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ジョディ・フォスター
糊の利いたコットンシャツに、紺のパンツのトラッド・シック。 文学、人権、政治。硬派の話題にも、語りは常に当意即妙。 一日十五件の取材をこなす、映画界のキャリア・ウーマンだ。

 



ジョディ・フォスターは、女優になろうと思ったことが一度もない。いつ女優になったのかも、覚えていない。

「あれは、私が3歳の時だったそうよ」

絹糸のような髪をかきあげ、マリン・ブルーの瞳で僕をじっと見つめる。目を細めて眉を寄せるのは、真剣に考える時の癖らしい。

「母が、兄を子役のオーディションに出したの。たまたま子守が見つからなくて、私も連れていったらしいのね。そうしたら、役をもらったのは私の方だったのよ!」

そう言うと、眉をぱっと開き「エヘヘ」と笑った。頭脳明晰、博覧強記。そう、知力、演技力で並ぶ者なき「ハリウッド一の才女」ジョディ・フォスターは、実は子供みたいな顔でエヘヘと笑う女性なのだ。

「子供」で思い出した。彼女の映画には、どれも共通したテーマがある。「神童」と「片親」だ。自分で監督した「リトル・マン・テイト」「ホーム・フォー・ホリデイズ」。最新作「コンタクト」もそうだ。

そうよ。だって、それが私の育った世界だったもの。私のライフワークかもしれないな。彼女は、そう答えた。

「他の子供とは、ずいぶん違う子供時代だった。百人もの大人とセットで一緒に働いて。いつも自分の考えを求められたし」

生まれも育ちも、映画の都・ロサンゼルス。十歳で初めて映画の主役を張り、小学生のころにはもう名声が確立していた。

それでいながら、学力優秀。フランス語教育の私立高校に進み、フランス文学をほとんど読み尽くした。主席で卒業、卒業式の答辞をフランス語で読むという秀才だった。

「神童は、普通の人の気づかないことに気がつく。が、その特異な能力ゆえに周囲から孤立して、いつも孤独。でも、その才能がやがては社会を変えていくのよ」

そして、片親。彼女は今まで父親に四回しか会ったことがない。幼いころ、両親が離婚したからだ。

そんな彼女が、映画界から足を洗おうと思ったことが、一度だけあるそうだ。大学へ入った時だ。彼女にとって、映画界に入ったのは偶然。自分の選んだ道で、自分の力を試してみたかったのだ。

それで、何をやるつもりだったの?

「大学院へ進んで、作家になろうと思ったのよ!」

文学の話になると、とたんに目が輝いた。

一番影響を受けた本は?J・D・サリンジャーの「フラニーとゾーイ」(これも神童の話)。大学で専攻したのは?アメリカ黒人文学。なぜ?社会から疎外され、取り残された人々に強く惹かれるから。

が、大学を出た直後にアカデミー賞を取り、状況が変わる。どこまで俳優業で行けるかやってみよう。そう決心したのだそうだ。

でもまあ、それ以降は順風満帆ですよね?

「まあ、そうね。でも」

そこで彼女はまたエヘヘと笑った。

「まだ一生俳優を続けるって、決めたわけじゃないのよ」

見ると、左手の薬指に銀の指輪が。えっ、結婚したんですか、と喉元まで出かかった。が、マリン・ブルーの笑顔に見とれているうちに、聞くのを忘れてしまった。

●Jodie Foster

1962年11月19日、ロサンゼルス生まれ。姉兄が3人いる。母親は映画会社に勤めていた。3歳で日焼け止めローションのテレビCMに出演。以降、子役としてテレビ・映画出演は数知れず。

マーチン・スコセッシ監督の名作「タクシー・ドライバー」(76年)で14歳の娼婦役を演じアカデミー賞候補に。演技派としても有名になる。 81年、名門イエール大学に入学。その間も5本の映画に出演。

「告発の行方」(88年)「羊たちの沈黙」(91年)で2回アカデミー賞を受賞。「リトル・マン・テイト」(91年)「ホーム・フォー・ホリデイズ」(95年)では監督も。プロダクション会社「エッグ・ピクチャーズ」も設立、「ネル」(94年)を作った。

他の主な作品に「ホテル・ニューハンプシャー」(84年)「サマーズビー」(93年)「マーベリック」(94年)がある。

(AERA 97.10.6)





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