![]() 渋谷の街頭における汗かきじじいの恥さらしな姿。撮影も珍奇の目で見られて恥ずかしかった |
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とんでも芸人は笑いのパンク 下ネタ、差別ネタなど禁断のギャグに敢えて足を踏み入れるお笑いの形式破壊ゲリラたち。創造の前の破壊か?それとも単なるアホか? |
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客を喜ばせるのが芸人だとばかり思ってたら、「汗かきじじい」31は客が嫌がることばかりしている。 ハゲ頭(実は一個500円のカツラ)。ぶよぶよの裸体にデカパン一丁(実はお母さんの手作り)。舞台に出てきただけでも十分醜悪なのに、やる芸といえば原始的な下ネタばっかり。ぺろんとお尻を出して「イソギンチャク!」と絶叫。前を出して「タマノウラ・ノリオ!」。最後は決まって股間に両手で輪を作り「マンゲツ!」。 さらにエスカレートすると、コップに放尿。他の芸人を引っぱり込み、男同士でシックスナイン。まったく一体何を考えているのか。 アイドル系漫才を見に来た女子高校生を前にこれをやるのだから、客席は悲鳴と怒号で大混乱。当然、若い女性客にはとことん嫌われている。舞台のあとアンケートを取ると「死ね」「二度と出るな」と罵詈雑言の嵐である。 が、本人は至って幸せそうだ。汗かきの芸で女子高校生がヒイヒイ嫌がるのを見ていると、いけないと思いつつも爽快感に満たされてしまう。悲鳴を上げる女性客に男性客が大喜びしているのを、あせかきも知っているのだ。 「人をいじめると回りが笑うでしょ。そんなエンターテインメントもあるんですよ」 正体は何と、さる芸能プロダクションの重役さん。横浜の米屋に生まれ、流行りにばかり目を奪われ、サーファー、暴走族などを経てお笑い芸人に。「汗かき」は4年前からやっている。 会社の部下のクレジットカードを借用してキャバクラに十五日間通い詰めるなど、日常生活でもとんでもないいじめっ子体質である。風俗店通いでサラ金に二百万円借金ができたというから、頭の中はエロネタで充満しているのであろう。練習はまったくしない。本能の赴くまま暴れ狂う。 「本人がまず楽しいと思うことをやっているだけ。客を置き去りにしていますね。ハッハッハ」 わざと禁じてばっかり、という点では自称「ふんどしの貴公子」上園そんな31も確信犯である。お尻・おチンチン露出。客をいじめる。ネタも危ない。 「横綱ホントにケイコ好き。昼は稽古、夜はベッドで慶子、慶子」 ああ、いきなり危ない。 「お兄さまは皇族だから結婚が遅れた。ワタシが結婚できないのも皇族だからなのねc」(しんみりした口調で) これはもしかして、あの某独身女性皇族さまのことでは!このオチはアエラではとても書けない。 皇室ネタをやって右翼に怒鳴り込まれようが、客に「気持ち悪い」「あんなの芸じゃない」と罵倒されようが、一向に気にしない。 当然、テレビからは全く声が掛からない。お笑いの世界で食っていくには、テレビで有名になるのが必須。従って、この人ビンボーだ。新聞配達をやりつつ、トイレ・風呂なし家賃二万三千円の四畳半で昼はラーメン、夜はコンビニ弁当の生活を送っている。 「例えばダウンタウンとか、テレビで受ける芸のマネをしても、しょせんは人まね。ふんどしは人と違った事をして生きる、という僕の生き方そのものなんです」 ただの無頼の輩ではない。高校では皆勤のうえ弁論大会で優勝したという真面目人間だった。慶応大に入学するも頭のネジがはずれ、「福沢諭吉がきらいだから」と言い残してお笑いの世界へ。高校時代の担任は「あんなに真面目だったのに、なぜ」と絶句した。 「四十、五十になって売れてなくても、悔しくない。自分の思う道を選んで歩んできた、という自信があるから。リストラの時代に会社にしがみついている人たち、お前ら本当に生きているのか?」 そう豪語する上園そんな。貧乏をものともせず、今日も元気にお笑いの形式破壊に挑戦する。 鳥肌実26は「異常なオヤジ」を専門とする「演技派」のとんでも芸人だ。演技があまりに巧みで、舞台を見た時は、この人本当に頭がおかしいのかと思った。 オールバック頭に白シャツ、なぜかオムツに赤いソックスという格好で登場。意味不明の独り言をつぶやく。 「今朝ワタクシ目を覚ましますと、ハ、スズメが交尾しておりましたc。あ、皇居に敬礼c。おお、それじゃアカハタ新聞配りに行って参ります」 完全に目が座っている。頬の筋肉がぴくぴく痙攣、体がヤク中みたいにがくがく震える。 「コンセプトは『42歳』です。厄年のオヤジが演じたい」 自分の教師、父親。道端や電車の中で唸っている危ないオヤジがいれば、小一時間じっと観察することも。それを持ち帰り、鏡を見ながら練習する。 「プラス自分の変態性。それらがミックスされて、最高の狂乱となるのです」 一年前まではサラリーマンだった。