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隔週連載コラム「ずぼらの馬鹿力」No.021
古い家のクマちゃん
このごろよく浪人時代のことを思い出す。惨めで何一ついいことのなかった1年間だったのに、あの時間だけは人生の他の部分とはまったく違った色をしている。短い時間しか生きていないと、未来は姿をとらえにくい。若者は希望と夢にあふれている、なんてのは大人の勝手な思いこみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 大学に落第して過ごした浪人の1年間は本当にみじめだった。


 「いくら望もうが、いくら努力しようが、報われないこともある」ということを、ぼくは初めて知った。その冷徹な「現実」という突然の訪問者に、ぼくは何の備えもなかった。出会い頭、いきなり拳を頬に撃ち込まれ、尻餅をついたような思いだった。ダラダラ無期限延長していた、おめでたいこども時代に突然鳴り響いた終了のベルだった。


 浪人になって初めての休みに映画に行った時だ。ぼくが差し出した予備校の学生証をじろじろと見た後、キップ売りのオバチャンはこう言い放った。


「これ、学割きかんで」


 かたわらに、高校時代からのガールフレンドがいた。先に大学にちゃんと受かっていた彼女は学割の1300円を払い、ぼくは「一般」料金1500円を払った。200円の差が、ぼくが何か得体の知れない異人種になったことを高らかに宣言していた。愕然とするあまり、映画なんか全然頭に入らなかった。結局、そのガールフレンドにも冬ごろにフラれた。


 貸しレコード屋に行って会員申し込みをしようとしたときのことだ。「大学生?高校生?」と店員の兄ちゃんに聞かれてぼくは絶句した。そのままレジの前で放心して立ちつくしてしまった。黙ったままのぼくを見つめていた兄ちゃんは、書類に「無職」とそっと書き込んだ。


 高校生でもないし、大学生でもない。おれは一体何なんだ。


 生まれて初めて、ぼくは「所属先」を失った。社会がぼくに「お前は不必要な存在だ」「お前なんか人間じゃない」と声を揃えて歌っているような気がした。


 昨日まで一緒に高校に通っていた同級生が、晴れやかな顔でテニスラケットやギターを抱えてキャンパスに向かう姿を見送りながら、ぼくは黙って唇を噛んでいた。除隊して母国へ帰還する戦友を見送る兵隊の気持ちってのはこんなもんなんだろうな、と思った。


 参考書も教科書も、見るのも嫌だった。もう反吐が出そうだった。が、その吐き気のする参考書を開いてまた一からやり直さないと、ぼくの未来は存在しないのと同じだった。未来永劫、人間扱いをしてはもらえなかった。それも分かっていた。


 まるで体を押さえつけられて口から砂を流し込まれるような気持ちだった。でもそこから逃げ出す方法も他になかった。


 みじめだった。


 あれから20年以上経った。そう、いま38歳のぼくは、浪人だったころのぼくの2倍以上も生きている勘定になるのだ。


 38歳のぼくが見ると、18歳のぼくがもがき苦しんでいたあの絶望感は、それほど大げさに騒ぐほどのものじゃなかったのかもしれないなと思う。あれから20年の間に、ぼくは浪人なんかよりもっと惨めで、もっと屈辱的で、もっと激しく自分を憎み、そして恥じるような経験をたくさん通過した。


 でも、それはすべて、自分が大人になってしまったから言えることだ。38歳の今だから言えることだ。18歳のぼくは、人生がどん詰まりに入ってしまったと本気で思っていた。「まだ人生、先は長いし、いろいろあるさ」。そう理解するには、ぼくは若すぎた。温めていた卵を落とし、割ってしまったような、そんな気持ちだった。


 いま、まったく不思議なことに、最近になってぼくはあの1年をよく思い出す。ただみじめなだけで、何にもいいことのなかった、あの1年を。


 高校時代のことはあまり思い出さない。思い出すほどの思い出も作れなかった。大学もバンドのことくらいしか覚えていない。


 それなのに、ときおり、東京の雑踏を歩いていると、ある光景が頭にふいに飛び込んでくるのだ。それは新宿の高層ビル街の真ん中にある歩道橋の上だ。冷たい夜だ。はるか下の道路を行き交う車のライトをじっと見つめて、その男はまるで呪文のように繰り返している。


