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オレがベンチャーズだ!
地方では今でも強力なベンチャーズ人気。各地にあるご当地ベンチャーズを訪ねた。このマニアックな愛情、侮るべからず。


オレが死んだら、葬式でベンチャーズを演奏すること。これが、高松一博さん52の四人の息子たちへの遺言だ。

九歳から十五歳の高松四人兄弟がベンチャーズのコピーバンド「TONTON」を作ったのは、九三年。宇都宮市に来たベンチャーズのコンサートを家族で見に行ったのが始まりだった。
練習は、平日は学校から帰宅後夜八時まで。日曜日だと十時間も。当然オヤジのコーチ付きだ。
「ビシビシやりますから、時には泣きながら弾いてます。勉強は学校で終わり。家ではバンドです。塾なんか当然行かせません」
まるで「巨人の星」である。
練習のかいあって、演奏力は子供離れしている。ベンチャーズ看板のデンデケ音について
「決まるとすっきりする」
ギターの三男勇志君11はそう言うまでになった。

今やレパートリーは四十曲。寺内タケシとか坂本九とか、年齢のわりに選曲がやや古臭いのはオヤジの影響らしい。
地元・宇都宮でワンマンコンサートをやれば五百人は動員。七十四歳のサダばあちゃんを最高齢に戴くファンクラブもある。老人ホームや福祉施設の慰問に引っ張りだこで、半年先までスケジュールは一杯だそうだ。九三年七月には、ついに本物のベンチャーズと東京・中野サンプラザの舞台を踏むに至った。

「僕が若いころはバンドが組みたかったのに、ビンボーでギターが買えなかった。バンドは僕の夢だったんです」
新聞販売店に勤める高松さんは好きなゴルフも煙草もやめ、息子たちに夢を託している。

「青森ベンチャーズ」「富山ベンチャーズ」など各地のご当地ベンチャーズバンドは無数にあるが、中でもマニア度ナンバーワンと呼ばれるのは「広島ベンチャーズ」の西村真次さん39である。

 ベンチャーズ活動に専念するため、会社を辞めたのが八四年。三年前、家と土地を担保に、五千万円を投じて念願のベンチャーズ専門のライブハウス「海賊ジャック」を広島市の繁華街に開いた。隣でオールディーズ専門レコード店も経営する。
それだけではない。店のステージが空いている日は、打ち込みのカラオケをバックに、一人ギターを手にベンチャーズナンバーを弾きまくる。

「私が小学生の時が大エレキブームでしてね。同級生のお兄さんがレコードをかけてくれたんです。エレキというのはかっこええなあ、こらあ自分もやらんといけんわ、と思ったんです」
新聞配達に励み、やっとの思いでギターを買ったら、ブームは終わり。しかし西村少年はあきらめず、毎年夏は野宿しながらベンチャーズを全国を追いかけ回した。ついには機材運びのバンドボーイにもぐり込むことに成功。今も、夏になると店を任せて最低十回はコンサートに足を運ぶ。
ここまで好きなら思いもかなう。今では、ベンチャーズのメンバーとも、アメリカの自宅を訪ねる仲だ。彼らからプレゼントされたギターやゴールドディスクが、店に並んでいる。

「もう生活がベンチャーズを中心に回っていますからね。ここまでやるとやり過ぎですよねえ」
そう言いながらも、ベンチャーズ人生を語る西村さんは恍惚の表情を浮かべるのだ。

似た人は福島市にもいた。スナック「MOKK」を経営する木本裕さん37だ。 木本さんの得意技は「一人ベンチャーズ」。リズムマシンをバックに、ベースペダルを足で踏みながら、二人分のギターを弾く。バンド四人分の演奏を一人でリアルタイムにやってしまうのだ。

木本さんは、ベンチャーズの中でも初代ギタリストのノーキー・エドワーズ在籍時しか認めない。九三年八月、私財百万円を出して本物のエドワーズのコンサートを福島市内のクラブで開いた。帰りにエドワーズを自分の店に招待し、あこがれの人の前で「一人ベンチャーズ」を披露したのだ。 「人生二十数年の夢がかなった。もう頭の中は真っ白」

「北海道の山奥の炭鉱街」の小学生だった木本さんがベンチャーズと出会ったのは、兄が持っていた赤いペラペラのソノシートだった。小遣いをためて初めて買ったのが三百七十円のシングル盤の「キャラバン」。その後は、ギター人生まっしぐら。大学卒業後、三十二歳まで千葉県の酒場でカラオケ代わりの流しをやっていた。一人バンドはそのころ覚えた技だ。




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