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吉本ばなな原作の「キッチン」が香港の巌浩監督によって映画化された。舞台と登場人物はすべて香港に移植。主演は日本人の富田靖子と香港人の陳小春。東アジアに共通する文化基盤を元に映画を合作できる時代がやってきた。
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原作の小説を書いたのは日本人。それを香港の監督が映画化し、日本人と香港人の俳優が演じる。映画の舞台は香港と本土中国。制作資金は、日本と香港の会社が折半。そんな「東アジア混血映画」が、十二月に公開される。 吉本ばなな原作の「我愛厨房」。つまり「キッチン」である。 唯一の家族である祖母を亡くし、天涯孤独の身になった少女アギー(富田靖子)は、絶望のあまり台所の床に身を横たえて毎日を過ごす。そんな彼女を案じて、祖母の美容師だった男ルイ(陳小春)が一緒に暮らすよう誘う。ルイの「父」エマは、妻を亡くしたあと、性転換で「母」になった人物。こうして三人の奇妙な同居生活が始まるが、やがてエマは殺されてしまう…。 ストーリーは、原作に忠実だ。愛する人を「死」によって奪われた者たちの、成長と再生の物語。テーマもそのままである。 アギーの絶望と再生の場面は、青。エマの死を暗示する場面は赤。ルイの絶望と再生を象徴するのは白。三つの色を使い分けた映像が、フランス映画のように美しい。 原作との大きな違いは、舞台を日本から香港に移したことだ。主人公・桜井みかげはアギーに。相手役の雄一はルイ。登場人物もすべて香港人に変わっている。それでいて、違和感は全くない。 アギーを演じる富田靖子は、映画では広東語をしゃべっている。実はこれ、吹き替えである(実際の撮影では広東語で通したそうだ)。おかげで、富田はどう見ても香港人女性にしか見えない。 「(吹き替えを使えば)中国人や台湾人などの外国人を演じられることもわかったので、ふたつぐらい女優としての世界が広がった」 吹き替えについて、富田自身もそう語っている。 制作は日本の「アミューズ」社と香港の「嘉〓電影」社だ。制作費一億六千万円を半額ずつ出している。 今回の映画化が実現したのは、ひとえに監督である巌浩45の熱意によるところが大きい。 「あれは、九四年のことでした」 この十一月七日、東京国際映画祭のために東京を訪れた巌監督にインタビューした。 「原作を読んで、胸を揺さぶられる思いでした。涙が流れ落ちるのを抑えられなかった。それほど心を打たれたのです」 「キッチン」を読んだとき、巌監督は他の作品の音楽の録音のため、東京にいた。録音の合間にスタジオで本を読み、その場で映画化を決心した、という。すぐに出版社と交渉して映画化権を獲得。さらに原作から脚本を書く作業に監督自身が取りかかった。 主演俳優もすぐに決まった。翌九五年の東京国際映画祭で審査員を努めた巌監督は、富田がやはり中国人役を演じた「南京の基督」を見て、彼女の演技力に注目していたからだ(この映画祭で富田は最優秀女優賞を獲得している)。 「『キッチン』は非常にセンシティブな物語です。だから、繊細な女性が主役に欲しかった。富田は優しさと悲しさの両面を備えている。それこそが、私が探し求めていた資質だった」 実は、日本人が書いた原作を香港の監督が映画化した例は、以前にもある。他ならぬ「南京の基督」だ。原作は言わずと知れた芥川龍之介。監督は〓丁平だった。 が「南京」の場合は、原作から中国が舞台。企画を立ち上げたのも日本側で、それに答えて香港側が乗った形だ。香港の監督が日本人の小説に惚れ込んで映画化まで持ち込んだ、という点で「キッチン」は特異である。 巌監督は、三年間銀行に勤めたあと、ロンドン・フィルム・スクールに留学。帰国後にテレビの刑事ドラマで頭角を現した、という経歴の持ち主。七八年に映画界に進出してからは、一貫して「運命と人間」をテーマに、重厚な映画を作り続けてきた。 日本軍の中国侵略や国共内戦で引き裂かれる男女を描いた「レッド・ダスト」(九〇年)。母が父を毒殺したという疑念を棄てきれず、十年後に母を警察に告発した中国人の実話「息子の告発」(九四年)。九六年の「太陽に暴かれて」で、ベルリン国際映画祭の最優秀監督賞を獲得したこともある。 国際的にも名声の高い、香港映画界の巨匠である。そんな巌監督が、なぜ「キッチン」にそれほど惹かれたのだろう。 そう問うと、彼はペンを取って紙に「無常」と漢字で書いた。 「無常。この世に永遠に続くものは何もない。死は人生の一部である。『キッチン』は、それを若者が理解する、という成長の物語なのです」 「そんな重いテーマを、カジュアルでユーモラスに語っている。同時に、とてもロマンチック。ロシア文学なら、重厚な大冊になっていたでしょう」 アプローチはとても独特だが「人生と死」というテーマは普遍的。だから、香港を舞台にしても移植が可能だった。巌監督はそう付け加えた。 巌監督の作品を貫くのは「運命」「無常」といった東洋的な世界観だ。 「釈迦は、最も尊敬する哲学者」と監督はいう。仏教は、世界や自分を違った視点で見せてくれる。創作家として新鮮な視点を保つのに、仏教ほど重要な哲学はない、とさえいう。 例えば、映画「キッチン」の中で、肉親を亡くして絶望したルイが中国本土をさまよう場面がある。絶望の果てに自分が空腹であることに気づいた彼は、まずくて一度は捨てたパンを貪り食う。 「食べなくては生きていけない。空腹という苦痛は自分で解決しなければ誰も助けてはくれない。食べ物、水、空気、魚。すべてのモノが人生の哲学を語るのが、仏教なのです」 巌監督は、現代日本文学にも造詣が深い。翻訳で村上春樹、大江健三郎、三島由紀夫、川端康成などを読んでいる。こうした深い教養があったからこそ、小説「キッチン」が持つ普遍性を見抜いたのだろう。 もうひとつの背景は、日本と香港の大衆文化が、よく似てきたことだろう。 「日本と香港の映画は、お互いの要素を取り入れあうようになってきた」 巌監督は、岩井俊二監督の「スワロウテイル」や、日本のアニメーション映画「攻殻機動隊」に香港に似た風景が現れていることを指摘した。日本のアニメに影響を受けた香港映画を十本は挙げることができる、とも言った。 「香港と東京はどちらも大都会です。人々は同じような匂いをかぎ、同じような感性を持っている。共通の基盤はいくらでもある」 欧米の映画界では、国を越えた合作はごく普通のことだった。キリスト教を柱に、文化や価値観に共通の基盤があるからだ。 実は、日本と中国文化圏にも「仏教的な世界観や人生観」という共通の文化基盤がある。それを軸に共同で映画を作ることができる。映画「キッチン」は、それを証明してみせた画期的な作品である。 (AERA 97.12.1) |
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