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「AERAの表紙にする」と言ったのに「忙しいから」とついに取材に応じなかった。大物だ



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奥田民生
最近は井上陽水との共演やPuffyのプロデュースが有名。格好をまったくつけない自然体の人。お父さんも傑物だった


最近、奥田民生は忙しい。九五年十一月に「Puffy」の「曲作りに取り掛かって以来、自分のコンサートで全国を回り、井上陽水と曲作りに録音に公演、またPuffyの新曲、さらにニューヨークで自分のアルバムを録音と、仕事に切れ目がない。全然、休んでいないのだ。

が、努力しても表に出すのが格好悪いと考える人である。
一曲の間にピーピーと百三回歌うから、題名は「103」。釣りに行く途中で立ち寄った食堂の名前から「侘び助」。好きな釣りの手引きを男女関係になぞらえ「手引きのようなもの」。曲は工夫の限りを凝らしているのに、詞の内容はのんびり・ほのぼの、ユーモラス。どうも、わざととぼけているフシがある。

「コーヒー」という曲がある。外は雨が降る部屋の中。テレビが喋っている。そう、井上陽水の名曲「傘がない」とまったく同じ状況設定なのだ。が「都会では自殺する若者が増えている」と、学園紛争終了後の虚脱感を表現した陽水に対して、奥田は「休みが必要だ、一息入れろ」と歌う(奥田本人はこの類似は偶然、という)。陽水が七〇年代の空気を敏感にすくい取ったように、奥田も九〇年代の空気を見事に表現している。

奥田は二十二歳で東京に来るまで広島市で育った。今も東京は苦手で、広島がいい、という。
「東京は天気が悪いです。人が多すぎです。広島は天気がいい」

父幹二55は、元国鉄の機関士。社会党系組合員が九五%の国鉄で共産党系組合に身を投じ、二十年以上労働運動まっしぐら。十二年間市会議員を勤め、今はスナックを経営。独立独歩、マイペースな性格はこの父親譲りらしい。
組合仲間の投票で、息子を「民生」と名付けたというだけあって(ちなみに他は『平和』)、奥田家には夜ごと運動家仲間が集まり酒を飲み、労働歌や植木等を放吟。このへんが音楽家・奥田民生のルーツになる。
「民生は労働歌をよう覚えとってね。五歳かそこらで、三池闘争の歌を六番まで全部歌いよった」音感は抜群に良かった。エンジンの音だけで車の種類を次々に言い当て、周囲を驚かせたことがある。三歳のころである。

「母ちゃんが音楽好きで、家には観音開きのステレオがあり、プレスリーやポールアンカとか青江美奈とか民謡とかありました」
加山雄三、クレイジーキャッツに笠地シズ子。奥田の「お気に入り」は、今もどこかオッサン臭い。

「面倒くさがりなので、苦労してレコードを探すことはしません」
普通ロックミュージシャンというと洋楽の勉強量を競いたがるのに、奥田はあっさりそう言うのだ。広島にあまり輸入盤がなかったこともあって、好きな洋楽といえば、ビートルズを中心にスライ&ファミリーストーン、サンタナにツェッペリン。がっかりするほど平凡である。

Puffyが売れに売れた今も、奥田は「プロデューサーとしての意欲はありません」と言う。良い曲があれば自分の方に回しちゃう、と雑誌のインタビューでも言っていた。もともと「流行りもの」にあまり興味を示さない人なのだ。

「パフィーのおかげで、自分の方(音楽)は趣味に近くできます」
「後で楽するために、今その下地作りをしています。大人だ」

茨城県は霞ヶ浦近くに、録音スタジオを備えた自宅を建築中だ。「音楽は一生飽きることのない趣味」という奥田の、釣り・音楽三昧人生が実現する日は近い。

(AERA 97.5.12号)




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