「おれ、もうあかん」


 何度も何度もつぶやく。


「おれはもうあかん」


 それがクマちゃんだ。



 ひょろひょろやせてけっこう背も高いのに、クマちゃんなんてあだ名がついたの理由は単純だ。名字がクマガイだったからである。彼はいつも赤いトレーナーを着て、青いシャツの襟が丸首から出ていた。いや、他の服も持っていたに違いないのだけど、ぼくの記憶の中のクマちゃんはいつもそんなかっこうをして、ひょろ高い背を丸めて歩いている。クマちゃんとぼくは同じ高校に通っていた。


 クマちゃんはヘンなヤツだった。特にスポーツが得意というわけでもないのに、プロレスが大好きだった。授業中もよく、七三分けが伸びたぼさぼさの髪をかき上げながら、じっとスポーツ新聞を読んでいた。起きているんだか眠っているんだか分からない細い目をまた細くして。


 ある日の授業中のことだ。数学だったと思う。クラスは違ったのだけれど、たまたま選択した授業でぼくはクマちゃんと隣の席になった。


 彼は、いきなりぼくの方を振り向いて話しかけてきた。


「おまえ、プロレス好きか」


 運動音痴でスポーツにまったく興味のなかったぼくは、狼狽するしかなかった。いや、あんまり知らん、と言うのがやっとだった。


「やっぱイノキは最高やで」


 クマちゃんの目は陶酔で潤んでいるようにさえ思えた。


「バ、ババなら知っとる」


「馬場はあかん。イノキは男や。やっぱイノキしかないで」


 そのあとクマちゃんは、教壇の先生の話もぼくもまったく無視して、やれ全日本がどうしたとか昨日の試合のコブラツイストがこうしたとか、ワケのわからない話を滔々と続け、最後に満足そうにニカーと笑うのだ。ぼくが聞いていようがいまいが気にしていないようだった。言いたいことを言い終えると、ニカーと笑ったままでぼくをじっと見つめた。


 かようにヘンなヤツなのだが、クマちゃんは天才だった。数学や物理・化学のいわゆる理系の科目が天才的によくできた。


 さっきまでスポーツ新聞を読みふけっていたのに、いざ先生に当てられて黒板の前に歩み出ると、クマちゃんはまるで手品のように鮮やかに問題を解いてみせた。先生はその解をしばらくじっと見つめ、ふむ、と鼻から息を吐くと、きまってこう言うのだ。


「よお、できとる」


 こんな調子で、どんな難関校の問題でも見事に答えを出してしまうので、そのうち先生もクマちゃんに問題を解かせなくなった。


 きっとこの男に解けない問題なんてのはこの世に存在しないんじゃないかとぼくには思えた。模試でも学校のテストでも、ぼくは彼の点数を聞くたびに目をむいた。理系が軒並み壊滅的にアホだったぼくには、彼はミュータントのように見えた。何で神様はこんなに不公平なんだと思った。きっと頭脳の構造というか、脳細胞、DNA、神経組織などその他モロモロの生体組織が違うんだろうと思うことにした。


 怠け者のうえにパープリンのぼくにとって、クマちゃんは違う人種だったのだ。


 でも、ぼくはクマちゃんがだんだん好きになった。優秀なくせに全然いばらなかったからだ。あまり見事に問題を解くものだから、ぼくが横から「スゴイな」と声をかけても、彼は腕を組んでニカーと笑うと、たった一言、こう言うのだ。


「いや、あかん」


 周囲の期待通りというか、クマちゃんは国立大学の医学部志望で、模試の成績も現役合格を十分に保証していた。先生も仲間も、誰も彼の現役合格を疑わなかった。


 ところが、運というのは分からないもので、クマちゃんは志望校に落第してしまった。落第が当然の ぼくみたいなアホもクマちゃんみたいな天才も、いっしょくたにして「浪人」というレッテルがぽんと貼られてしまったのだ。


