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サンプリングが芸術を解体する・デジタル芸術の世界
92年ごろ、デジタル技術が芸術を変革していた。他人の作品から素材をとって再構成する手法である。これはコピーか、それとも創造か。


キヤノン製のデジタル・カラーコピー。それが、相内啓司さん(42)の絵筆でありパレットである。2月に東京で開いた展覧会のテーマは「受胎告知」だった。

救世主イエス・キリストを宿したことを聖母マリアに告げる大天使ガブリエル。宗教史上の大事件の瞬間を描いた、レオナルド・ダ・ビンチの傑作が素材である。相内さんは、これをサンプリングして新しい命を吹き込んだ。

制作法はこうだ。まず2人の顔や指先の表情を、鉛筆のデッサンで写し取る。それをカラーコピー機に読み取ったうえ、電子ペンを使って色を指定した告知図を、何十通りもつくる。コピー機に記憶させておき、最後に、そのデータを1枚の紙に重ね合わせてプリントアウトする。

さらに、そうやってできた独自の色彩を放つマリアやガブリエルを、別に用意した背景と、コピー機上で合成して仕上げていく。数十の色の混ざり具合、「版下」の微妙なズレが、腕の見せどころだ。荒れた画面がほしくて、コンビニエンスストアでわざと粗いコピーをとったり、ファクスで送信した絵を使うこともある。

「オリジナル・コピー・アート」。相内さんは、自分の作品をそんな風刺を込めた名で呼んでいる。
「現代は『オリジナル』が意味を失う時代なのです」

ダ・ビンチの「受胎告知」は広く知られた名画だ。でも、本物の絵(オリジナル)を見た人はほとんどいない。知っているように思っても、じつは本やテレビの上の虚像(情報)を知っているにすぎないのだ。

相内さんがコピーアートを始めたのは、まだここ4年ほどのことだ。それまではコピー機の性能が悪く、色などの仕上がりに満足できなかったからだ。1ミリ四方を256個の点に分解し、それぞれの色、濃淡などを数値に置き換えて読み込むのが、デジタル・カラーコピーの仕組みである。5年前には色の濃さが64段階だけだったが、今では256段階まで表現できる。

色だけではない。サンマを膨らませてマンボウにしたり、いくつもの画像を合成したり、自在に手を加えられる。ビデオ、電子カメラ、パソコンをつないで画像を入力するのもお手のもの。「画像プロセッサー」と呼んだ方がいいかもしれない。

コンピューター・グラフィックス(CG)の世界になると、可能性はさらに広がる。CGでは、サンプリングの秘密兵器は「イメージ・スキャナー」である。見かけも仕組みも、デジタルコピー機と同じだ。値段はコピー機よりずっと安く、1台20万円以下で買える。コンピューターにつなぐと、写真や絵をデータ化して入力できるのだ。使い方の一例をあげよう。

宮沢りえの写真集から、肌をスキャナーでコンピューターに読み込み、フロッピーディスクに保存しておく。次に宮沢首相の顔を読み込む。コンピューターの画面を見ながらマウスを操作すれば、宮沢首相の顔に宮沢りえの肌を張り付けることだって可能だ。

安斎利洋さん(35)は、CG作家であると同時に、パソコン用の「絵かきソフト」を自分で組んで商品化した経歴の持ち主だ。このソフトを使うと、1600万色を着色することができる。油絵の筆致、ぼかし、エアブラシといった、習得に何年もかかるテクニックが、コンピューターの画面上ですぐ使える。もちろん、輪郭や形を変えるなんてのは朝飯前。サンプリングした画像に、思うままに加工ができるのだ。

ただし「元ネタ」がすぐ分かるようなサンプリングをする作家は、あまり多くない。安斎さんは、和紙や布地の質感をよく絵に織り込む。女性の髪の写真をサンプリングして、雨の線に使う作家もいる。どことなくなまめかしい雨降りの描写になる。

安斎さんは、「オリジナル」という概念に挑戦する「いたずら」を仕掛けたことがある。CG作家仲間数人で「限定200部」の「オリジナル作品集」を作った。同時に、作品数点を選んで、宣伝用ポスターも作った。このポスター、作品集とまったく同じように、コンピューターから引き出して、同じプリンターで印刷されたものである。すると、オリジナル作品とポスターの違いはどこにあるのか。

「オリジナルには、作者のサインが入っています」
これまでの美術の世界では、版画や写真は別にして、作品はこの世に1点しか存在しなかった。だからこそ、オリジナル作品は貴重とされ、名作は何十億もの値で取引されたのだ。しかし、CGではオリジナルそのものが大量生産されてしまう。

安斎さんは、こうもいう。
「CGは拡大すれば単なる点の集まりでしかない。もともとオリジナルなんてないんですよ」

コピー機やCGのサンプリングが美術を揺さぶっていたこの5年ほどの間に、音楽の世界でもサンプリングが異変を起こしていた。その名も「サンプラー」という楽器の登場である。

サンプラーはシンセサイザーの一種だが、発想は根本的に違う。シンセサイザーは音を合成する電子楽器だが、サンプラーは現実に存在する音をサンプリングする「音のコピー機」なのだ。イヌの鳴き声。車のエンジン音。ガラスの割れる音。音であれば何でも、その音を使って鍵盤で音階に変えてしまう。出せない音がないので「究極の楽器」とも呼ばれる。

