ロンドンの街角。非白人系の姿を見ることが多い。



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ロンドン・音楽元気な多文化混血都市
ロンドンとニューヨークを比べると、ロンドンの方が白人音楽と黒人音楽の混血が進んでいる。かつて植民地だったジャマイカからの移民の影響力が大きい。

 

西洋ポピュラー音楽の二大発信地であるロンドンとニューヨークを比べると、ロンドンの方がはるかに非白人音楽に寛容である。  

ニューヨークには、白人・黒人・ラテン系にアジア系と、多種多様な人種グループが住んではいるが、音楽ではほとんど交わらない。曲そのものはもちろん、FMラジオ局、ライブハウスからバンド、観客に至るまで、人種ジャンルごとにすっぱりと分離している。保守的に見える英国の方が、実は懐が深いのだ。  

英国の白人層にもっとも強い影響を与えたエスノ音楽といえば、ジャマイカのレゲエをおいてない。  

九〇年代に入って、レゲエ色が濃厚なダンス音楽がまた英国で生まれた。「ドラムンベース」(『ドラムとベース』の意味)という。  基本はパソコンで作るデジタル・ダンス音楽だ。テクノ、ハウス、ジャングルといったジャンルの流れにある。他のダンス音楽を押しのけて、一気に主流になりそうな勢いで人気が伸びている。  

「演奏」場所はホール、映画スタジオ、遊園地など。三千人もの客が一晩中踊る(『レイブ』という)。踊る方は、黒人も白人もアジア系もごちゃ混ぜである。  ずぶといベースの低音と、踊らずにはいられない躍動的なリズム。そこにシンセサイザーやサンプラーの音が次々に重なっていく。リズムの渦に呑み込まれるような音楽だ。レゲエのように素朴な音楽ではないが、音の処理方法は明らかに影響が見て取れる。  

それも道理。ゴールディー、ファビオといったこのジャンルのスターたちの多くが、三十歳前後のジャマイカ移民二・三世なのだ。

「ドラムン・ベースは、イギリス生まれの黒人が生んだ初めてのオリジナルな音楽といえます」  

イギリスでレゲエアルバムのプロデュースに携わる花房浩一さん42はそう話す。  

レゲエとイギリスの白人音楽のつきあいは古い。  

ビートルズがレゲエのリズムを取り入れた「オブラディ・オブラダ」を出したのは一九六八年。七四年にはエリック・クラプトンがレゲエの名曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーしてヒットさせている。七〇年代後半、パンク・ニューウェーブが起きると、レゲエの影響はさらに濃厚になった。ポリスやUB40のようにレゲエをやりつつ上り詰めた白人スターが続出。「ダブ」というレゲエ独特の深いエコー処理を取り入れたミュージシャンは数しれない。  

なぜ白人と黒人の音楽が混合したのか。簡単である。同じ場所に白人・黒人がごちゃ混ぜで住んでいるからだ。

 英国の非白人人口は意外に多い。人口約五千六百十四万のうち、ジャマイカなどカリブ海系黒人は四十八万五千人。インド系(八十七万人)、パキスタン系(五十四万人)に次ぐ。都市部では、その比率はもっと大きい。  

一九五〇年代、まだ植民地だったジャマイカから宗主国イギリスに移民が大量に流入した。その多くは労働者階級の住むエリアで同じ労働者階級の白人と同居。そこで接触が始まった。  

ジャマイカ名物「サウンド・システム」を持ち込んだのも彼らである。広い会場で音楽をPAで鳴らし、踊る。元々は貧乏でステレオを買えないジャマイカ人のために作られた「野外ディスコ」みたいなものだった。それが英国では白人がジャマイカ音楽に触れる窓口になった。前述の「レイブ」の原型ともいえる。

「黒人も白人も一緒だっていうラディカルなアティテュードがある。若いがあまり金を持ってない労働者階級の音楽だってことは明か」  

イギリスのジャズ雑誌「ストレイト・ノー・チェイサー」のポール・ブラッドショー編集長はそう語っている(『リミックス』誌・九六年八月増刊号)。  

保守的なようで異文化に寛容。ただし「英語圏の文化に限る」という注釈が付く。実際、同じ黒人音楽でも、フランス語圏のアフリカ・カリブ海音楽にはあまり影響を受けていない。ここらへんが、またイギリス人らしいところだ。

(AERA 98.1.19)





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