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性行為感染症は今や国民病だ
いま日本人の17人に1人が性感染症にかかっている、という恐るべきデータがある。セックスでうつる病気は20数種類。子宮頚癌ウィルスもセックスでの感染が確実視されている。


スパゲティを食べる手を止めて、彼はレストランの客を数え始めた。高級百貨店のイタリア料理店である。老若男女、こぎれいな格好の人々が日差しの中テーブルを囲んでいる。その数は四十人だった。

「ということは、この中に二人はクラミジア感染者がいますね」
クラミジアは性行為感染症(STD)、昔流に言えば性病ではないか。そんなにも大勢の人が感染しているのか。そう問うと、彼こと札幌医大の熊本悦明名誉教授(泌尿器科学)は、驚くべき調査結果を取り出した。それは、全国十三カ所の病院で既婚妊婦を対象に行ったクラミジアの抗原陽性率調査だ。

それによると、二万四百七十人の妊婦のうち千百八十一人、つまり五・八%がクラミジアに感染していた、というのだ。実に十七人に一人の割合である。

さらに、十九歳以下の既婚妊婦では陽性率が一八・九%にはね上がる。二十から二十四歳では八・七%、二十五から二十九歳でも四・八%だ。断っておくが、この調査は性産業従事者でも何でもない、普通の妊婦が対象なのだ。

「クラミジアは今では淋病よりありふれた病気です」
東京共済病院泌尿器科顧問の斉藤功氏はそう話す。斉藤氏によると、尿道炎患者の約三分の一はクラミジアが原因。淋病は五分の一程度だという。

さらに驚くべきことに、クラミジアの感染源は今では性産業より「素人」の方が多くなっている。
埼玉県医師会の調査(九三年)によると、二十から三十歳代のクラミジア患者のうち、感染源がソープランドやファッションマッサージなどの「性産業」と答えた例は二三%。それに対し「異性の友人」または「配偶者」が感染源、とした例は五八%にも上った。熊本名誉教授の調査でも、ほぼ同様の結果が出ている。

興味深い話がある。性産業街を近隣に持つ埼玉県浦和市で開業する泌尿器科医の宮村隆三さんは、ここ五年ほどでSTD患者に季節の波がなくなった、と指摘するのだ。かつてSTD患者の来院が増えるのは盆暮れと決まっていた。ボーナスを手にした男性が性産業で遊んで感染したからだ。

「それが今では、街で引っかけた女とか、自分の彼・彼女から感染する。複数のセックスパートナーを持つのが普通になったからでしょう」
性病はかつて「花柳病」と呼ばれた。花柳界つまり性産業界で働く人々だけの特殊な病気、という意味だ。

「が、今やSTDは性生活を持つ全ての人々の感染症になった。国民の五%以上が持つ病気といえば、高血圧くらいではないでしょうか。STDは『国民病』なのです」
熊本名誉教授はそう指摘する。

なぜSTDであるクラミジアがこんなにも広まったのか。専門家が口を揃えるのは、セックスの行動様式が激変したことだ。

「危惧していたことが現実になってきました」
東京・新宿の歓楽街そばに開業して四十年。増田豊さんはSTD治療を通して日本人の性の行動様式をつぶさに観察してきた。

増田さんが取った記録は、女性のSTD感染者が増え続けていることを示している。一九六六年、九対一だった男女比は昨年は二対一にまで接近した。カップル感染者の中でも、女性が他にセックスパートナーを持ち、男性に感染させる例が半分くらいある、という。
「性解放の一つの面は、女性がセックスを楽しんでもいい、ということだった。が、性の楽しい面ばかりが喧伝され、恐ろしい面は忘れられているように思える」

クラミジアが爆発的に広まったもう一つの要素は、初期症状が軽いことだ。感染しても、女性の七割、男性の四割は無症状のままと言われる。感染していると知らぬまま人にうつしてしまうのだ。

