(撮影:佐藤麗) |
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日本ではダンス・ミュージックの旗手としてしか見られないジャネット・ジャクソン。スーパースター、マイケル・ジャクソンの妹として過ごしたつらい青春の日々を率直に話してくれた。 |
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「いいえ、ちっとも失礼じゃないわ。だって、その通りだったもの」 静かな声だった。冬の東京で、ジャネット・ジャクソンは捨てられた子犬のように悲しげな目をして震えていた。口元だけが、張り付けたように微笑んでいる。 「悲しくても、いつも笑っていなさいって父に言われていたの。ハッピーなイメージだけをお客に見せろ、って」 物心ついた時には、兄たちの「ジャクソン・ファイブ」はすでに世界的大スター。マネジャーだった父親は、十歳のジャネットもスターにしようと芸能界に放り込む。その時から、彼女は自分の人生を失った。 「父はとても厳しかったわ。父に睨まれると、恐くてもう何も言えなかった」 「芸能界では、いつも大人ばかりに囲まれて、同じ年の友達もいなかった。普通の子供みたいな学校の思い出もないわ」 マイケルみたいなスターを家族に持つこと?それもつらかったな。友達だと思った人が、本当は兄に近づきたいだけだったりね。何度も何度も傷つけられたのよ。 「私、ガールスカウトに入りたかったの」 一気にそこまで言うと、彼女はふう、とため息をついた。 「他の女の子を見て、いいなあって思ってた。でも父親にはとても頼めなかった。回りの期待にとても敏感だったの。がんばって仕事しなくちゃ、とばかり考えてた。でも、ほんとにほんとにつらかった」 高校生になるころには、彼女は疲れはてていた。父の命令で、やりたくもないアルバムを吹き込み、くだらないテレビ番組にも嫌々出た。大学でビジネスと法律を勉強したいという願いも聞き入れられず、十八歳で結婚に突き進む。が、それも半年で破局。何もかもが嫌になっていた。 成功のきっかけになるアルバム「コントロール」を作ったのはそんな時だ。自分の人生は自分でコントロールする、という宣言のつもりだった。 「あんまりつらいんで、もうイヤ、自由にさせてって言ったの。このアルバムが私の人生の始まり。家出、独立の宣言ね」 最新作「ベルベット・ロープ」で、彼女は家庭内虐待への激しい怒りをたたきつけている。自分の内面の怒りや憎しみ、苦痛を一つひとつ見つめた、今までで一番内省的な作品だ、という。 「自分と同じように苦しんでいる人たちに、立ち上がる強さをあげたい。それが、私の歌の究極の目標です」 しかし、こうした彼女の真摯な側面に米国のメディアは目を向けない。歌も踊りもヘタだ。音楽が兄マイケルに似すぎている。そんなことばかり書いている。 「マスコミは分かってくれないのよ。分かる?自分を見つめる作業って、本当につらいのよ。彼ら、そういう経験がないのね」 時間が来て、彼女は席を立った。隣室でテレビの眩いライトが待ちかまえている。 「私のこと、理解してくれて本当にありがとう。また、お話しましょうね」 そう言って振り向いた彼女の目が、涙で濡れていた。泣いていたのか、それとも東京の寒さのせいで引いたという風邪のためなのかは、分からない。 ●Janet Jackson 1966年6月16日インディアナ州生まれ。2歳でロスに移る。9人姉兄の末っ子。 兄の一人がマイケル・ジャクソン。父は元ギタリスト、兄ジャーメイン、姉ラトーヤも有名なミュージシャンという芸能人一家に育つ。兄5人のグループ「ジャクソン・ファイブ」の前座として7歳でデビュー。テレビドラマの子役としても活躍。 不遇時代のあと「コントロール」(86年)「リズム・ネイション1814」(89年)が800万枚を超える大ヒット。今では兄マイケルをしのぐ八千万ドルの契約金を取る。 最新作「ベルベット・ロープ」(97年)では、SMや同性愛などの性的テーマも大胆に歌っている。本人によれば「どれも自分の人生の一部だから」。 (AERA 98.1.19) |
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