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フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド
フランキーは80年代に一世を風靡したゲイ・アイデンティティ・バンドだった。その中心人物を襲った悲運


"Details"誌93年7月号で、ホリー・ジョンソンの顔を久しぶりに見た。80年代書記にダンス・ミュージック界を風靡した、イギリスのバンド「フランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッド」の中心だった人物である。写真のジョンソンは、人気絶頂期の威勢はなく、頬がこけ顔は青白い。同誌の記事は、彼がHIV陽性であることを公表した、という内容だった。

フランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッドはポップス史の中で特異な位置を占めている。彼らがニューウェーブから派生したゲイ・アイデンティティ・バンドの筆頭格であり、しかも商業的に大成功を収めたからだ。

彼らの最大のヒット曲「リラックス」は、ゲイのセックス(それも乱交)の快感を、何の罪悪感もなしに歌う曲である。

1970年代までは、ゲイまたはバイセクシュアルであることを公表するミユージシャンはそんなに多くなかった。例外はデピッド・ボウイと、クィーンのフレディ・マーキュリー(エイズで死去)ぐらいだ。その彼らも、私生活ではゲイでも、それを直接歌にすることはしなかった。

ところが70年代末にバンク・ムーブメントが始まるに至って、状況が変わる。ゲイであることを積極的に歌い、ゲイへの偏見と闘う、という解放運動と連動したバンドが現れ始めたのだ。これをゲイ・アイデンティティ・バンドと呼ぶ。その名も「グラッド・トウ・ビー・ゲイ」(ゲイで良かった)という曲を歌ったトム・ロビンソンはその元祖といえる。

80年代に入ると「フランキー」のほか、ブロンスキ−・ビート、コミユナーズ、イレイジャーなど、ゲイ・アイデンティティ・バンドは花盛りとなる。その中でも「フランキー」は、ゲイ解放運動だけでなく、他の政治運動とも積極的にかかわっていた。

例えば「トゥ・トライブス」は「二つの部族が戦争をして人類を滅ぽす」という核戦争への恐怖がテーマ。当時ソ連はペレストロイカ前であり、アメリカはレーガン政権の時期。ヨーロッパが核戦争の戦場となることが現実味を帯びた時期であり、反核運助は大きなうねりとなっていた。

冒頭のジョンソンの手記は、彼がこうした背景の持ち主であることを抜きにしても、HIV陽性の人間の苦悩や怒り、絶望と、そして希望を取り戻すまでを余すところなく伝え、感動的である。診断を受けた婦路、テムズ川に身投げしようと真剣に考える。恋人にどう切り出すか悩む。病院へは、スターであることを気付かれないよう変装して出かける。ゴシップ紙の餌食にされるのではないか、と怯える。

印象的なのは、かつてのゲイ解放運動の教祖のジョンソンが「これは天罰か」と悔いる場面である。彼は、これらの話を自伝にまとめる予定だと話している。

それにしても不思議なのは、ゲイ・アイデンティティ・バンドがどれもイギリスのバンドばかりなことだ。アメリカのミユージシヤンで同性愛を公言しているのは、ル−・リード(現在は女性と結婚している)と、レズビアンのK・D・ラングぐらいではないか。その彼らも、あれほど盛んなゲイ解放運動からは意識して身を遠ざけているように見える。なぜだろう。

(OCS NEWS / 93.8.20)




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