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スターになり切れなかった男・ジョージ・ハリソンの25年 ビートルズの中で一番目立たなかった男がジョージ・ハリソンだ。ジョン・レノンとポール・マッカートニーという天才に挟まれた凡人の悲劇。 |
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国会議事堂や議員会館が立ち並ぶ東京・永田町に「キャピトル東急」というホテルがある。今年48歳のジョージ・ハリスンは、ここに泊まっている。 1966年。23歳のハリスンは、やはりこのホテルに泊まっていた。その時の彼は、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターとともに「ビートルズ」のメンバーだった。 6月29日に羽田空港に着いてから日本を離れるまでの5日間、4人はホテルに缶詰めにされた。外出は公演会場の「日本武道館」との往復だけだった。部屋の中で4人は、富士山や神社仏閣の絵葉書を積み上げ、スケッチして退屈を紛らわせていた。 ビートルズ来日は、日本人にとって初めての本物のロックコンサート体験だった。「武道館」も、ロックに使うのはビートルズが初めてだった。1万人の観客を収容できる屋内会場が、当時はここしかなかったのだ。 武道館側はしぶった。右翼団体も「日本人の魂を汚されてなるものか」と騒ぎ始めていた。警察も、熱狂するファン対策は初めてだった。8500人の警官で、ビートルズを完全に外部から隔離する布陣で臨んだ。ビートルズの来日公演が「読売新聞社」の主催行事になったのは、こうした背景がある。武道館側と警察を説得するのに、招聘元の「協同企画」(現キョードー東京)が、双方に顔が利いた正力松太郎社主を担ぎ出したのだ。ロックコンサート1つに、社会全体が振り回される時代だった。 25年ぶりのハリスンは、もう武道館では演奏しない。その代わりに「東京ドーム」で3回。4万人収容の「ドーム」規模の会場を使わないと、公演回数が増えてギャラが高くなり、とても採算がとれないのだ。ビートルズの時2100円だった入場料は、今では1万円。日本のバンドでも、東京ドームで連日演奏する時代である。もう「武道館」はステイタスシンボルではなくなった。 ジョージ・ハリスンにとって、ビートルズは決して居心地の良いバンドではなかった。解散寸前のビートルズを描いた映画「レット・イット・ビー」にこんな場面がある。 ジョージが一生懸命ギターソロを考えている。すると、聴いていたポールが飛んできて、口やかましく注文をつける。ギターの腕も、ポールの方がずっとうまい。ジョージはうんざりした顔で言う。 「わかったよ。君の好きなように弾くよ」 ジョージは、このレコーディングの途中、2週間ほど「出勤拒否」になる。スポットライトを浴びることがなく、不自由なだけの暮らしに嫌気がさしたのだ。せっかく曲を作っても、アルバム1枚に1曲か2曲入れてもらうのがやっと。才能がなかったわけではない。ジョンとポールの才能が、並外れて優れていたのだ。 14歳のとき、中学で1年先輩だったポールに、バンドに入らないか、と誘われたのがビートルズに入るきっかけである。バスの運転手を父親に、4人兄弟の末っ子として育ったジョージは、ここでもやはり末っ子だった。 しかし、ビートルズが70年に解散すると、立場は逆転した。ビートルズの影を脱することができずに苦しむジョンとポールを横目に、ハリスンはビートルズ時代に書きためた曲をレコード3枚組の大作にして、一気に吐き出した。これが傑作だった。 71年11月、ハリスンは、バングラデシュ難民救済のためのコンサートをニューヨークで開く。後の「ライブ・エイド」などチャリティーコンサートの「元祖」である。この時の収益で、彼は1500万ドルをユニセフに寄付。ハリスンは、得意の絶頂だった。 しかし、それも長くは続かなかった。彼の曲「マイ・スイート・ロード」が盗作だと訴えられ、裁判で負けてしまうのである。初めてイギリスとアメリカで1位に輝いた大切な曲だけに、ハリスンのショックは大きかった。 74年にアメリカを回った公演も、ビートルズ時代の曲をアレンジしたのが不評で、マスコミにはボロクソに書かれる。 悪いことは重なるもので、このころ、彼の妻パティと、親友のギタリスト、エリック・クラプトンが、恋仲になってしまう。 「僕はダーク・ホース/薄暗いレース場を走る/生まれたときから/僕はついていない」(「ダーク・ホース」) それからの人生、ハリスンは音楽から遠ざかることを選んだ。映画の製作会社を設立し、その社長に納まった。度重なるトラブルがもとで、ハリスンは今でも「ステージ恐怖症」が治らない。今回の日本公演は、彼にとって17年ぶりの本格的なコンサート活動なのだ。 ハリスンの「リハビリ」に手を貸したのは、先のエリック・クラプトンである。長年表舞台から離れていた彼のために、自分のバンドを貸したのだ。クラプトンとパティは、とっくに離婚。ハリスンも78年に再婚している。すべては「昔話」になった。 ハリスンは、ロンドン郊外の家で、妻と13歳の息子と暮らしている。朝晩、瞑想とヨガを欠かさない。輪廻を信じ、草花を愛する彼の一番の趣味は、園芸である。 偶然か演出か、記者会見場は25年前のビートルズの時と同じホテルの、同じ部屋だった。 「あのころと今とでは、私は何もかも変わりました。歌も演奏もずっとうまくなったし」 こう言ったあと、彼は笑顔で付け加えた。 「それに、25年前より今の方が、ずっと幸せです」 (AERA 91.12.17) |
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