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お気に入りのシャツを山のように抱えて撮影に来た。着崩しているようですべて写真うつりを計算している。



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ブライアン・フェリー
ロキシー・ミュージックのリーダーだったブライアン・フェリー、AERAの表紙に登場。「ミスター・ダンディー」の伊達男ぶりとはうらはらに、実は劣等感と変身願望の強い人だ


「…僕の両親かい?」

ブライン・フェリーは少しはにかんだ。
「父は…父は無知な田舎者だった。十代のころは、そんな父が恥ずかしかった」

そして、ぽっと花が咲いたようにほほ笑むのだ。
「そう、母…。母は、女性の手本のような素晴らしい人だった」

それからの彼の告白には、驚くことばかりだった。
父親が、炭鉱で働く馬の飼育係だったこと。家は貧しく、自動車はおろか電話もなかったこと。別世界の生活にあこがれ都会の大学で美術を勉強することにしたのはいいが、故郷の方言が恥ずかしくて、必死で訛りを直したこと。

この告白が印象的なのはほかでもない。フェリーは「ミスター・ダンディー」の名前をほしいままにしてきたポピュラー音楽界きっての伊達男として通っているからだ。
白いイブニング・ジャケットに蝶ネクタイに身を包み、カルティエの腕時計を光らせながらダンヒルの煙草をくゆらす。フェリーは、そんな姿が何の厭味もなく絵になる男だった。
彼が「ロキシー・ミュージック」を率いて世に出た七二年というと、まだ長髪にジーンズ姿の薄汚いヒッピーの残党が幅を効かせていた時代だ。

フェリーについて、長年不思議に思っていたことがあった。
彼の歌に登場する男の思いは、決してかなうことがない。現れることのない女性を待ち続け、恋の奴隷となって喜びに身悶えする男。一方、登場する女性はどれも極端に理想化されている。例えば、美声で男を破滅に誘う伝説の美女サイレン。

もうひとつ。他人の曲をアレンジして歌うのを好むことだ。しかも、繊細な見かけによらず、五〇から六〇年代の黒人ソウル音楽が大好き。五十歳になろうとする今も、十代のころイギリス北部の故郷からロンドンまで、ヒッチハイクして見に行ったコンサートを、本当に楽しげに語るのだ。
「本当にエキサイティングだったなあ。あの肉体的な躍動感を、何とか僕の芸術的な感性で表現できないか。それが僕の音楽人生の始まりだった」

意外なことを知った。好みのファッションは「制服」なのだそうだ。自分でも理由は分からないが、軍服やオートバイ警官の制服は魔法のように魅惑的だ、と語る。
どうもこの人は、見かけによらず強いコンプレックスの持ち主なんじゃないか。変身願望の持ち主ではないか。そう思って聞いてみると、彼は素直にそれを認めるのだった。

「ユーモアのあるたくましい父と、料理好きの母と。貧しかったけれど、素晴らしい家に育ったと今では思っている」
その両親も、ここ数年の間に相次いで世を去った。フェリーは長い独身生活に終止符を打ち、今では父親である。音楽には、以前よりずっと安らぎが感じられるようになった。

「両親が以前よりずっと身近に感じるようになった。子供たちにも、ふるさとの方言を教えているんだ。自分のルーツを忘れちゃだめだよ、ってね」


●Bryan Ferry
1945年 イギリス北部の炭鉱町ダーハム郡ワシントンで生まれる。
71年 「ロキシーミュージック」を結成。翌年同名のアルバムでデビュー。
73年 「フォー・ユア・プレジャー」「ストランデッド」
74年 「カントリー・ライフ」
75年 「サイレン」
76年 バンドはいったん解散。ソロ活動に入る。
79年 ロキシーを再結成。「マニフェスト」「フレッシュ・アンド・ブラッド」「アバロン」を発表。
82年 再びソロ活動に入る。「ボーイズ・アンド・ガールズ」「ベイト・ノワール」「タクシー」
95年 「マムーナ」発表。ロキシー時代の旧友ブライアン・イーノと二十年ぶりに共演して話題になる。




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