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パソコンレイプ事件 こんなに卑劣な連中が他にいるだろうか。パソコンネットに個人情報を流し、女性に嫌がらせ。 しかも犯人は匿名に守られ、追跡できない。こんな悪質な連中を放置すれば、必ず法規制の動きが出る。 |
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彼女は怯え、疲れ果てていた。紺色のジャケットのポケットから、懐中時計のような携帯用防犯ブザーを出して握りしめる。ボタンを押すとけたたましい音が鳴って、周囲に異常を知らせる、という。 「これがないと、恐くて表を歩けなくなってしまったんです」 彼女は二十二歳の大学生。仮にA子さんとしておく。彼女が怯えるのは無理もない。あるパソコン通信のネット上に、実名入りで次のような告知が流されたからだ。 「A子をレイプした人には、賞金十万円を差し上げます」 そこには、A子さんの氏名、住所、電話番号に始まって大学・学部、果ては実家の住所や電話番号までが添えられていた。A子さんは、自分ではパソコンも持たない。このネットとも無関係だ。まったく知らない内にプライバシー侵害が行われていたのだ。 レイプ告知が流れているのを知ったのは偶然だ。たまたま同じ大学の学生にネット会員がいて、A子さんに善意で知らせてくれたのだ。今年一月中旬のことだ。この時を境に、A子さんの生活は完全に破壊されてしまう。 夜は一人では眠れず、友人宅を泊まり歩く。夜、少しの物音にも怯えて泣き叫ぶ。アパートから数分の距離を歩くのも不安だ。とうとう、二月下旬には大学近くの下宿を引き払い、電車で一時間半かかる街へ移った。その費用で、就職活動に備えた貯金三十五万円がパアになった。 A子さんはいま、警察に被害届を出す一方、ネット運営者と告知を流した会員を相手取って民事訴訟を起こす準備をしている。が、恐怖を拭い去ることはできない。 「取材を受けたり訴訟の準備をいたりしていることが分かったら、今度は実家に嫌がらせをしてくるんじゃないでしょうか。恐いです。くやしいです」 ここで一つ大きな問題がある。こんな卑劣な嫌がらせが行われていながら、発言者はおろか、ネット運営者を突き止めることすら難しいのだ。 このネットは名を「地上の楽園」と言う。都内に二本あるアクセスポイントの電話番号。やはり都内の銀行にある口座番号と「ウィンドファクトリー」なる事業者名。これが「楽園」運営者の身元について分かっている全てだ。電気通信事業法で義務づけられている郵政省への届け出も、ネットの業界団体である「電子ネットワーク協議会」への加盟もない。つまり正体不明のアングラネットなのだ。 NTTと銀行に聞くと「顧客のプライバシー保護のため、照会には応じられない」と言う。もうこれ以上は追跡ができない。人のプライバシー暴露で暴れる連中のプライバシーが手厚く保護されているのだから皮肉な話だ。 「例え弁護士会を通じて電話加入者を調べても、その人がネット運営者でない、と言えばそれまで。まして発言者を突き止めるのは不可能に近い」 事件を担当する山口泉弁護士はそう話す。まず訴訟の被告が誰なのかを特定するのが一苦労なのだ。 「地上の楽園」はブラック・ネットの確信犯である。「完全匿名・書き込み自由・削除なし」を売り物に「噂・ガセネタ大歓迎」を掲げる。つまり発言者が誰か知られる事なしに、好き勝手な事をネットに載せることができるのだ。あまつさえ「メディアの吹き溜まり」を自称する。 試しに、手元のパソコンから電話回線を通じて「楽園」にアクセスしてみた。一応、画面上でこちらの氏名、電話番号や住所を尋ねてくる。が、全部デタラメを打ち込んでも、問題なくネットに入れてID番号も取れた。看板通りの完全匿名制だ。 不思議なのはどうやって会費を取るか、だ。ある会員によると、会費は取らず無料で運営されているのだという。 ページを開く。エロ情報。個人や企業への誹謗・中傷、攻撃。差別用語。おぞましい言葉の数々が、どっとあふれてきた。 「都内の通勤路線での痴漢ノウハウ」。「のぞきのできる女子便所情報」。会員の一人が呼びかけると、他がぞくぞくとメールを寄せる。「痴漢・のぞき」「ロリータ」と並ぶ「レイプ」のコーナーに、冒頭のA子さんの例も消去されずに残っていた。発言者は「PRD00582(正成)」としか分からない。あきれるのはネット運営者がレイプ告知を見て「すげえな、これ」と感想を書き込んでいることだ。 A子さんへの嫌がらせを模倣したのだろう。