やっぱりアーティストだから音楽のことだけしゃべりたいですよね |
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田島貴男 ストイックな人だ。服や食べ物にはあまり構わない。 「他の人が朝から会社行くように、音楽が仕事ならみなさんそうですよ」 |
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体を折り曲げるように礼をしながら待ち合わせ場所に現れたその男が「ロック界一の伊達男」田島貴男だとは、ぜんぜん気が付かなかった。だって、格好がジミすぎる。白Tシャツ、灰色のベストにダブダブの白い綿パン。おまけにタオル地の野球帽。 だいたい、自宅から乗ってきたという車がカローラのライトバンだ。それも彼が運転して、マネージャーが後に乗っている。これって、普通は逆じゃないのか。 「誰も僕だって気付かないんスよね」 本人はそう言って笑っている。こりゃ言っちゃ何だが、ダサい兄ちゃんだ。おいおい、表紙の撮影だぞ、大丈夫なのか? が、心配は無用だった。スタジオに入るや、お付きのスタッフ3人がてきぱきと化粧を施し、衣装を着せた。魔法のように、どこかの雑誌のグラビアで見た「オリジナル・ラブの田島貴男」がそこに立っていた。 田島貴男の経歴は賞賛に満ちている。アメリカの黒人音楽はもちろんのこと、ラテン、ギリシア、果てはアラブ音楽まで貪欲に吸収、都会的なポップスに仕上げる才能。 コンサートの客の7割は女性だ。身長183。手も足も思いきり長い田島がギターを弾き歌うと、男も女も憑かれたように手を打ち体を揺するのだ。音楽にうるさい男性ファンにも、目の肥えた女性ファンにも愛される、希有の存在なのだ。 質問には丁寧に答える。礼儀正しいし腰も低い。文句なしの好青年なのである。 それが、1時間半のインタビューで1回だけムキになった。あなたは世界中の音楽をよく勉強しているけど、日本的な要素だけが抜けてるね、と私が言ったときだ。 「でも、その日本の文化ってのはどういうものなんですか?」 きっと私を睨み付けた。 「日本文化もアメリカの文化もわけ分かんなくなっちゃってる所から始まってるのが、僕らの世代ですよ。雅楽とか民謡とか、いま東京に住んでいてリアリティがありますか?」 その後ぽつりと言うのだ。昨年、生まれて初めてカラオケに行ったんですよ、と。 「カラオケって、日本の民族音楽みたいですね…。ポップスでも演歌でも、どっかしら似たものがあるんですよね…」 彼が外国へ行ったのごく最近だ。音楽はすべてレコードから吸収する。自宅に四千枚のCDを持ち、月に30から40枚は買う。「勉強」は果てることがない。 レコードが出るペースも早くなってるし、マジックの仕掛けがバレやすくなってますよね。そんな中で耳の肥えた日本の音楽ファンにいいね、と言わせるのは、すごく大変なんですよ。そう言って溜息をつくのだ。 「テレビで将棋の羽生名人が言ってたんですよ。昔は将棋の手が1年は持った。今は解析ソフトとかあって1ヶ月しか持たないって。親近感持ちましたよね」 午後1時から10時くらいまで自宅近くのスタジオにこもって作曲に励むのが日課だ。食事も出前で済ませてしまう。それじゃ、休みはどう過ごすんですか、と尋ねたら「はい、家族と…」と言いかけ、マネージャーの方を向き「あ!これは言っちゃだめなのか」と慌てて口をつぐんだ。以前、写真週刊誌に家族を写され激怒して以来、私的なことは話さないようにしている。 贅沢を好まず、仕事には一生懸命。しかも優秀。言われたことは守る。家族を大切にする。そう、どこの職場にも一人はいる、模範社員みたいな男。それが田島クンだ。 1966年4月24日 東京生まれ。会社重役の父親の転勤で、小学校を横浜、中学校を兵庫県芦屋市、高校を福島県郡山市で過ごす。中学で作曲を始め、パンクロックの洗礼を浴びて高校時代にバンド活動を始める。 86年 和光大学在学中に「レッド・カーテン」を結成。 87年 「どんな音楽にも違和感がないように」とバンド名を「オリジナル・ラブ」に変更。88年にデビュー、今日に至る。 91年 アルバム「LOVE!LOVE!LOVE!」が日本レコード大賞を受賞。 92年 アルバム「結晶」 93年 アルバム「EYES」 94年 アルバム「風の歌を聴け」 95年 アルバム「Rainbow Race」 96年 アルバム「Desire」 出すアルバムは軒並み数十万枚の売り上げ。テレビやラジオのパーソナリティ出演や、ドラマの主題歌、CMソングは数知れず。石田純一、本木雅弘や小泉今日子にも曲を書いている。趣味は中古レコード収集。東京在住。 |
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