logo_s.gif (1064bytes)



i_1.gif (437bytes)
ベンチャーズ日本ツアールポ
ベンチャーズほど息長く日本人に愛されているバンドもない。そしてベンチャーズほど日本のファンを愛するバンドもまたなし。この相思相愛の姿、感動的です。


アロハシャツが太鼓腹で膨れた白髪のおじさんは、そう叫ぶやギターをさっと構えた。間髪を置かず、聞き覚えのあるイントロが耳に突き刺さってきた。
 デケデケデケデケー!
一九六三年生まれ、ベンチャーズなんかロクに聞かなかった私でも、この曲は知っていた。六四年の大ヒット曲「ダイヤモンド・ヘッド」である。

五百五十人という小さな会場を埋める四十代とおぼしきオジさん、オバさんとその子供たち。開演前まで、ちんまり行儀よく椅子に座っていた彼らが、何と!幕が開きベンチャーズが演奏を始めるや、狂おしく身を揺すり、手拍子を打ち始めたではないか。

「ミナサーン、コトシモマタ、ニホンニクルコトガデキテ、シアワセデース」
「コザケーの皆さん、シアワセですか?」
舞台のベンチャーズが床に置いたカンニングペーパーを読みつつ挨拶する。客席から「イエー」「偉いもんや」と声が飛ぶ。

「長時間立ち続けはしんどい」という高齢のメンバーの要望により、途中十五分の休憩をはさみ約一時間半。「キャラバン」「パイプライン」など六〇年代のヒット曲。「雨の御堂筋」「京都慕情」などベンチャーズ作曲の歌謡曲。そしてなぜか「いとしのエリー」まで。アンコール二回を終えると、花束を抱えた女性の一群が係員の制止もきかず舞台に駆け上がり、メンバーをもみくちゃにした。

こうして七月十二日、愛知県宝飯郡小坂井町にある町文化会館は、千三百七十九回目のベンチャーズ来日コンサートになった。名古屋から電車で四十分。人口二万人余り、特急電車も止まらない小さな町だ。
ベンチャーズの来日記録はすごい。六二年の初来日以来、今年で三十一回目。六月十九日の宮崎県日向市から始まり、九月二十九日の神奈川県川崎市まで、約百日間に八十二ケ所で演奏する。日本でのコンサート回数は千三百五十回を越え今なお「世界最多記録更新中」というから恐ろしい。

ロビーは盛り上がったおじさんたちで一杯だ。
「やっぱ、ベンチャーズ聞かんと夏が来んもんなあ」
「もう、今日は仕事が手につかなくて休んじゃいました。名前?いやー、勘弁してください」
楽屋に藤田享町長が飛び込んできた。メンバー一人ずつと握手のあと、記念写真に収まる。
「いやもうねえ、このコンサートはウチの町の定番にせい、と言うとるんですわ。日本に来るかぎり毎年やってほしい」
「クラシック以外は音楽でない」と言っていた町長も、昨年ベンチャーズを見てすっかり転向してしまった、というのが町の評判だ。

このコンサート、実は町教育委員会主催の行事だ。新しくできたホールのために「何か客を呼べる企画を」と、昨年初めてベンチャーズを呼んだ。すると、チケットは発売後三十分で売り切れ。買いそびれた人の苦情が殺到して町議会で問題になり、町幹部が陳謝するという事態にまでなった。

コンサートが終っても、小坂井町民の興奮は醒めない。会場近くのスナックで、地元のファンがベンチャーズの面々を招待して打ち上げ宴会が始まった。
「やっぱりね、自分の故郷のホールでベンチャーズを聞けたというのは一番感動しました」
昨年に続き、約四カ月かけてコンサートを準備した山本保雄さん42は言う。本業は町役場の係長さん。そちらは休んでのボランティアだ。教員や獣医など、そろいのベンチャーズTシャツで決めた仲間が三十人駆けつけてきた。
山本さんは、小六の時ラジオで耳にして以来のベンチャーズ狂である。隣の豊橋市で同好の士とベンチャーズバンドを組んでもう八年にもなる。
山本さんが中学生のころ先生だった大河内正万・町文化会館館長63は、隣でしみじみ言う。
「昔は中学生がみんなエレキやりたがって困ったがねえ。その人達がいま成長してベンチャーズを支えとるんだな」

ビールと焼き鳥の乾杯が終わると、店内は町民会館から押しかけてきた客とのサイン・記念撮影大会と化した。
「いやー、もう長年どこ行ってももこんな調子だからねえ」
冒頭の太鼓腹ギタリスト、ドン・ウィルソン65は驚く様子もない。横で鶏の空揚げをおかずにドンブリ飯をほお張るベースのボブ・ボーグル61と共に、三十七年前からの創設メンバーだ。
やがて夜も更け、名古屋の宿へと帰るメンバーの乗った車を、一同は「ベンチャーズばんざーい」と万歳三唱で見送った。
「また来年ねー」
町の衆も散っていく。傍らの女性がつぶやいた。
「これって、年に一度の夏祭りなのよねえ」