ところで、STDは「性病」とはどう違うのか。
厳密に言うと「性病」は四種類しかない。「性病予防法」という法律に定められた「梅毒」「淋病」「軟性下かん」「そけいリンパ肉芽腫症」である。@セックスによって伝染するA主に性器に病変を起こす。簡単に言うとそんな特徴がある。

ところが、同法が施行された昭和二十三年以降、研究が進んで旧来の定義に当てはまらない様々な病気が性行為を介して運ばれることが分かってきた。「新顔性病」の登場である。エイズはその代表格。後述するように、最近は肝炎やガンとの関連を疑われるウィルスまでが性行為で伝染することがほぼ確実視されている。性行為で伝染する病気は二十数種類にも上る、というのが今では定説だ。

クラミジアもその一つである。尿道に炎症を起こす初期症状は淋病と同じだが、かつては病原体が特定できなかったため「雑菌性尿道炎」などと処理されてきたのだ。が、八十年代に入って検査技術が進歩して病原体が特定されるようになった。

しかも、クラミジアはセックスそのものだけでなくオーラル・セックスでもうつるから厄介だ。つまり性器から口、口から性器、口から口へも伝染する。手を介して伝染することさえある。性産業で「本番」さえしなければ安全、というのは誤解だ。

こうした病気の存在が明らかになったため、専門家は「性病」という言葉を使わない。「性行為」で伝染する病気、という意味で広くSTD(Sexually Transmitted Disease)と呼ぶ。

クラミジアの初期症状は尿道からの薄い膿や排尿時の違和感だ。治療は難しくない。抗菌剤を一、二週間飲めば菌は消える。が、放置すると、腹膜炎や前立腺炎を起こしたりする。喉に感染すると咽頭炎を起こし、風邪に似た症状になる。女性の場合、卵管に炎症を起こして不妊症や子宮外妊娠の原因になる。産道から感染して新生児に肺炎を起こすこともある。

さらに言えば、より深刻な問題は、クラミジアそのものより、セックスに対する安易な態度だ。
「クラミジアに感染したということは、コンドームを使用しなかったわけで、その人はそれだけセックスに対して無防備。HIV感染予備軍とも言えます」

札幌医大の熊本名誉教授はそう話す。もし、感染者の中に一人でもHIV(エイズウィルス)キャリアがいたら、どうなるか。恐るべき話である。

@パートナーともどもSTDがないか検査を受ける。あれば治すA未検査の相手とのセックスでは必ずコンドームを使う。熊本名誉教授はそう促している。

●子宮頚癌はセックスで伝染するのか?
子宮頚癌の原因として、あるウィルスの関係がほぼ確実になっている。「ヒトパピローマウィルス」(HPV)という。子宮頚がんは日本人の子宮がんの八割を占める。年に約一万五千例が発生し、約五千例が死亡する病気だ。

根拠はこうだ。子宮頚癌の患者からは健常者に比べ約十五倍の確率でHPVが検出される。前癌病変の腫瘍に至っては、三十二倍という高率で発見されている。九二年から九五年にかけての世界各国の研究でも、子宮頚癌の七〇から九〇%前後の確率でHPVが検出された。一方、陰茎癌の約六三%からも同種のHPVが検出された、との報告がある。

男性・女性両方の性器癌に同種のウィルスの関係が濃厚になった以上、性行為でウィルスが伝染するのではないか、という推論が出るのは自然の成りゆきだ。

「性行為によって感染する全ての病気をSTDと定義するなら、子宮頚癌にSTD的な側面はほぼ間違いなくあるでしょう」
東大医学部の川名尚教授はそう指摘する。つまりセックスでHPVがうつることはほぼ間違いない、というのだ。

その根拠。まず疫学的なデータ。古くから、尼僧に子宮頚癌が少なく、売春婦に多いことが知られていた。セックスパートナーの数が多い方が子宮頚癌にかかりやすい、と指摘されてきた。九四年に発表された興味深い調査結果がある。パートナーの数がDから十人より多い人と、一人以下の人で子宮頚癌になる確率を比べる。すると、多パートナーの方が約四倍かかりやすいことが分かった。