原理はデジタルコピーとよく似ている。音の波形を、1秒間に4万4100の点に分け、解析して電気信号に置き換える。CDのように精密に音をコピーできる。

サンプラーが10年前に世界で初めて商品化されたときは、1台1000万円。プロにしか手が届かず、とても普及しそうになかった。それを身近にしたのは「アカイ」「ローランド」といった日本のオーディオや楽器のメーカーである。いま、だいたい1台40万円。2万円を切る製品まで出ている。記憶容量の大きい高性能の半導体メモリーが安くなったのが、大きな要因だ。

サンプラーの見かけや大きさは、楽器というよりはビデオデッキに似ている。自然音、レコード、音源はなんでもいい。一瞬の音をコピーするだけではない。最大6分前後までサンプリング時間を設定できるから、歌1曲くらい、丸ごとメモリーに入る。

80年代、シカゴやニューヨークのディスコのDJたちが、既存の曲の1小節か2小節をサンプリングして延々と繰り返し演奏する、というダンス音楽を生み出した。この音楽は、発祥の地であるディスコの名前を取って「ハウス」と呼ばれている。

福富幸宏さん(28)が昨年12月に出したCD「ラブ・バイブス」は、その手法を発展させてできあがった作品だ。音源は自分のレコードコレクションである。ジャズや現代音楽、あらゆるジャンルの音色やリズムパターンをサンプリング。自作の音も加えた1000枚のフロッピーディスクが、福富さんのミュージシャンとしてのデータベースだ。

「元歌」がすぐにわかってしまうような使い方は、ここでも芸がないとされる。サンプリングした音は、いくらでも加工ができる。ピアノの演奏をサンプリングし、リズムだけを残して音色はギターに変えた、という演奏もCDに入っている。元の曲からは想像もできない使い方をすることで、サンプルに新しい命を吹き込む。そこに「模倣」との境界線がある。

福富さんはこう表現する。
「長年のポピュラー音楽の歴史の中で、レコードは膨大にある。無限に近い素材の中から、何を選んで、どんな新しい意味を持たせるか。そこにアーティストの感性が表現される」

福富さんのCDは、自宅マンションの6畳間で生まれた。サンプラーにパソコンをつなぎ、自動演奏で録音したのだ。福富さんは、もともとはベースギター奏者である。鍵盤楽器は片手で弾く程度だ。「演奏」はパソコンをマウスで操作するだけ。それで、一流の音色の複雑なフレーズが、次々に飛び出してくる。演奏技術の訓練の重要度は減る一方だ。すると、聴き手と演奏者、アマチュアとプロの境界線も、あやふやになってくる。

「でも、歌心のない人が作った音楽は、やっぱりつまらない。演奏が簡単になった分、ミュージシャンの感性が忠実に出てしまう」
技術ではなく「感性」だけがプロの要件になりつつある、と福富さんは考える。

サンプリング芸術の源流は、1960年代のアメリカ・ポップアートに見いだすことができる。有名なのはアンディ・ウォホールだ。誰でも知っているマリリン・モンローやエリザベス・テーラーの写真とか、コーラのビンを題材にして自分の作品に再構成した。マスメディアに乗ったモンローやリズの「虚像」をもう一度虚像化すると、あたかもマイナス×(カケル)マイナスがプラスになるように「ウォホールの作品」という「実像」が生まれる。

美術評論家の木村重信さんは、サンプリング芸術は芸術の自然な流れだ、と強調する。
「現代は写真や映像といった虚像が氾濫する時代だ。自然物だけが芸術家のモチーフになった時代とは違う。自然であろうが虚像であろうが、それをどう作り変えるか、に作者の個性は表れる」

昨年暮れ、世界中のレコード店の店頭から、ビズ・マーキーというラップ歌手のアルバム20万枚が一斉に回収された。彼がギルバート・オサリバンの作品を無許可でサンプリングしていたことに対し、ニューヨーク地裁が著作権法違反との判決を下したからだ。

ラップやハウスはサンプリングを多用する。ラップ歌手MCハマーのアルバムでは、13曲中5曲がサンプリングで作った歌だ。ヒット曲「U・キャント・タッチ・ジス」は、リック・ジェームスの「スーパー・フリーク」という曲から、ベースとドラムの音色とパターンをそのままサンプリングして、ハマーが歌を重ねたものだ。

欧米では、元歌を明示して、原作者に著作料を払うといった慣習ができあがっている。が、時にはマーキーの例のような「もぐり」が出てくる。例えば、他人が撮影したヌード写真を、無許可でスキャナーで読み込んだとする。ヌードの体の曲線だけを残して、まったく別の絵に作り変えてしまったら、ヌード写真の原作者は、著作権を主張できるのか。

文化庁著作権課によると、写真を読み込む行為は「複製権」の侵害にあたる。が、その先どこまでが著作権侵害なのか、線引きはまだ不明瞭。判例の積み重ねと、業界の慣例ができあがるのを待つしかない、という。日本の著作権法は、1970年の施行。コピーが普及する以前の法律であり、サンプリングという新技術にはまったく追いついていないのが現状だ。まして、CGやサンプラーのように、音や形を完全に変えてしまう高性能の機材の前では、原作者が自分の作品がサンプリングされていることを発見することすら、困難だ。

(AERA 92.03.24)




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