![]() 日本武道館でのS・ワンダー。会うたびに特製の香水の匂いがした。 |
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スティービー・ワンダー スタジオに座り、じっと気配に耳を澄ます。 反応したのは、リズミカルなシャッターの音だった。 手を打ち足を踏み、やがて即興のメロディを吹き始めた。 |
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「やーい、黒ん坊野郎!」 40年以上も前のことなのに、その声は今でもスティービー・ワンダーの鼓膜の隅にこびりついている。 「あれは、僕が5歳の時だった。祖母の葬儀のために南部へ旅をした。その道中で、あの叫び声が聞こえて石がばらばらと降ってきたんだ」 「ニガー」の意味が分からず困惑するスティービー少年に、母親は教えた。人間には肌の色の違いがあること。石を投げたのは「白人」で自分たちは「黒人」であること。そしてその違いによって「差別」や「偏見」というものが存在することを。 「悲しかったかって?いや、それより思ったね。何て愚かなんだろう、とね」 そう、愚かに決まっている。生まれつき目が見えない彼にとって、肌の色の違いなんて、何の意味もないのだから。 当時から、スティーブランド・モリス少年はピアノやハーモニカに天性の才能を発揮していた。デビュー、いきなり全米1位のヒットを飛ばしたのはわずか12歳のとき。「神童」がそのまま芸名になった。 差別や偏見なんて愚かだ。愛。思いやり。助け合う心。希望。信頼。人間は、生命は何て素晴らしいんだろう。デビュー以来30年以上、彼はそんな思いを歌い続けている。キング牧師の誕生日を国民の祝日に。ネルソン・マンデラを解放せよ。 インタビューのため、彼が泊まるホテルの一室を訪ねると、部屋一杯にシンセサイザーを広げて作曲に没頭していた。旅行中も楽器一式を持ち歩き、アルバム一枚のために100曲は作曲するのだそうだ。 「音楽。それは神の愛の言葉を広める素晴らしい道具です。言葉が分からなくても人々の気持ちを一つにすることができる」 一度でも受賞すれば大変な名誉とされるグラミー賞を23歳で4部門、25歳で5部門独占。途切れることなく傑作を発表しては賛辞を浴びる。ジャズ、ソウル、ファン。あらゆるジャンルを軽々と飛び越える。ポール・マッカートニーやポール・サイモンと並ぶポップスの「楽聖」と言っていい。 音楽的な家庭で育ったわけではない。幼いころはラジオが友。流れてくる外国語や訛りをコピー、物まねでステージに立つまでになった。天賦の聴解力なのだろう。 「目が見えないことで希望を失う人もいるだろう。でも、神様が与えてくれた大切な生命がある限り、困難があっても前に進もう。僕はそう思ってる」 73年に自動車事故に遭い、嗅覚と味覚も失う重傷を負った時も、希望に満ちた作風はまったく変わらなかった。それどころか、自分の生命をより深く感謝するようになった、という。2年後に生まれた長女に西アフリカ語で「生命」と名付けたほどだ。 が、最近になって少し苛立っているようだ。昨年発表した曲ではこう歌っている。 「神様。こんな麻薬や犯罪、戦争や疫病に満ちた世界は雨で洗い流してください」 彼が訴えた通り、マンデラ氏は解放され、キング師の誕生日は祝日になった。が、この世界はいつまでたっても問題だらけだ。 「うん、問題はなかなか無くならないよね。でも僕はまだ楽観的だよ。わあ、本当に長くかかるなあ、でも何とかなるだろう。そう思ってるんだ」 1950年5月13日 アメリカ・ミシガン州生まれ。本名はSteveland Morris。デトロイト市で育つ。 1962年 12歳でデビュー。その名も「12歳の天才」というライブアルバムで、ピアノ、ハーモニカなどの天才的な演奏を聞かせる。シングル「フィンガー・ティップス」が全米で1位に。 68年 「愛するあの娘に」 73年 「迷信」「ユー・アー・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」など、名曲数曲を立て続けに放つ。 「アルバム・オブ・ザ・イヤー」などグラミー賞4部門を独占。 同年8月6日 ノースカロライナ州で自動車事故。瀕死の重傷を負う。 74年 名曲を続けて放つ。グラミー賞5部門を独占。 76年「ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ」 80年「ホッター・ザン・ジュライ」 85年 「イン・スクエア・サークル」。「パートタイム・ラヴァー」が全米1位のヒットに。 87年 「キャラクターズ」 91年 異人種間恋愛を描いたスパイク・リー監督の映画「ジャングル・フィーバー」のサントラを担当。 95年 「カンヴァセイション・ピース」 21歳を頭に5人の子どもがいる。 |
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