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■消えない歌が背負うもの ブルース、パンク、沖縄

 



 
 沖縄は竹富島という離島にふらりと出かけました。石垣島から船で10分。直径2・5キロ、人口300人。エメラルドの海と白い珊瑚の浜以外には観光スポットも何もない島です。午後6時に民宿の夕飯が済むと、もう何もすることがない。座敷で寝ころんで煙草をふかしてたら、日焼けしたオジサンがふらりと現れました。同宿の客があっと声を上げました。安里勇さんという民謡歌手だったのです。


 ぜひ一曲ということで宿の主が三線を持ち出し、オリオンビールと泡盛が運ばれ、10人ほどの宿泊客を相手に民宿にて即席演奏会と相成りました。照れつつも安里さん、「安里屋節」「鳩間節」「花」など、1時間以上もゆったりと三線弾きつつ喉を披露してくれました。島を海風が吹き抜けてバナナの木がざわざわと鳴り、それがまた音楽の一部のように聞こえる。なんだか、異世界に連れ去られたようなひとときでした。


 歌が終わり、宴に酔いが回ってきたあたりで誰かが尋ねました。「沖縄では昔からの歌が今もたくさん歌い継がれているのはなぜでしょう?」。朴訥な安里さんはしばし考え、ぽつりと言いました。

「それは日常生活が苦しみだらけだったからです。そのつらい現実から絞り出すように歌が生まれた。だから、頭の中の空想だけで書いた歌はしばらくたつと消えちゃうんです」


 安里さんの話はこうでした。沖縄本島から約500キロ離れた八重山諸島は、琉球王朝と島津藩から二重の税を搾り取られた。15歳以上の島民は全員、米や織物の「人頭税」が課せられた。が、土地のやせた島々はそれを納めきれない。そこで「島分け」と称してさらに離れた無人島に強制移住させたり、それもできない島では堕胎や間引き、働けない老人や障害者を殺したりして頭数を減らす凄惨な行為が約300年続いた、と。一瞬、座がしんとなりました。


 現実が絶望に満ちているからこそ、せめて歌には希望を託したい。納得できる話でした。1930年代、人種差別と貧困で絶望の淵にいた米国の黒人は、かすかな希望をブルースに託しました。70年代、失業と階級差別に怒った英国の労働者階級はパンクロックを生みました。時代や文化を超えて魂を揺さぶるような歌は、苦しみや悲しみ、怒りがないと生まれないのでしょう。逆に言うとJポップがすぐ消えちゃう歌しか作れないのは、天下泰平な証拠なのかもしれんなあ、などと考えた沖縄の一夜でした。

(AERA 2002年09月16日)





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