Photo:外山俊樹




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アンディ・ラウ 二枚目もつらいのだ

「僕なんか、鏡を見てもちっとも ハンサムだとは思わないんだけどなあ」。鷹のように鋭い目に、東洋人離れした鼻筋。 が、本人は美男子という自覚はあまりないらしい。 失礼、とズボンを脱ぐと筆者の目の前で着替えを始めた。

 

香港芸能界最強の二枚目である。  

映画に出れば、若くてハンサムな役ばかり。白いタキシードに身を包み、愛のため、友情のため死地に赴く。コンサートをやれば、人口六百万人の香港で二十万人を動員。あまつさえ、白馬に跨ってステージに登場。はっきり言って非情にクサい。が、この人ぐらい現実離れした男前がやると、ピシリと様になってしまうのだ。  

二枚目って、本当にトクですね。

「そう思う?そうでもないよ」  

彼はぶるぶると首を振っている。そして自分の顔を指さした。

「まず、この鼻が気に入らん。どうも、だんだんでかくなっているみたいな気がする。目も好きじゃない。なのに、みんな僕が美男だとか言うんで頭が混乱するんだ」

「でも、最近は開き直った。顔は変えようがないしね。オーケー、いいですよ、僕はハンサムですよ。すいませんね、ってね」  

もともと、裏方志望だった。俳優にも歌手にもなる気はなかった。  

実家は雑貨店兼食堂だった。朝五時に起きて出前や皿洗いを手伝い、学校へ行って帰ってまた手伝い。それが劉少年の日課だった。忙しくて、家族と口をきく暇もない。そんな劉家の楽しみは、たまの休みに家族で映画に行くことだった。  

好きだった映画は?と尋ねると、筆者のノートに漢字で「伊豆舞娘」と書いた。山口百恵と三浦友和の「伊豆の踊り子」である。

あれは、僕が十代のころだった。素敵な映画だったなあ。そう言って懐かしむのだ。  

学校を卒業すると、テレビ局系列の芸能学校へ。好きな映画の世界で、監督か脚本家になるつもりだった。

が、意に反して俳優コースに放り込まれてしまう。学校側が、劉少年の端正な顔立ちに目を付けたのだ。  

以後、二枚目路線まっしぐら。多い時は年に十六本もの映画に出た。

「でもさあ、僕も、もう三十六歳なんだぜ。もっと成熟した人間役をやりたい。いつもいつもハンサム役だろ?もういいよ」  

本当は、不器用な人だ。歌うとよく歌詞を間違えるし、音程も外す。日本公演のときは、うまく喋れないから、と「拍手してください」と日本語で大書きした紙を掲げてステージに出てきた。

「歌唱力や演技で評価されるより、ファンと楽しく過ごすことを選ぶ。僕には、支えてくれる人が必要なんだ」  

デビュー前、将来を誓った恋人がいたそうだ。芸能界に入り、あと五年待ってくれたら結婚する、と約束したのに、彼女は他の男と結婚してしまう。よほどこたえたのか、以来ずっと独身。いま、彼を身近で支えるのは共に暮らす両親である。

「どうしたわけか、芸能界では友達ができないんだ。嫌なことがあると、親に向かって泣いたり叫んだりする。親なら秘密を守ってくれるしね」

実は孤独なんですね。

「そうだよ。僕だって、君と同じ普通の人間だよ!いいかげん恋人だってほしいし、結婚もしたい。家庭が持ちたいんだ!」  

あーあ、と彼は大きなため息をついた。二枚目って、意外に大変らしい。筆者なんかには想像しづらいのだけれど。

 

●劉 徳華・Andy Lau

1961年9月27日、香港生まれ。3人の姉、弟、妹を持つ長男。

80年 中学5年を卒業(日本の高校にあたる)、テレビ局付属の芸能学校に入る。翌年卒業、テレビドラマでデビュー。

82年 「望郷ボートピープル」のベトナム人少年役で本格的に映画デビュー。

85年 歌手としてもデビュー。

88年 「いますぐ抱きしめたい」(王家衛監督)

89年 「ゴッドギャンブラー」でチョウ・ユンファと共演。

90年 「欲望の翼」(王家衛監督)

91年 映画製作会社「天幕製作公司」を設立。「神鳥伝説」などを主演・製作。が、後に経営不振のため手を引く。

93年 旧正月に香港で20日間連続コンサート。

96年製作の「上海灘」が日本で近く公開される。 18年間に出演した映画は百本以上。コメディ、SFX、ロマンスにアクションと、ジャンルを選ばず。香港だけでなく台湾、中国本土、東南アジアなど世界の中国人社会での人気は抜群。趣味は書とボウリング。

(AERA 98.2.16)





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