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実物は背の低い太ったオジサンでした



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ポールサイモン
ポピュラー音楽の「楽聖」の一人、ポール・サイモン。その才能は万人が賞賛するところだが、どうも行動が脳天気。反アパルトヘイトの絡みで猛烈な批判を浴びた時の話


十月、ポール・サイモンが九年ぶりにコンサートのために日本に来る。「サイモンとガーファンクル」(S&G)で、カーリー・ヘアのアート・ガーファンクルと組んでいつもギターを弾いていた、あのポール・サイモンである。

例えば、ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」のテーマ曲「ミセス・ロビンソン」(一九六八年)。「明日に架ける橋」(一九七〇年)。サイモンの歌に、青春時代を思い出す人は多いだろう。
「卒業」の主人公のような、育ちの良い、ナイーブな青年。そんな視点から恋や人生を歌うのが、サイモンの持ち味である。

その彼も、今年四十九歳。ポップスに与えた影響の大きさでは、ビートルズと並ぶ大物である。加えて、イギリス人のビートルズと違い、サイモンは生粋のニューヨーカー。アメリカ人が彼に抱く尊敬と愛着は、ビートルズ以上のものがある。
八月十五日には、ニューヨークのセントラルパークで開いた無料コンサートに、五十万人という大観衆を集めた。

そのサイモンが、アルバム「グレースランド」を一九八六年に発表したときは、激しい論争を巻き起こした。
このアルバムは、彼が南アフリカ共和国へ出掛け、現地のミュージシャンをバックに録音したもの。これが、南アフリカとの文化交流を禁じた反アパルトヘイト・ボイコットを破ったとして、サイモンは集中砲火を浴びた。
ロックの起源は黒人音楽であり、アメリカ音楽界は人種問題にはことさら敏感だ。サイモンは虎の尾を踏んだようなものだった。
コンサートにデモをかけられたり、他のミュージシャンから公開質問状を突き付けられたりした。

日本では「フォーク歌手」の名を冠せられるサイモンだが、民族音楽を元にして、洗練されたポップソングを数多く生んできた。南米インディオの民謡をアレンジした「コンドルは飛んでゆく」はよく知られている。
七三年には、ジャマイカのレゲエを取り入れた曲を発表。欧米ポピュラー界がレゲエを取り入れるのを、五年は先取りしていた。

サイモンは、共演したかった南アフリカのミュージシャンが国外へ出ることを禁止されていたため、仕方がなかった、と反論した。
「(南アフリカで演奏するのは)ユダヤ人虐殺が繰り広げられている時にドイツへ行ってコンサートを開くようなものだ、ということは分かっていた。だが、僕はユダヤ人のためを考えたからこそ、一緒に演奏したんだ」
サイモンはユダヤ人なのだ。

一般に、アメリカではユダヤ人は黒人を蔑視している、というステレオタイプがあることや、アフリカ民族会議(ANC)が親PLOであることも、事態をこじらせた背景にある。
「南アフリカの音楽を紹介しようとした姿勢は評価できる。が、方法があまりに子供っぽい」
反アパルトヘイト運動に熱心なことで知られるミュージシャン、ピーター・ガブリエルはこう批判した。

サイモンほど、陽の当たる場所ばかりを歩んできたミュージシャンは珍しい。
プロとして、初めてヒットを飛ばしたのは、わずか十五歳のとき。「サイモンとガーファンクル」時代も、作詞・作曲の作業は、ほとんどサイモン一人がやっていた。
一生に一度でも取ればたいへんな名誉とされる「グラミー賞」を、十一回も受賞。作品を発表すれば、例外なく絶賛を浴びてきた。

しかし、一九八〇年代に入ってからのサイモンは、「S&G」を再結成してみたり、俳優業に手を出したりと、創作ペースは落ちていた。大胆にアフリカのリズムを取り入れた「グレイスランド」は、彼にとっては起死回生の試みだったはずである。

「ボイコット破り」で激しい非難を浴びながら、音楽的な面での「グレイスランド」の評価は高く、その後、サイモンはアフリカ指向のアルバムをもう一枚作っている。
来日公演は、アフリカ人ミュージシャンをバックに、行われる予定だ。

日本では、いまだに「S&G」の印象が強いのか、世界で一千万枚売れた「グレースランド」が、たったの七万枚しか売れていないそうである。




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