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クリントン大統領とヒラリー夫人は、実は正反対といえるほど性格が違う



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ヒラリーを切り捨てたクリントン
ヒラリー夫人が信奉する「大きな政府」主義に背を向け、人気を回復したクリントン大統領。妻を切り捨てて2期目を勝ち取ったといえる。権力は非情だ。


クリントン大統領とヒラリー夫人は、正反対ともいえるほど性格が違う。

例えば、大統領はマクドナルドにいきなり入って居合わせた客全員と話すのも苦にならない、外向的な人物だ。ヒラリー夫人は、シャイで控えめ。よく知る人々だけに囲まれて過ごすことを好む。その性格の違いは、政治スタイルの違いにも現れる。
「ヒラリーは頭は抜群にいいが、夫のような政治的な手腕がない」
ワシントン・ポスト紙で九二年から二年間クリントン政権を取材したメアリー・ジョーダン記者はそう指摘する。

法案を審議する議会のキーパーソンを説得、妥協を図る。事を焦って反発を招かない。世論調査に目を配る。ヒラリー夫人はそんなワシントンの機微に疎かった。
それが最悪の結果を招いたのが、医療保険改革法案の挫折だった。九四年九月、議会の抵抗で葬られたこの法案は、九二年の大統領選挙中からの最重要政策だった。政権発足当初、ヒラリー夫人は、改革法案作成のホワイトハウス特別部会の座長に就任。「ファースト・パートナー(ホワイトハウスの共同経営者)の登場」ともてはやされたものだった。

が、悪いことは重なるもので、続く同年十月の中間選挙で、民主党は上下院の過半数を共和党に奪回される歴史的大敗。前後してホワイトウォー疑惑やセクハラ訴訟などスキャンダルが噴出した(アエラ十一月十一日号)。
ホワイトウォーター疑惑やFBIファイル疑惑では、ヒラリーは大統領本人より疑惑の核心に近い位置にいる。轟々たる非難。政権前半の二年間は、クリントン夫妻にとって挫折と屈辱の時だった。その後の二年間、夫人は親善訪問や本・コラムの執筆に精を出す「伝統型ファースト・レディー」に変身、政治の最前線から姿を消す。

興味深いデータがある。有権者のヒラリーに対する印象を調べた世論調査だ。政権発足直後は「良い=五六%」に対して「悪い=一八%」(九三年一月)と圧倒的な人気。が、その後「悪い」が一貫して上がり続け、九四年十月にはついに逆転。今年一月には「良い=四二%」対「悪い=五四%」と、不人気が定着してしまった。

ところが一方、大統領本人の印象は、「悪い」が「良い」を追い抜いた九四年秋以降、息を吹き返す。妻の人気が下がる一方で、夫は人気を回復していった。
「大きな政府の時代は終わった」
大統領は今年年頭の一般教書演説でそう宣言、生活保護の受給資格を大幅に厳しくする福祉改革法案にも署名。共和党に近い「小さな政府主義」に一八〇度転換した。

振り返れば、ヒラリーが主導した医療保険改革法案は、弱者救済のために連邦政府が介入すべきだという「大きな政府主義」だった。つまり、政権後半の二年間、クリントン大統領は、妻が信奉する政治哲学に背を向け、人気を回復、再選という栄冠を手にしたわけだ。

大統領になって初めてワシントン入りしたクリントン氏の政権には、長年信頼を培った閣僚がほとんどいない。クリントン再選後すぐに辞意を表明したクリストファー国務長官は、元々はカーター政権で国務副長官を勤めた民主党の外交エリートだし、ブラウン商務長官(故人)は、九二年大統領選での民主党全国委員長だった。
「(九四年秋頃には)大統領は孤独な職責だというクリントンの孤独感は、周囲にも分かるまでになっていた」(ボブ・ウッドワード著『The Choice』) アーカンソーから連れてきた人材はほとんど姿を消した。マクラーティ主席補佐官やナスバウム法律顧問は辞任。フォスター法律顧問は謎の自殺を遂げた。ヒラリーは、今も信頼できる数少ない「側近」のはずだ。

クリントン大統領の任期は泣いても笑ってもあと四年である。が、上下院とも依然共和党が過半数を握っている以上、大きな政府路線に回帰する選択枝は、もうない。

「ヒラリーは望むより中道に行かざるをえない。表舞台に復帰して活躍はするが、最初の二年とは違うヒラリーになるでしょう」 ジョーダン記者はそう見ている。

(AERA96.11.18)




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