名古屋市と町田市の女性の電話番号を掲示して、いたずら電話をしろ、と煽るメールもあった。この女性に確認すると、最近いたずら電話が増えて困っていた、とのことだった。驚いたことに、A子さんらの所へいたずら電話をした、という自慢話が多数、また堂々と出ている。 実在のタクシー会社を名指しして「警察による不良タクシーのお墨付き」「道交法完全無視」と誹謗する。「部落を抹殺せよ」「オウムを皆殺しにしろ」。そんな文言が渦巻く。異常な世界だ。 「ネット上での会話は人間でなく機械に向かって書く。面と向かっては言えないような過激な事を書いてしまう。車を運転すると人格が変わる人がいるのに似ている」 電子ネットワーク協議会の国分明男専務理事はそう話す。 問題は「楽園」には三百人を超える会員がいることだ。A子さんの例のように、不特定多数にプライバシー情報が渡ってしまう。事実上マスメディアと同じ威力を持ってしまうのだ。しかも内容をチェックする人は誰もいない。 そもそも草の根ネットとは何か。簡単にいうと、センターとなるホストコンピューターに電話回線で会員手持ちのパソコンをつなぎ、文書などのやりとりをするネットワークだ。 電子ネットワーク協議会によると、日本には二千を超えるネット局がある。大はニフティサーブ、PC−VANのように会員数が百五十万人を超える物から、小は十数人という所まで。小さいのを「草の根ネット」「草の根BBS」と呼ぶ。ジャンルはスポーツ、音楽、資格、医療、グルメ、地域活動など様々だ。パソコン上のサークル活動といった方が分かりやすいかもしれない。 ネット局を始めるのに大袈裟な機材はいらない。パソコンとモデム、電話回線さえあればいい。アパートの一室でOKだ。ネット局の約八割は普通のパソコンがホストコンピューター。七五%は電話が五回線以下だ(同協議会)。「楽園」も、ホストはパソコンだ。そんな小さなネットをすべて官庁や業界団体が把握しようとしても不可能に近い。 「レイプ告知を流した人物は法律の谷間をよく知っている。刑法に問うのは難しいのではないか」 ネット上の名誉毀損訴訟を担当する藤原宏高弁護士はそう見る。流された文章には、A子さんの社会的評価を貶める文言もないので、刑法上の名誉毀損は難しい。A子さんの住所と電話番号をネット上で公開しても、それが直ちに民事上のプライバシー侵害にあたるかは微妙だ。 不特定多数に個人情報をばらまかれたこと。それも性的妄想の充満した集団に。その結果A子さんが精神的・金銭的被害を被ったのは事実なのに、犯人を罰することはできないのだろうか。 「テクノロジーが進んで、法律が想定していない事態がどんどん起こりつつある。ネットの世界には現行の法が適合せず、ルールさえ存在しない」 そう指摘する藤原弁護士は、新たな法律を作ってネットに規制をかけるよう主張する。 「ネット運営者が文書の内容をチェックして責任を負うよう、法律で運営者を規制すべきだ」 藤原弁護士がいま扱う損害賠償訴訟はこんな内容だ。ニフティサーブ上の「電子会議室」で、論争がこじれたあげくに「金髪漁り」「嬰児殺し」などと、ある女性会員を中傷する文書約百七十件が男性会員によって書き込まれた。これで名誉を傷つけられた、として女性側が九四年四月に二百万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴。ここでは男性会員のほかニフティが被告とされた。ネット運営者が流通する文書の内容に責任を負うべきだ、という主張である。 「ネットは仲間内の冗談、戯言と同じレベルの発言が、簡単にマスメディアと同じ破壊力で広まってしまう。簡単である分、ルールは厳しくあるべきだ」 一方、法権力の規制を受けるよりは、自主規制で解決しよう、という動きもある。業界団体の電子ネットワーク協議会がそうだ。理由はこうだ。まず@言論の自由の侵害の恐れA法律化した場合、適当ー不適当の線引きが難しい。 が、協議会が自主規制を明文化したのは、今年二月である。「電子ネットワーク運営における倫理綱領」(運営者向け)と「パソコン通信サービスを利用する方へのルール&マナー集」(会員向け)と呼んでいる。ネット上での事態にルールが追いついていない。 冒頭のレイプ告知事件は、いつ誰が狙われるか分からない、という点で一種のテロだ。防止のために法規制を、という動きがいつか出る。そうなれば言論の自由にとっても致命的。「地上の楽園」のようなブラック・ネットは、言論の自由の敵なのだ。 (AERA 96.4.29) |
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