![]() どうして日本のライブハウスは演奏が終わると客を追い出すのだろうか?けしからん(ドクター・ナーブのステージ) |
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ニッティング・ファクトリー NYに住んでいた頃、ニッティング・ファクトリーはCBGBと並んで大好きなクラブだった。いつ行っても何か必ず新しい音楽の発見があった |
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ニューヨークのライブハウス「ニッティング・ファクトリー」(編み物工場の意味。KFと略)は、他のどこにもないような独創的なアーティストの宝庫だ。「表現の誠実さ・独創性・創造性」を旗印に、この二月で開店十年を迎えた。 昨年冬に、ここに立ち寄ったことがある。ステージでは、チューバとホルンにエレキギターの三人組「スパニッシュ・フライ」(媚薬の名前)が演奏中。ラッパの二人が吹くプップクという音に、ノイズギターがギョワーンと重なる、ヘンな音楽だった。ジャズ、ロック、クラシック、民俗音楽。果ては、詩の朗読やダンスまで。連日連夜、既存のジャンルを飛び越える先鋭的なパフォーマンスが繰り広げられるのがここだ。 十周年を祝うために集まった顔ぶれが豪華だ。現代音楽の巨匠フィリップ・グラス。元ポリスのアンディ・サマーズ。 「KFのような場所は滅多にない。だからこそ、どうしても必要だ」 六十年代からNYで活躍するロック詩人ルー・リードは、そんなコメントを寄せている。ソニック・ユース。インディゴ・ガールズ。ジョン・ゾーン。ピクシーズ。KFから巣立ち、その後ポピュラー音楽を塗り替える仕事をしたアーティストは数多い。 「ジャンルの壁を破り、新境地を開こうとしたミュージシャンにとって、KFは実り豊かな温床になった」(『サウンズ』誌) 始まりは、八七年。今も店長のマイク・ドーフ34が、ウィスコンシン州の田舎からNYにやってきた。小さなレコード会社を経営していた彼は、経営資金稼ぎのため、百八十五平方。のスペースを月千八百ドルでマンハッタン南部の画廊街ソーホーに借りる(九四年移転)。シャワーもない化粧品倉庫だった場所に寝泊まりし、自分でペンキを塗り直した。お茶と軽食が出る画廊兼パフォーマンス・スペース。それがドーフが思い描いたアイディアだった。 オープン初日は、ジャズのピアノトリオが出演。客は八人、あがりはたったの4ウ。が、やがて噂を聞きつけて、フリージャズやアバンギャルド系の、どこにも演奏場所がなかった先鋭的なミュージシャンが集まってきた。 「正直言うと、僕はジャズはあまり詳しくなくてね」 ドーフはそう話す。NYのライブハウスは少なくとも百はあるが、パンク、ブルース、ジャズとそれぞれジャンルが固定していて、前衛音楽は発表する場所がない。KFは、経営者ではなく出演者が店の性格を決める、アーティストにとって願ってもない環境だった。 先鋭的な日本人アーティストを数多く米国に紹介、有名にした功績もある。ボアダムズ。灰野敬二。暴力温泉芸者。三上寛。二月末には巻上公一が出演した。ノイズと音楽の境界線を疾走する人々。日本では長年アングラ扱いだった。 「優れた日本のアーティストを支援したことを誇りに思っています。その後彼らが米国で認められ始めたことで、私たちの正しさが証明されました」(スポークスマンのスティーブ・スミス) 実は、もう一つのKF名物は、ステージとは別の部屋にあるバーだ。その夜の公演の興奮をそのまま持ち込み、アーティストの卵たちが酒を片手に議論を闘わせているのだ。そこから新しいアイディアが生まれることもある。 二月に初来日した「ソウル・コフィング」がそうだった。ジャズみたいな生ベースに、ラップみたいなボーカルとサンプラーのノイズが乗る、個性的なノンジャンル音楽だ。CDを二枚出している。 「メンバーとはKFのバーで出会った。半年間アイディアを話し合い、舞台でいろいろ実験を重ねた。それでできたのがこのバンドさ」(ギターのM・ドーティー) 東京にもライブハウスは数多いが、たいてい公演が終わると客を追い出して店を閉めてしまう。NYの音楽シーンが羨ましく思えるのは、KFのような「場」があることだ。 |
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