 高校の卒業式が終わり、予備校が決まった後だったと思う。浪人が決まった同級生連中数人が喫茶店に集まっていた。西陣の有名な織物屋の息子ニシナカと、京大教授の息子のタモツ、オク、クマちゃんとぼくだった。


 ぼくたちの通った高校は私立大学の付属校で、全学年の九割がそのまま無試験で大学に進学してしまう。ぼくらは九州の山奥に逃げのびた平家の落人みたいな気分だった。誰もが鉛のように黙ったままテーブルの上のコーヒーカップをにらんでいた。


「あーあ」


 誰かが言う。


「あーあ」


 他の誰かがこたえる。


 また沈黙が降りてきた。ぼくも腕組みをしたまま黙っていた。


 しばらくして、クマちゃんがぽつりと言った。


「おれら、アカンなあ」


 声の方を向くと、下を向いたままクマちゃんはニカーと例の笑みを浮かべていた。いや、笑っているのか泣いているのかよく分からなかった。


 外はぬるい雨が降っていた。



 なぜなのか今ではもう思い出せないのだけれど、通っていた予備校は違ったのに、クマちゃんとぼくは仲が良くなった。グラウンドを借りて「予備校対抗ソフトボール大会」までやったのを覚えている。お互いの家にもよく行った。


 クマちゃんの家は京都の町中にある300年前だかの建物で、町屋造りがどうしたこうした、国の重要文化財かなんだか、そんなもんだった。とにかく古くて、玄関を入るとまず煤けた釜戸が並んでいて仰天したのを覚えている。


「すごい古いやろ」


 35度を超える京都の夏だった。首からタオルをかけて玄関を開けたクマちゃんは、いつもの調子でニカーと笑った。


「おれんちなあ、クーラー工事すんのに国の許可がいるねで。かなんわ」


 これは冗談ではなかった。家全体が重要文化財のため、自由に電気工事をすることさえできないのだ。彼の家にはクーラーもなかった。


 受験生のクマちゃんのために、親御さんは中庭に小さなプレハブの勉強部屋を建て、そこにエアコンを付けていた。お父さんはどこかの医学部の教授だったように覚えている。上品そうなお母さんが運んでくれたカルピスを二人で飲んだ。


 何をしたのかよく覚えていない。レコードを聴いたのかおしゃべりをしていたのか、涼しいプレハブ小屋でのんびりとした時間が流れた。


「おれら、どうなるんやろなあ」


 ふいに、そんな言葉がぼくの口からこぼれ落ちた。


「さあなあ、どうなるんやろなあ」


 クマちゃんは言葉を絞り出すように応える。


 会話は途切れた。どこかで蝉がみんみん鳴いている。


 ぼくとクマちゃんの会話は、いつもそんなふうに終わるのだ。



 夏が終わって空気が涼しくなると、受験本番はもう目の前だった。寒くなり、ダウンパーカーやダッフルコートをたんすから出したと思ったとたん、あっという間に年が明けた。


 ぼくは国立大学の文系を第一志望にしてはいたが、もうほとんど受かる可能性はないと思っていた。模試の成績も共通一次試験(今のセンター試験)の結果も、すべては「不合格ゾーン」に針が落ちたままぴくりとも動かなかった。


 バカも極まれりと今でも思うのだが、ぼくは大失敗をやらかしていた。滑り止めに受験するはずの私立大学の願書締め切り日を間違え、滑り止めをどこも受験できなくなったのだ。さすがのぼくにも笑い事じゃなかった。出願に間に合った学校は早稲田の政治経済学部と法学部、それと本命の京都大学だけ。


