![]() この人のライブを初めて見たのは筆者が18歳の時だった。彼は19歳。「INU」というバンドでしたっけ |
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町田康 ロック界一の孤高の才能。薄っぺらな日常を蹴破る言葉の荒法師。AERAの表紙に登場した後に芥川賞にノミネート。瞬く間に有名人になってしまった。 |
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「四苦八苦するうじ虫に/暴力的言辞/「僕はあなたが大好きだ」/強風になびく美しい笑顔に/定着液をふり注ぎ/花をそこらへんにそっと置く/砕けたひざの上方で/得るものは平安」(「四苦八苦」より) 空虚な横文字を並べてよしとする日本のロック界にあって、詩人として通用する 希有の才能である。うどん、阿呆に百貨店。駐車場に佇むヨハネや厚化粧のモーゼが出てきたかと思うと。インチキ坊主やレゲエ野郎が躍り込む。町田がつむぎ出す言葉は、ぺらぺらの日常風景を蹴破り、向こう側にある情念の世界をぬるりと掴み出して見せる。 「詩人と歌手は本当は一緒でないといかんと思うんですよ。人間には、言葉を唄うのが先にあって、文字に記録するのはむしろ後からできたのではないか、と」 穏やかな関西弁である。表紙の撮影で見せた獣のような眼光はもうない。自宅で愛用の木机に座り、この辺が好きですね、と彼が指さす本棚を見れば、井伏鱒二や永井荷風、万葉集に、落語や浪曲のテープが並んでいる。 「例えばロック辞書というものがあるなら、それに出ている言葉は絶対使わない。日本のロックであなた方という二人称を使ったのは、僕が最初じゃないですか」 早寝早起きである。6時か7時には起き出して午前中に執筆。夜は晩酌をして10時には寝てしまう。覚醒時の夢うつつの瞬間によく言葉が浮かぶのだそうだ。壁といわず机上といわずミスコピー紙を裁断したメモがあちこちに散らばり、言葉が書き付けられている。 「僕の詩は基本的に出たなりなんです。読んだもの、聴いたものとかが自然に自分のなかから出てくる。大阪弁も入るし落語も入るし浪曲も入る。雑食性ですね」 数日前、町田のステージを見た。変幻自在の歌である。ある時は野武士のように叫び、ある時はアナウンサーのように語り、またある時はヤクザのように凄む。どこで息をするか。どんな声で歌うか。メロディ。リズム。アクセント。音は無味乾燥な言葉に無限のニュアンスを与えてくれる、という町田の言葉通りだった。 曲の演奏が終わるたびに、後ろに手を組み、律儀に客に一礼する。舞台を降りるときは、バンドのメンバー一人ずつと握手し、労う。そんな彼の姿は、ロック歌手というよりは「芸人」の風情だ。 「その場の空気とか、客のリアクションを含めて自分の表現だと思っています。見る者なしには成り立たないんですよ」 強い影響を受けたのは、大阪の大衆芸能だ。育った団地の一室には、ステレオやピアノはなく、代わりにテレビと三味線が鎮座していた。町田少年が最初に心奪われたのは、音楽ではなく、テレビ・ラジオから流れる上方落語と河内音頭だった。 「やっぱり、演芸番組が多いという大阪の土地柄ですかね。松鶴とか米朝とか春団児とか。あと仁鶴も。落語や浪曲は、持ってく力ちゅうのは大したもんやと思う」 ロックに目覚めたのは中学生のころだ。当時世界を覆っていたパンクロックが、町田少年を直撃した。 「それまでのロックと違て、卑近なことを歌うんですよ。カネがない、とか。じゃあ自分も歌詞を書くにあたって空疎な言葉じゃなく日常的な言葉を使っていこう、と」 今でも、肩書きを求められたときはパンク歌手、と言う。もはや死語に近い「パンク」を敢えて称するのは? 「破綻。あるいは異端かな。私は、敗北していくもの、滅んでいくものに惹かれますから」 例えば? 「んー、例えば阪神タイガースとか」 そう言うと、けらけらと笑った。なるほど、この人は大阪人だ。 (AERA 96.2.19) 1962年1月15日 大阪府堺市生まれ。大阪市住吉区の「普通のビンボーな家」で育つ。家族は両親と妹。 77年 パンクロックに刺激され、初のバンド「腐れおめこ」結成。 81年 バンドINUのアルバム「メシ喰うな!」でデビュー。「アホみたいでおもろいから」と考え町田町蔵と名乗る。映画「爆裂都市」に出演。 84年 「1週間くらいで帰るつもりで」紙袋一つ下げて上京、そのまま今日まで東京に住みつく。 86年 カセットブック「どてらい奴ら」発表。 87年 ミニアルバム「ほなどないせぇゆぅね」発表。 88年 維新派の劇「view」に出演。 89年 維新派「INDEX」に出演。 91年 映画「熊楠」に出演。南方熊楠の青年期役を演じる。 92年 アルバム「腹ふり」、初の詩集「供花(くうげ)」を発表。 93年 散文集「壊色(えじき)」を発表。 94年 アルバム「駐車場のヨハネ」発表。 95年 アルバム「どうにかなる」発表。本名の「町田康」名義に戻す。 INU以降、FUNA、至福団、人民オリンピックショウ、絶望一直線、愛慾バンド、婬如上人&ミラクルヤングなど作っては壊したバンドは数知れず。 現在は東京に妻敦子さんと暮らす。 |
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