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出会って25年、バンドをやって18年。20歳の子供がいるようには見えない。元気の素はロックンロールか?



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鮎川誠&シーナ
おしどりロック夫婦、AERAの表紙に登場!取材後に、お二人からメールや葉書をいただきました。ロック界では珍しいことです。感動的なほど良い人たちです。


「ロックはもの心ついて最初に夢中になって、今でも夢中なもの。はっきり言ってロックにしか影響受けとらん。好きやけえ、ずうーっとやっとるという感じよ、うん」

ロックの話になると鮎川誠は饒舌だ。5分でも10分でも、一人滔々と博多弁で話し続ける。シーナはじっと聞いている。僕はロックで知らん事があると気が済まん、と夫が言えば、そう、オタクねこの人、と言葉を添える。そして二人で微笑んでいる。お互いによれば、パソコンの好きな夫は頭脳型。サイコー、好かん、で判断する妻は感覚型なのだそうだ。

痩身、黒服にエルビス腕時計をした鮎川。黒革の上下に長い髪、銀のマニキュアのシーナ。夫ギター、妻ボーカル。出会って25年、一緒にプロバンドをやって18年。そこにいるだけで、ビートが聞こえてきそうな筋金入りのロックンロール夫婦だ。

革ジャン。バイク。サングラス。英米のロックの名曲を髣髴とさせる曲の数々。アルバムのタイトルはと言えば「ロック・イズ・オールライト」に「ロックオン・ベイビー」。聞く方が気恥ずかしくなるほど素直に、ロックへの憧れを歌ってしまえる二人なのだ。

「自分と仲間だけで、誰にも口挟まれんで音楽を作るっちゅう独立心とか自由の精神。ロックはそういう夢を与えてくれたね」

二人が青春時代を過ごした60年代の博多にはまだ米軍基地があり、FENが遥かな米国や英国で生まれつつあった新しい音楽を、この純日本的な街に運んでいた。憧れのローリング・ストーンズに混じってギターを弾く夢を見る。布団に頭を突っ込んで「おらび」(叫び)まくっては歌の練習をする。鮎川少年はそんな日々を送っていた。二人が初めて外国の地を踏むのはずっと後、81年に米国へ行った時である。

「僕らのロックへの思いって、個人的なイマジネーションの問題なんですよ」
近くで見ると、鮎川の瞳はグレーだ。アメリカ軍人の父と日本人の母を持つハーフなのだ。彼は、父親に会ったことがない。
「父が転任する時に、母は残ると決心した。でも連絡はずっとあった。僕は一生懸命ローマ字覚えて書いて送って、オヤジはまた日本語をローマ字で書いて送って。が中学生の時、亡くなったちゅう通知が来た」

幼い自分を抱く異国人の父の写真。父が家に残したフランク・シナトラやビング・クロスビーのレコード。それが鮎川のアメリカとの最初の出会いだった。そんな父への憧憬と、ロックへのあこがれは、どこかで共鳴しているように思える。

「そうかあ、考えた事なかったなあ…」
その時だけ、饒舌な鮎川がしばし考え込んだ。自分も親になって、ずいぶん人生が変わった経験があるのだそうだ。
「もう生活かかっとるし、ロックの理念とか言うとられん。誰にでも頭下げたし、仕事があればデパートの屋上でも演奏した」

そう言えば、楽屋でくつろぐ二人がこんな会話を交わしていた。
「チエちゃん、一日本読んでゲームやろ。目悪うならんか心配よ」(シーナ)
「塾にも行くしなあ。家におりとうないんやろうか」(鮎川)
それはもうすっかり、娘を案じる父さん母さんの会話なのだった。

(AERA 96.6.3)

1948年5月2日 鮎川誠、福岡県久留米市に生まれる。九州大学農学部卒。
53年11月23日 シーナ、北九州市に生まれる。本名は悦子(えつこ)。
78年10月 「シーナ&ロケッツ」結成、アルバム「#1」で全国デビュー。鮎川のギター、シーナのボーカルにベースとドラムを加えた4人編成。鮎川はそれ以前も「サンハウス」というバンドで10年近く博多で活動、高い人気を誇っていた。
79年10月 アルバム「真空パック」発売。「ユーメイドリーム」がヒット。東京に移る。
81年9月 アメリカでアルバムを発売。
82年11月 シーナが出産のため休業。84年4月に復帰するまでの間、鮎川はソロ活動。
93年12月 ニューヨークのパンクロックのゆりかご的クラブ「CBGB」20周年記念コンサートに招待される。
現在までに出したアルバムはソロ、ベスト盤含め計45枚。「http//www.rokkets.com」で鮎川手作りのホームページ開設中。東京在住。19歳を頭に娘が3人いる。





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