が、エレベーターで見知らぬ女性と二人きりになると「ああ忙しいよう、ボクもうダメなんですう」と泣きじゃくり、相手を怯えさせては喜んでいた。白昼渋谷を歩いていたかと思うと突然服を脱ぎ始め、全裸で闊歩したあげく、ごみ箱に頭を突っ込み逆立ち。日常生活でも全身不審人物である。 「テレビで受けるとか女性に受けるとか邪念を取り払って、自分にとって何がおかしいのか?と考えた結論が醜悪なオヤジなんです。だから最初から商品として成り立たない芸だな」 ぬくぬくした日本で、お笑い芸までがブルジョア化してしまった。笑いはもっと根元的で、本能に忠実なものだ、と鳥肌は言う。形式化、硬直化した既存のお笑い芸をぶち壊す。本当に自分がおかしいと思うものに忠実に。 「ボケと突っ込みとか形式ばかり勉強しているようなヤツは、サラリーマンにでもなれ!ダウンタウン路線はもういい!松×仁×なんて、もう芸人辞めなさい!」 ボソボソつぶやくような声。無気力、無表情。練習しない。なのに人気が高いのが野出亮26である。 例えば「NHKフランス語講座シリーズ」。まずテープのアナウンスが流れる。 bフランス語講座の時間です。今日の例文は「桃屋のマンゴーが来るよ」。はい、どうぞ。 野出がメガホンでつぶやく。 「オコサママテー」 bはい、もう一度。 「オコサママテー」 これで終わり。一部始終、まったく意味不明。無表情な野出が無意味な行為をひたすら厳粛に執り行う。「間」もへったくれもない。どこで笑っていいのかもよく分からない。 「あのギャグがどこから出て来るか、ですか?よく分からないんですc。あんまり客のことも考えてないしc。すんません」 うつむいてぼそぼそ語る姿は舞台とほとんど同じ。人に会うのが恐くて、2週間くらいアパートに引きこもることも。人前に出るのは苦痛だとさえ言う。 大阪出身。二十歳のとき上京、コンビニに就職するも、店の商品を盗みまくりクビに。求人誌で見た劇団の募集広告に「拘束時間のわりにカネが良さそう」と応募したのが始まりだった。お笑いでは食えず、新薬治検の実験台になって生計を立てている。 「何でこんなことやってんでしょうねc。よく分かんないんです。申し訳ありません・・」 「カルト芸人」「パラノイア芸人」「とんでも芸人」。そう呼ばれる芸人がぞろぞろ出てきたのは、94年ごろ。松本人志の『遺書』がベストセラーになった時期と一致している。 ボケと突っ込み、といった既成のお笑い芸の形式から大きく逸脱。下ネタ、皇室ネタに差別ネタ。正統お笑い芸が二の足を踏むタブー芸域にあえて足を踏み入れる。年齢は二十五から三十歳前後。とんでも芸人の祭典「やけど温泉」は吉本興業「渋谷公園通り劇場」の人気イベントになった。鳥肌や野出のライブは300人という集客を誇る。客のほとんどが20〜30歳だ。 「若い女性が多い。美大・芸大系というか劇団系というか、とにかく変わった女性が多いですね」 同劇場の奥谷達夫プロデューサーはそう言う。 「テレビでメジャーになったお笑い芸がつまらないから」 とんでも芸人勃興の背景について、関係者の見解はほぼ一致している。テレビは差別表現などタブーに敏感だ。が、食っていくためにはテレビ受けは不可欠。お笑い芸も自主規制せざるをえない。そのせいですっかり「刺」や「毒」がなくなった、というのだ。 このへん、とんでも芸人の先輩格に聞いてみよう。「とんでも落語」の立川談之助43である。 「純粋な笑いを目指す人ほど危ないネタに行くんですよ。自分がおもしろいと思うことをやりますから」 八十年代から、古典落語ではなく時事ネタを取り入れた創作落語を得意としてきた。政治ネタ、宗教ネタ、時には差別ネタと、禁断の領域に踏み込んできた。例えば、かつての持ちネタ。「昭和三偉人伝」と題して「池田大作伝」「昭和天皇伝」「赤尾敏伝」をやってしまう。「天皇陛下と赤尾さんはジャアント馬場と並んで尊敬する人物だから」だそうである。 田原トシちゃんを「歌がヘタ」とこき下ろして剃刀入りの手紙を受け取ったことも。右翼団体は言うに及ばず、××総連、△△学会、□□解放同盟からの抗議、クレームは数しれない。それでも、へこたれない。 「オウム真理教なんか誰も考えつかなかった事をやっちゃった。考えたギャグより現実の方がよっぽどおもしろいよね」 十九歳のとき立川談志に入門。当時参議院議員だった談志の私設秘書としてしばらく働いた。時事ネタのカンはそのとき培ったものらしい。おちょくりネタも取材とリサーチを欠かさず「噺の八割は事実」なのだそうだ。 「平等にいろんなモノを笑い物にするのが本当の笑いなんですがc。日本は自由に見えていろいろ大変ですからねえ」 談之助も、テレビの規制に不自由さを感じ、本領発揮の危ない噺はライブ芸に止めている。生活は成り立たず、結婚式やカラオケ大会の司会、果ては犬の散歩や田植えの手伝いまで引き受けている。 (AERA 96.10.26) |
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