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新宿駅前で見たドラッグの売人。日本語を話す。風貌からも日本人らしい。



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ドラッグシティTOKYO
東京でドラッグを買うのは、実に簡単だ。筆者が2年暮らしたニューヨークより、東京の方が簡単かつ安全に入手できる。売人と接触して書いた調査報道。


金とその気さえあれば、東京でドラッグを買うのは実に簡単だ。

ドラッグ愛好家に知られた入手の「名所」が都内にいくつかある。そのひとつ、上野公園に行って確かめた。
水曜日の午後一時半。温かい秋晴れの昼下がりである。中近東系の顔をした若者が数人、雑踏の中に立っている。トランプのようにテレホンカードを束ね、ジャンパーのポケットから出したり入れたり。道行く人に声をかけている。

その一人と目が合った。こちらが頷くと、その男も頷いた。こっちへ来い、と手招きしている。
「テレホンカード、どう?」
 −何かドラッグ持ってる?
「『チョコ』ならあるよ。一グラム一万円ね」
 −買う前にブツを見たい。
「じゃ、あそこで待ってて。ここは危ないから」
男は、目の前の食堂ビルの階段を指さした。

売人がその場でドラッグを身に着けていることはない。警官の職務質問で見つかれば、現行犯で逮捕されるからだ。植え込みの中とか自動販売機の裏とか、離れた場所に隠して、注文があった時だけ取って来るのが普通だ。
人気のない踊り場で待つ。三分。男が戻ってきた。開いた手の平に、ラップにくるまれた一センチ四方ほどの茶色の塊が乗っている。なるほどチョコに似ている。
匂いを嗅ぐ。間違いない。大麻樹脂(ハシシュ)である。

とその時、背広姿の団体客がどやどやと階段を上がってきた。男の表情がこわばる。手の平のハシシュを、ぱくっと口にほうり込んだ。テレホンカードを数えるふりをしながら、低い声でせかす。

「早くカネを払え。アナタ捕まる、ワタシ困る」
 −このブツは良くない。もっといいヤツがほしい。
「今日はポリスが多い。トゥー・デンジャラス。今日はダメだ」
明日もこの辺にいるから、と言い残して男は雑踏に消えた。

別の日の午後二時すぎ、同じ場所に立った。五分もしないうちに中近東系の男が近づいてきた。前回とは別の男だ。この男はコカインも持っている、と言う。
「一グラム八千円ね」
男がそう言った瞬間、すぐ横の通りをパトカーが通り過ぎた。ぎくりとして飛びのく。
「ダイジョウブね。ボク何も持ってないから」
男は両手を広げて笑った。ここは、交番からほんの百。しか離れていないのだが。

日を変えて五、六人のテレホンカード売りの中近東系男性に声を掛けてみると、一人を除いて全員がドラッグも売っていた。

取り締まりはどうなっているのか。上野警察署の説明はこうだ。
「まず売人に近づくのが難しい。捜査員に気付くと、車道に飛び出して全速力で逃げるので、追うと危険だ。何とか職務質問に持ち込んでも、モノが出てこない。これでは逮捕は難しい」

同じような光景は、新宿でも見ることができる。
雨の日曜日。暗くなると彼らは姿を現す。新宿駅東口前の広場で、雑踏に背を向け、行き交う車に向かって立つ若者が数人。こちらは日本人らしい。

銀色のベンツが来た。クラクションを二回鳴して窓から手を振る。茶色のパーカーの若者が駆け寄り、金と引き換えに何か手渡した。
続いて、赤い傘と緑の傘の少女二人組が茶パーカーに歩み寄る。指を立てて「一つ?」と聞く男。頷く女。男は背後の植え込みに駆け寄ると、隠してあった買い物袋から小さなビニール袋を少女たちに渡した。紙幣を渡すと、少女たちは雑踏に消えていった。こんなふうに、十五分ほどの間に「商談」が三件成立した。

もっとも、こんな売り方は初歩的な部類。上級の手口はこうだ。
売人の携帯電話やポケベルに連絡を入れると「××の電話ボックスの電話帳に紙幣をはさめ」「××ビルのエレベーターのマットの下に金を置け」などと指示がある。金を確認すると、売人はガードレールの裏や公園の木立に商品をガムテープで張っておき、客に連絡する。売り手と買い手が顔を合わせないのがミソだ。

警察庁の統計でも、ドラッグの押収量は急激に増えている。覚醒剤や有機溶剤(シンナー、トルエンなど)といった旧来からあった薬物に加えてヘロイン、コカインそれにLSDと、欧米で出回っているドラッグが、日本でも簡単に手に入るようになった。特にマリファナは空前の大流行である。

誰が売っているのか。
警察庁によると、外国のシンジケートと日本の暴力団が入り乱れた状態らしい。さらに、従来からある日本の暴力団ルートに加えて新しいルートができつつある。例えば、コロンビアのコカイン密売組織が日本の暴力団と接触して、国内にいくつか拠点を設けていることは、警察庁も把握している。

では、ドラッグを買うのは、一体どんな人たちなのか。

盛り場の裏通りの喫茶店に、その男性は面接試験でも受けるような真面目な顔で座っていた。
二十四歳。東大を卒業し、今はある一流会社のサラリーマンだ。今日も仕事の途中で抜け出してきたとかで、茶色のスーツをきちんと着ている。煙草は吸わない。
 −どんなドラッグを?
「マリファナとハシシュ、それとあとエル(LSD)ですね。体に悪いのはやりません。ヘロインとかコカインとかは、習慣性もありそうだし。大学時代に海外の旅行先で知り合った仲間が、ドラッグが入ると連絡をくれるんですよ。その人のアパートに二、三人集まってね」
 −自分で持ち込んだことは?
「成田空港から何度か。アジアやアフリカで買ったハシシュを、ビニールで包んでシャンプーの瓶に沈めておくんですよ。LSDなんか一センチ四方くらいの紙片ですから、本にでもはさんでおけば分かりません」
 −見つかりませんか?
「悪いことだと思ってませんから平気です」
 −始めた動機は?
「音楽や文学への探求心でしょうか。ボードレールの詩なんか、ああこんな意味が隠されていたのか、なんて分かっておもしろい」

