![]() ケシからはアヘン、ヘロイン、モルヒネが取れる。 |
|
ドラッグと人類のかくも永き交わり 「ドラッグはすべて悪」という論に筆者は賛成しない。かつてドラッグは神に近づくための道具だった。ドラッグが「悪」なのではなく、使い方を間違う人間が「悪」なのだ。 |
|
「源氏物語」に、アヘンの吸引を暗示する場面が出てくるのを、ご存じだろうか。 「葵」の巻で、出産を控えた光源氏の妻・葵の上が、物の怪に取り憑かれる場面である。苦しむ葵を救おうと、光源氏は祈祷師を呼ぶ。場面変わって、離れた場所にいる源氏のかつての恋人・六条御息所は、葵を苦しめている霊が、自分の生霊であることを知る。髪を洗っても着物を替えても、体から芥子の匂いが消えないからだ。それは、祈祷師が護摩を焚く炎に投じた芥子の匂いだった。 当時、密教僧が祈祷の際に護摩焚きの炎に芥子や胡麻などの「焼供」を投じる習慣があったことは知られている。この芥子の実とは、何を隠そうアヘンやヘロイン、モルヒネの原料である。 かつての祈祷師たちは、アヘンの煙を吸って恍惚状態になり、病気治療に超人的な「霊力」を発揮したのではないか。 国際日本文化研究センターの山折哲雄教授(宗教学)は、そんな仮説を持つ。 「幻覚剤の使用は、世界の宗教に普遍的に見られる現象です」 山折教授はそう説明する。 「古来、幻覚剤は神や天国に近づくための手段だった。ところが科学が発達して神の存在が否定され、幻覚剤は快楽のためだけの『悪魔の薬』になってしまった」 インド最古の神話「リグ・ベーダ」には、祭礼参加者が飲む幻覚剤「ソーマ」が出てくる。このソーマの正体には、大麻、幻覚キノコなど諸説がある。 中南米では、幻覚キノコや幻覚サボテンが祭礼に使われた。 十六世紀にメキシコのアステカ王国を侵略したスペインの従軍僧サワグンは、ペヨーテというサボテンや、テオナナカトルというキノコを食べると「ものすごい色のついた幻覚に襲われる」と記している。先住民族は、これらを死地に赴く兵士や、神への生け贄に捧げる人間に与えたという。 民族薬理学者で、名古屋学院大学教授だった石川元助氏(故人)は、六五年にメキシコ先住民の「聖なるキノコの祭典」で幻覚キノコを食べた時の様子を次のように記している。「私は完全に意識を失い、色彩だけのあの世へ行った。金、銀、赤、オレンジ、ブルー、緑、黒など美しい七色が、渦を巻いたり滝のように流れたりした…」(『科学朝日』七〇年七月号) 先住民族は「神の声を聞くために」このキノコを使っていた。 日本文化にも似た現象はある。「今昔物語」には、山中でキノコを食べ、恍惚と歌い踊る尼僧たちの話が出てくる。このキノコは、食べると幻覚に陥り、踊り狂うので「マイタケ」と呼ばれたが、今では「ベニテングタケ」らしいことが分かっている。 北欧ラップランドやカムチャッカ半島の先住民族にも、ベニテングタケを宗教儀式に使った形跡があるそうだ。 ドラッグが文学に残した貢献も計り知れない。ギリシア時代の詩人ホメロスの「オデッセイア」には「すべての苦しみ、怒り、悲しみを忘れさせる」アヘンらしき陶酔剤が歌われている。 時が下って十九世紀のヨーロッパでは、アヘンとコカインから多くの文学作品が生まれた。当時イギリスは、清国にインド産アヘンを買うよう強要していた。これが一八四〇年のアヘン戦争のきっかけになる一方、大量のアヘンがヨーロッパに流れ込む。 エドガー・アラン・ポーの怪奇小説は、アヘンの幻覚が生んだものという説が強い。ジャン・コクトーの「阿片」やド・クインシーの「阿片常用者の告白」は、アヘンの陶酔や禁断症状の苦悶を、克明に記録した作品だ。