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本まばたきで本を書く ハイテクで障害から帰還
目や顎、足。障害者に残された機能を使ってパソコンを動かす機器が普及してきた。全身がまひした人でも、世界へ発信できる。


 

 
  
 さすが元「ナニワの営業マン」だけあって、取材冒頭から彼の「しゃべくり」は絶好調だった。


 「いらっしゃい! 東京からですか? 僕も東京にいましたよ。東京は巨人ファンが多くて、阪神が負けた翌日は会社の机の上にスポーツ新聞が積んであって……」


 トラキチの嘆きが始まった。が、彼の声は聞こえない。静かにベッドに横たわっている。手も口も、顔の表情も動かない。ベッドの向こう側に置かれたディスプレー画面に表れる文字が、彼の「言葉」だ。この人、東御建田郁夫(ひがしみたてだ・いくお)さん(51)は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のために、瞼と眼球以外の筋肉を動かすことができないのだ。


 眼鏡に、小さな箱形のセンサーが付いている。そこから赤外線を目にあて、瞼を開いたときと閉じた時の光の反射の違いを読み、ワープロにオン・オフの信号を送る。画面では、五十音表の上をカーソルが自動的に流れている。打ち出したい文字にカーソルが来たときに瞬きをすれば、字が確定。一文字打つのに約十秒かかることを除けば、印字したり保存したりと普通のワープロと変わりない。


 この病気になったとき、どんなお気持ちでしたか?


 「なんやて?」


 こちらの質問が要領を得なかったらしい。すぐ聞き返された。


 「多弁な私にはこの上なくもどかしい。暗黒の世界みたいやった」
  
 ○原稿用紙で三千枚以上
 ALSは十万人に四、五人の確率で起きる神経性の難病である。原因も治療方法も解明されていない。運動神経の細胞が脱落していくため、話すことを含め全身の運動機能が次第にまひしていく。


 が、視覚や聴覚、知能は正常なまま残る。じっとしているのが大嫌い、人前でしゃべるのが大好き、という東御建田さんにとって、一九八五年の発症以来、動かない自分の体に監禁されるような、苦痛に満ちた日々が続いた。


 「瞬きワープロ」を手に入れたのは二年前である。以来、闘病記はもちろん、自分が子供のころ好きだった遊び、古今東西の食べ物についてのウンチクと、書きも書いたり四百字詰め原稿用紙三千枚以上。今年五月、一部を約二百五十ページの『いのちの瞬き』(東洋経済新報社)として出版した。今は、ファンタジー小説の執筆に精を出している。


 何が一番変わりましたかと尋ねると、また画面に文字が表れた。「疎外感から解放されました。文通や投稿ができます。おもしろいですよ」


 作った文章は、妻の富美子さん(49)にファクスで送ってもらう。好きなラジオ番組に投書したり、友だちと文通したり。ナニワ商人としては、懸賞に応募して景品や賞金を稼ぐのも楽しい。


 介護する家族にとっても、ずっと楽である。瞬きワープロの前は、紙の五十音表しかなかった。富美子さんに一文字ずつ指してもらっては瞬きの合図で言葉を伝えていた。が、複雑な会話はできない。ついいら立って、富美子さんに「バカ」。お互いに気持ちがささくれ立つことも多かったという。


 東御建田家では、今も「大事なことはお父さんが決める」習慣が続いている。昨春、娘さんとその彼氏が結婚の許可を求めて枕元に来たときのことだ。父はこんな言葉を画面に出した。


 「ええよ。金あるか? ないなら、出したる」


 結婚式には行けなかったが、ビデオで一部始終を見たそうだ。


  
 ○生き続けて何をするか
 東御建田さんのようなALS患者は、全国に約四千五百人いる(日本ALS協会)。かつては発症して三〜四年で死に至ることの多い病気だった。最後は呼吸器を動かす筋肉がまひするからだ。が、人工呼吸器が普及したため、自力呼吸が止まっても生き続けることができるようになった。ここ五年ほどで状況はすっかり変わった。


 が、今度は「生き続けても、全身がまひした状態で何をするのか」という難問が持ち上がった。


 「パソコンで世界の情報を取ったり、逆に発信したりできるようになったのだから、患者には大変な励みになる。じっと死を待つより、はるかに良い」


 ALS患者の在宅診療に力を入れている北里大学東病院(神奈川県相模原市)の斎藤豊和助教授はそう話す。


 野田拓郎さん(26)は、生まれてから一度も自分の足で立ったことがない。一歳のとき、ALSに似た症状の神経性難病「ウエッデルニッヒ・ホフマン病」(WH病)が発症したからだ。いま、自由に動くのは、顔面の筋肉と右手の三本の指だけ。腕が上がらないため、本をめくるのも難しい。