ドラッグ、特にマリファナに関する情報は、普通の書店で豊富に手に入る。例えば、第三書館が発行する「ドラッグ・カルチャー・シリーズ」。「マリファナ・ハイ」「マリファナ・ナウ」など、八〇年代初頭から発行されたシリーズは十五冊を数え、一部は十万冊を超えるロング・セラーだ。ここ二、三年また売れ行きが増加している、という。

外国へ行く機会が増えた。情報も豊富。カネもある。ドラッグが大衆化した背景はこのへんにあるようだ。

西日本のある国立大学に通う大学生20は、大学の仲間が開いたマリファナ・パーティーの模様を次のように語る。
夜、友人のアパートへ招かれていくと、十人くらいの男女が車座になって談笑していた。よく会う音楽サークルの仲間だった。
そのうち、誰かが茶色の塊を紙で巻いて、回し吸いを始めた。別の男が、ジュースの空き缶に何かを入れて下からライターであぶり、煙を吸った。

あるLSD経験者によると、一番効果が著しいのは、音楽を聞いた時だ、という。
「服用後三十分ほどすると、聞き慣れたジミ・ヘンドリクスの曲が頭の芯を直撃するように響き、音がジェットコースターのようにあたりを駆け巡った」
ドラッグを使う人に音楽愛好家が多い背景は、このへんにある。

「いま若い人が好むのは『ショートもの』ですね。三、四時間で効き目の切れるやつ。社会生活に支障のないドラッグですよ」
匿名を条件に取材に応じたこの男性27は、クラブやディスコで流行るドラッグに詳しい。
六〇年代に出回ったLSDは、服用後四十八時間も幻覚が続き、まともな生活はできなかった。いまは薬効成分が薄めてあり、数時間酔って踊れば効き目は切れる。彼は、ドラッグが必ず入手できるクラブは、都内に二カ所あると言った。

ヘロインや覚醒剤のように注射が必要なドラッグは、クラブキッズには人気がない。錠剤やカプセル剤が好まれる。
例えば「エクスタシー」。覚醒剤系の興奮剤だ。鎮痛剤に似た白やピンクの錠剤で、一錠五千から八千円。都内のクラブには十年ほど前から出回っている、という。
先の男性の言葉を借りれば「胸のあたりがモワモワしたあと、頭にポンと来る」ような幸福感と高揚感があるという。

最新流行は、粒々の入ったピンクの錠剤。「ファンタジー」とか「ストロベリー」とか呼ばれる。興奮剤にも幻覚剤にも働く。
この例のように興奮や幻覚だけを狙って調合された化学薬品を通称「デザイナーズ・ドラッグ」とか「ケミカルもの」という。どれも、ニューヨークやロンドンで流行したあと、すぐトーキョーに姿を現した。
「まあ大半の人はクラブへ来ても酒とスピード(覚醒剤)くらいです。コカインも普通に出回ってますけど、一グラム四万から五万円と値段が高いのが難点かな」
このようにドラッグへの「入口」は、あちこちに開いている。しかし、いったんこの世界に入ると、何割かは止めたくても止められない「薬物依存症」になる。その時の「出口」は、極端に少ない。
「医者は、依存者の社会復帰まではケアできません。馬を川に連れて行くことはできても、水を飲むよう強制できないのと同じ。結局はその人の生き方です」 長くヘロインやアルコール依存症の治療を手掛けてきた精神科医の中村希明さんはそう言う。
解毒や禁断症状の応急手当はできても、次にドラッグを打つのを止めるのは医者の仕事ではない。

そもそも、その薬物依存の手当も、専門に治療できる医療施設は日本に数えるほどしかない。この国では、薬物依存は刑務所で矯正すべき「犯罪」と見る傾向が強いからだ。欧米では、医学的・心理学的な手当てがないと抜け出せない「病気」という解釈が普通だ。
この方法論を実践している薬物依存者の互助組織が、東京・東日暮里にある。「DARC」(ドラッグ依存リハビリセンター)という。活動を始めたのは八五年。現在は横浜、名古屋、大阪など八カ所に同じ組織がある。

参加者はここで共同生活を送りながら、一日二回のミーティングを持つ。「私は薬物依存の××です」と自己紹介したあと、自らの体験を語り合う。まず自分が依存者であることを認めることが、スタートなのだ。
DARCのカウンセラーは、ここで薬物依存から抜け出した人たちだ。その一人、幸田実さん39はミュージシャンだった。二十歳の時にマリファナを吸い、LSD、コカイン、ヘロインと進んだ。逮捕され、母親の前で「もうしません」と泣いて誓っても、その夜にはドラッグを打っていた。

「最後は、友人はドラッグ仲間だけになる。が、結局は金や時間がコントロールできなくなって、その仲間にも見放される。家族、病院、警察、どこにもドラッグを止める場所がない。止めたくて『死にたい』とさえ思うのに、止められない」
留置所でDARCのパンフレットを読み、門をたたいたのは昨年一月。初めて「ドラッグを止める場所」を得て、ドラッグとは縁を切った。

米国では、一つの都市にDARCのような組織が千以上ある。日本には、たったの八か所である。

(AERA 94.11.28)




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