次に、冒頭に挙げたような分子生物学からの調査結果。HPVは分離培養ができない。だから血液から発見することができなかった。が、分子生物学の発達で、HPVのDNAを追跡できるようになった。ここ十年でHPVと癌の関係が確実視されるようになったのは、そのためだ。

癌と関係が深いウィルスが性行為で伝染する。よく考えると一大事のはずなのだが、研究者がそれを声高に語ることはあまりなかった。なぜか。
理由の一つは、HPVに感染したからといって癌にかかるとは限らないからだ。感染したあと、まだいくつかの障害を乗り越えないと発癌はしない。しかも、そのメカニズムはまだ解明されていない。
「HPVのキャリアは全女性の五から一〇%。そのうち発癌するのは百分の一」
川名教授はそんな数字を挙げる。
また「癌がセックスで伝染する」というような誤解や、子宮頚癌が「性病」だという偏見を生む恐れも、研究者にとっては気がかりだ。教授はそう指摘する。

HPVだけでなく、それまでの「性病」の概念を覆すような病原体が性行為で伝染することが、一九八〇年代以降、次々に明らかになった。旧来型の性病が細菌性だったのに対して「新型」の多くがHPVのようなウィルスが病原体。背景には、ウィルス学や分子生物学が発達して、病原体の解明が進んだことがある。

例を挙げる。B型肝炎ウィルス。C型肝炎ウィルスも、希だが性行為で伝染する。血液のがんの一種であるT細胞白血病の原因となるウィルス「HTLVーI」は、精液を通じて男性から女性に伝播することが知られている。言うまでもなくHIV(エイズウィルス)も、こうしたグループに入る。
これらの病気は、性器に病変を起こす「性病」と違い、性行為で伝染しても性器には何の異常も起こさない。それだけにSTDとは認知されにくい。

患者数の多いウィルス性STDにヘルペスがある。全国で約五千九百例が報告されている。淋病の約六千三百例に迫る勢いだ(九四年厚生省調べ)。ヘルペスがSTDとして危険視されるようになったのは一九八〇年代前半。米国が震源地だった。

正確には「単純ヘルペス」という。単純疱疹や性器ヘルペスはその感染症の一つ。唇や性器などの粘膜部分にできる水疱状のできものだ。
病原体は単純ヘルペスウィルス(HSV)だ。HSVには一型と二型の二種類がある。一型は口唇など上半身、二型は性器など下半身に発症する、と最初は見られていた。が、その後性器ヘルペスからも一型が多く検出されている。口唇に疱疹ができたままオーラルセックスをすると、伝染して一型でも下半身に発症することが分かっている。

ヘルペスは厄介な病気だ。他のSTDと違って、いったん感染すると、症状を抑えることはできても、ウィルスを人体から追い出すことはできない。一生ウィルスキャリア、つまり潜在的な感染源のままだ。特に二型は再発しやすい。性行為を通じて他人に病気をうつす危険性も、それだけ高いのだ。
ヘルペスは危険な病気でもある。ウィルスが目に入ると角膜炎を起こして失明の原因になったり、脳炎を起こすこともある。妊婦が感染すると、特に深刻だ。新生児に感染して目や中枢神経、肝臓を侵すからだ。新生児の場合、致死率は高い。

「STDの伝染性は高い。広まりやすい恐ろしい病気です」
一四九二年、コロンブスがアメリカ大陸に到達してヨーロッパに持ち帰った梅毒は、二十数年後にはもう京都で流行していた、という記録がある。川名教授はそう指摘する。性産業にSTD患者が一人いると五十人は感染者が出る、という推計もある。

エイズの登場以後、STDは人間の命をも脅かす存在になった。法律や規制でセックスを制御することが不可能な以上、自分の身は自分で守るしか方法はない。

(AERA 96.5.27)





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