翌日ベンチャーズは、新幹線で静岡市へと向かった。
「初めて来たころは、日本には新幹線も高速道路もなかったよなあ。コンサートが終わったあと、でこぼこ道を夜通し車で飛ばして次の会場へ行ったもんだ」
ボーグルがしみじみ言う。ウィルソンが続けた。
「そう。あのころは夏なのにエアコンもない旅館に泊まってね。今はずっと楽だよ」

いや、今でも楽なツアーではない。交通の不便な僻地には、ワンボックスカーで訪れる。数年前には、岩手県釜石市での公演のあと夜行列車に飛び乗り、東京で飛行機に乗り換えて翌日長崎市で演奏する、という離れ技をやってのけたこともある。請われれば、愛媛県伯方町のように、フェリーでしか行けない瀬戸内海の島にも足を伸ばす。
「寝ずに移動する日をKデイって呼んでるんだ。『殺されそうな日』って意味さ」
隣でゲームボーイに興じていたドラムのメル・テイラー61が言った。ウィルソンは二人、テイラーは九人の孫がいる文字通りのじい様ロッカーである。それでも「休むと調子が狂う」と言ってほとんど休みを取らない。

ツアー中の彼らの典型的な一日はこうだ。
朝は八時ごろに起床し、散歩。昼は移動し、会場に着いたらリハーサル。本番が終わったら寄り道せず宿へ直行。すぐ寝る。本当は煙草も酒もやらない。全ては演奏に備えて体調を整えるためだ。

辺鄙な土地なら、街の喫茶店でモーニングを食べることもあるし、街の居酒屋で夕食を食べたり、スーパーで刺し身を買って、宿で醤油をかけて夕食にすることもある。そんな時でも、必ず本人が買い物に行く。漢字は読めないのに、なぜか好物のハマチをちゃんと買ってくる。
楽屋で暇な時は、高校野球や相撲をテレビで見ては声援を送る。日本語はほとんどダメなわりに、ひいきの高校も力士も、それぞれちゃんとあるらしい。
「私が行ったこともない街で泊まっても『あそこのラーメン屋のギョーザはうまいぞ』とか言って連れていってくれる。もう三十回も日本全国を歩いていますから、日本人より日本をよく知ってます」
同行マネジャーを何回か勤めた招聘元「M&Iカンパニー」の有浦順二さんはそう言う。

演歌歌手の地方巡業でも一回四、五百万円のギャラは当たり前だが、ベンチャーズは二百七十万円。照明、音響機材、楽器一切を四トントラック一台に積み、設備のない会場でも演奏できる。
なぜそこまでして、全国各地を演奏して回るのか。
「より多くの人にショウを見てほしい。地方ではファンとの距離が小さい。なにより、ファンに会うのが大好きだ」(テイラー)
「大きな会場ではファンとコンタクトがない。東京や大阪で二、三回演奏してサヨナラじゃつまらない」(ボーグル)
僕らの人生の半分は日本のファンのために使っている、と彼らは口を揃える。ツアーのほか、日本向けレコード(本国米国では長らくベンチャーズのレコードは発売されていない)のための作曲や録音など、日本マーケット向けの仕事で半年を費やすからだ。三十年間、台風が来ようが病気になろうが一度も公演をキャンセルをしたことがない。この七月七日にも、テイラーがドラム台で足を滑らせ、肋骨を折って全治三週間のけがをする事故があった。が、翌日にはもう復帰してドカドカとドラムを叩いていた。

旅先のボーグルの側に、いつも若い日本人女性が連れ添っている。妻の由美さん28。九三年十一月に結婚したばかりの新婚だ。由美さんは、十歳のころからのベンチャーズファン。住んでいた愛媛県にベンチャーズが来るたびにコンサートに足を運び、やがてゴールインした。ボーグルは言う。 「ヒロシマに住もうかと思ってるんだ。友人もたくさんいるし、あそこなら女房の実家にも船ですぐだしね」

ベンチャーズに「出稼ぎ」とか「過去のバンド」とかケチを付けることはいくらでもできる。が、演奏とファンに会うのが生きがいの彼らと、三十年間愛し続ける日本人の相思相愛の姿を間近に見ていたら、音楽なんてそれで十分じゃないか、という気がしてきた。

(アエラ 95.8.7)




up.gif (380bytes)

home.gif (613bytes)


u_han.gif (685bytes)
Copyright(C) 1997 Hiromichi UGAYA.