になるには、漫画製作会社に就職するのが普通だ。日本のように一人でストーリーを考え、を描き、色を塗るシステムではないからだ。同人誌で人気が出てスカウトされたり、新人賞に応募して認められたりといった新人発掘の方式もない。 香港の漫画家は、ストーリーとキャラクターを考え、科白とコマ割りを作り、下絵を描く。主筆と呼ばれる。ペン入れ、主線、背景、効果線、彩色は五人ほどのチームで分担。全編カラー冊子を毎週発行するためだ。 司徒も、まずそんな現場に入った。十七歳だった。「香港漫画を確立した」といわれる黄玉郎のアシスタントを約1年。今の会社に引き抜かれたのは6年前だ。 現在は「自由人」の看板漫画家だ。これまでに作品は日本語、仏語に翻訳され、日本、台湾、イタリア、フランスで売られてきた。 欧州での名声は高い。昨年5月、サイン会のためフランスに行ったときの話だ。フランス人を含むほかの漫画家の所にはほとんど並ぶ人がいない。が、司徒の前には百人以上が列をなしていた。若者だけではない。中年紳士の姿も。 「こんなに有名になっているとは、自分でも思わなかった」 司徒漫画の揺りかごだった日本漫画にさえ影響を与えるようになった。司徒が師と仰ぐ安彦良和が最近、全編カラーの書き下ろし単行本を出した。それは司徒の作品に触発されたからだ、という話を聞いていた。本当だろうか。 「その作品が、これです。とても好きな作品です」 司徒は、誇らしげに本棚から安彦の『ジャンヌ』を取り出した。 今も日本漫画のファンだ。最近は『東京大学物語』が気に入っている。日本語は分からないが、漢字と絵から内容を想像して楽しんでいる。 日本漫画は、香港の出版社にとってはおいしいビジネスである。漫画家に書かせるコストをかけず、翻訳だけで利益が転がり込むからだ。漫画専門出版社だけで六社が買い付けと版権獲得に熾烈な競争を繰り広げている。 そのひとつ、黄玉郎率いる「玉皇朝出版集団」に日本人スタッフがいた。かつて「鈴鹿レニ」として「なかよし」や「ちゃお」などで少女漫画家として活躍した村中志津枝さんだ。国際部で版権獲得の仕事をしている。 「日本の漫画は個性があって面白いから、どこでも受けますね」 村中さんは「北斗の拳」「キャンディキャンディ」「ガラスの仮面」などの翻訳を出してきた。日本から漫画を輸入する一方で、東南アジアに香港漫画を輸出する仕事もしている。 「日本漫画も香港漫画も、東南アジアだけでなく欧州にも広がっていくことは確実です。漫画はもっとボーダーレスになる」 国際部の許〓〓部長は話す。 日本の外に漫画が広がると、鄭問や司徒のような才能が外国にも花開く。それは、日本MANGAの絶対優位が崩れる日が来る、ということでもある。 「日本の漫画はもう下り坂に入っていると思う」 司徒は大胆な指摘をしていた。 「僕の感覚では、日本の漫画の歴史は長くて、すでに描きつくされてしまった。もう新しいものが出てこない」 鄭問や司徒のような外国の才能が受け入れられたのは、実は日本漫画界に個性的な才能が少なくなったせいもあるのではないか。 (AERA97.1.20) |
|
|
| Copyright(C) 1997 Hiromichi UGAYA. |