 その野田さんは、今年四月に中央大経済学部修士課程を修了した。パソコンの威力は大きかった。


 修士論文のテーマは「世界市場における価値法則」。原稿用紙百二十枚の論文を執筆するのに、まず必要なのは文献の検索だった。
  
 ○メールで世界と接する
 使っているのは普通の「ウィンドウズ95」である。キーボードを打つことができないので、画面に五十音やアルファベットの文字盤を出し、マウスでクリックする。


 そうやってインターネットで文献を検索したり、ゼミ仲間に下書きを電子メールで送って意見を求めたり。もちろん執筆もパソコンである。


 車椅子生活で外出が大変な野田さんにとって、一番ありがたいのはEメールだ。メール仲間が三十人ほどいる。障害者のフォーラムや神経性難病のメーリングリストで情報を交換するのも役に立つ。


 「電話や手紙だと、人の手を借りなくてはいけないので、つい遠慮してしまう。すべて自分の意思でできる、というのは初めての体験なんです」


 サッカーやF1レースが好きな野田さんにとって、メールやインターネットで世界の情報と接することができる意味は大きい。それに、と野田さんは付け加えた。


 「車椅子の僕を見ると、悪気はなくても相手が構えてしまう。メールの会話だと、障害者という先入観がないですから」


 医療費抑制政策のあおりで、ALSやWH病のような長期入院患者を受け入れる病院は減っている。現在は在宅治療が主流だ。介護する家族は大変である。


 「呼吸機能が衰えて人工呼吸器を着けるかどうか選択を迫られたとき、『家族に迷惑をかけたくない』と、着けないことを選ぶ患者さんもまだ多い。パソコンのようなコミュニケーション機器が発達すると、プラスの判断材料になる」


 ALS医療に関わるある医師はそう打ち明ける。
  
 ○顎でセンサーに触れる
 「夏の息 呼吸器汝も 休みなく」
 「ひと呼吸 五秒刻みで 春迎え」


 鈴木利一さん(68)を相模原市の自宅に訪ねると、パソコンの画面に自作の俳句を呼び出してくれた。


 昨年七月、人工呼吸器をつける手術をした。鈴木さんも、ALSで全身がまひ、自力呼吸ができない。残された顎の筋肉を動かしてセンサーに触れ、パソコンに信号を送る。そうやって年賀状や暑中見舞いを書き、三十通ほど出した。


 「病気で頭もおかしくなったんじゃないか、とみんな遠慮して訪ねて来なくなったんです。文面を見て安心してもらえたようですね」


 友人に手紙を送る。自分の意思を伝える。そんなさりげないことができるのが、何より嬉しい。


 鈴木さんは「日本電波ニュース社」のカメラマンとして活躍したジャーナリストだった。インドシナ紛争が激しかった六四年から七一年にハノイ支局やプノンペン支局に駐在、戦争報道に走り回った。その後もロシアや東欧の取材を続け、六十五歳で発症したときはプロデューサーだった。パソコンを手に入れたのは今年一月だ。手の機能がまひしてからは足、足がまひすれば顎、と猛練習を続けた。


 今も、参院選やサッカー・ワールドカップのような大ニュースがあると血が騒ぐ。テレビで見るだけでなく、何か自分も発信したいと思う。書くことは大きな喜びだ。いま、何度か会見した北ベトナムの故ホー・チ・ミン主席の思い出を書いている。


 「これまで生きてきた記録を他の人に伝えたいと思っています」


 鈴木さんは画面でそう話した。
  
 ○脳波を読み取る研究も
 障害者にパソコンを近づけた大きな要因は、マックOSやウィンドウズ95など、マウスだけで操作できるOSの登場である。それまでは、キーボードでコマンドをいちいち打ち込まなくてはならなかったからだ。


 OSが解決すれば、あとはマウス代わりのスイッチを作ればいい。


 冒頭の「瞬きワープロ」を開発した「竹井機器工業」は、視線の先を検知する眼鏡型のセンサーを商品化している。四百万円と今のところ高価だが、ある光学機器メーカーが一桁値段を下げるべく商品化を進めている。実用化されれば、視線をマウス代わりにカーソルを動かせるようになる。


 鈴木さんが使っているパソコンシステム「伝の心」を作った日立製作所は、瞼などの微弱な動きを検知する小型磁気センサーを実用化した。こめかみに磁性体(「ピップエレキバン」でいい)を貼り、磁場の乱れを読む。元々は、海面下の潜水艦をキャッチするための軍事技術だった。


 さらに、SF小説のような話もある。症状が進んで瞼も動かなくなったALS患者のために、脳波を読み取ってオン・オフの信号をパソコンに送るセンサーも開発中。同社は、そう話すのだ。


 そんなハイテク機器が普及すれば「生ける屍」という心ない言葉も死語になるのかもしれない。

(アエラ 1998年09月28日)