フランスの詩人ボードレールは「悪の華」でアヘンを讃え「人工楽園」でハシシュの快楽を克明に記録している。 「シャーロック・ホームズ」で有名なコナン・ドイルは、コカインの愛用者だった。いくつかの作品では、ホームズもコカイン中毒者として描かれている。 「特に『最後の事件』には、コカイン中毒者独特の追跡妄想らしい描写が現れている」ホームズ研究家の精神科医・小林司氏はそう指摘する。 「宝島」で有名なスティーブンソンは、コカインを飲んで三日三晩ぶっ通しで執筆。「ジキル博士とハイド氏」(一八八五年)を書き上げた。彼は「小人が夢に現れて、ストーリーを吹き込んでくれた」と後に語っている。 薬を飲むと野獣のような別人に変身、最後はその獣性に身を滅ぼすというストーリーそのものが、コカインの副作用に似ている、と小林氏は指摘している。 十九世紀の欧米ではコカインはまだ「麻薬」とは見なされていなかった。一九〇六年に禁止されるまで、コカインの原料コカの成分をワインで抽出した「マリアニ酒」が健康飲料として欧州で大流行。その愛飲者リストには、発明家トマス・エジソン、SF作家ジュール・ベルヌ、文豪ゾラ、イプセンなど、壮々たる顔触れが並んでいる。 これに触発されて米国アトランタの薬剤師ペンバートンが一八八六年に売り出したコカ成分入り健康飲料が「コカ・コーラ」である。後に依存性がありことが分かってコカ成分は除かれるが、商標はそのまま残ったのだ。 政府が国民に覚醒剤の使用を奨励した時代もあった。第二次世界大戦である。 ナチス・ドイツ軍は、夜間のロンドン空襲の爆撃機乗務員の眠気覚ましに、興奮剤のメタアンフェタミンを処方した。夜に決行されたノルマンディー上陸作戦では、連合軍が一億錠の覚醒剤を兵士に配った、というエピソードが残っている。 日本では、軍需工場に動員された人々の眠気防止と疲労回復の薬として、メタアンフェタミン「ヒロポン」に玉露を混ぜた緑色の「突撃錠」が配布された。 敗戦後、これが市場に流出。大量の依存症患者が出たため、五一年に非合法化された。が、その後も覚醒剤は日本のドラッグの横綱として不動の地位を保ち、現在では日本の暴力団の収入源の約三分の一は覚醒剤(警察庁調べ)だ。 ドラッグ文化が隆盛を極めた最近の例は、五〇−六〇年代のアメリカである。 六二年、ハーバード大学の心理学助手だったティモシー・リアリーは、LSDを使った宗教研究や芸術の創造性刺激運動を始めた。この動きは、音楽、文学、美術を巻き込んだ「サイケデリック・ムーブメント」へと発展した。 当時のサイケ文化の中心地サンフランシスコで七〇年に結成されたドゥービー・ブラザースは、バンド名を訳せば「マリファナ兄弟」。一方の中心地ニューヨークのベルベット・アンダーグラウンドはその名も「ヘロイン」という歌で「わが人生、わが伴侶」とヘロインの陶酔を讃えている。 また、七〇年代から栄えたレゲエのバックにあるジャマイカの信仰「ラスタファリズム」では、マリファナ吸引は「宗教行為」になっている。 九〇年代に入って、ドラッグの影響が色濃い音楽が復活している。例えば「アシッド・ハウス」「アシッド・ジャズ」というジャンルがある。「アシッド」はLSDを指す隠語だから、このへんの作品はLSD音楽と見ていい。 六〇年代風ロックがリバイバルすると同時に、マリファナもファッションとして復活した。例えば、レニー・クラビッツのCDジャケット写真は、彼がマリファナを吸う姿が延々と続く。ブラック・クロウズは「マリファナ伝道師」のあだ名がある。彼らは三十歳前後で、六〇年代のドラッグ文化を直接は知らないのが特徴だ。 (AERA 94.11.28) |
|
|
| Copyright(C) 1997 Hiromichi UGAYA. |