 こんな難関校ばっかり、どこも受かるわけないじゃん。全滅だ。


 受験前からぼくは絶望していた。2浪は確定だ。またもう1年この砂を呑むような日々が続くんだ。ぼくは吐きそうだった。
 
 寒い寒い2月だった。浪人仲間で宿を取り、東京に受験ツアーに行くことになった。約束の京都駅に行くと、同じ文系志望のタモツやニシナカと一緒に、クマちゃんがいた。東京の私立医大でも受けるんか、と聞くと、違う、と言う。ワセダ受けるねん、とクマちゃんはぶっきらぼうに言った。


「ワセダに医学部てあったか」


 間抜けなことを聞いたぼくに、クマちゃんは真顔で言った。


「政経受ける」


 ぼくは仰天した。なんでや、そんなことしとらんと、京都で勉強しとった方がええやんか。思わずそう言った。


「ええねん。医学部受からんかったら、もうあきらめる。ワセダ行く」


 クマちゃんはうつむいたまま言った。ぼくは黙るしかなかった。


 東京の宿は新宿の高層ビル街の真ん中の高層ホテルだった。金持ちのニシナカの親御さんが気を利かしていい宿を取ってくれたらしい。部屋はツインが二つだった。ぼくはクマちゃんと同じ部屋だった。


 部屋に入って荷物をベッドに投げ出すと、日はとっぷりと暮れて遠くにネオンの光が見えていた。おなかがぺこぺこだった。


「街、行こ」


 どっちが言い出したのかはもう思い出せない。たぶんぼくだったのだろう。もうほとんどヤケクソだった。行こ行こ。クマちゃんもためらわなかった。


 地図を見ながら歌舞伎町まで歩くと、洪水のようなネオンと呼び込みの声の濁流に、ぼくらはダイブした。ラーメンやギョーザに狂ったように食らいつき、バッティングセンターでバットをぶんぶん振り回し、ゲームをやって獣みたいな声を上げ、やることがなくなっても、ただひたすら夜の街をさまよい歩いた。酒も飲んだのかもしれない。


 午前零時ごろには、ぼくらはへとへとだった。冷たい夜なのに、二人とも汗だくだった。頭がどんどんぼやけていた。


 でも、宿には戻りたくなかった。明日のことなんかどうでもよかった。いや、このまま明日が来なかったらいいのにと思った。


 あと数時間すると、ぼくたちはこれからの一生を決めるテスト用紙の前に座っている。


 それで、すべてが決まる。すべてが終わる。


 ぼくは脅えていた。怖かった。頭を揺すろうが叩こうが、どうしても、うまく行くとは思えなかった。惨めに失敗することしか考えられなかった。


 最後の仕上げのつもりで、ぼくらは「アダルトブックス」という看板の店に飛び込んだ。要するにビニ本屋だった。店の壁一面で、見たこともないようなキレイなお姉さんたちが痴態を繰り広げていた。


 ぼくもクマちゃんも、棒のように硬直して壁一面の痴態を見つめ続けた。


 母親が持たせてくれた1万円札をレジに叩きつけ、ぼくは目に付いたビニ本を片っ端から買った。体が熱くなって、とてもじっとしていられなくなった。ぼくとクマちゃんは店を飛び出すと、ホテルに向かって全力で走り出した。


 大通りを横切り、駅前の雑踏を駆け抜けた。何人にぶつかったのか、見当もつかない。罵声を浴びながら、汗ぐしょになって走った。


 雑踏を抜けて歩道橋を駆け上がると、そこは高層ビルの谷間だった。なにか大きな魔物のようなビルが、四方からぼくたちに冷たい光を注いでいた。


 ぼくたちは手すりにしがみついた。息が切れて、何かにつかまらなくては崩れ落ちそうだったのだ。


 ぼくは下を見た。見たこともないような広い道路を、赤や銀のライトが濁流のように猛っていた。ごうごうという音だけしか聞こえなかった。


「ここ、どこや」


 荒い息の下から、クマちゃんが声を絞り出した。ぼくはあたりを見回した。どこをどう見回しても、同じ墓石のようなビルがぼくらを見下ろしているだけだった。


 ぼくらは道に迷ったのだ。


「どうしよう」


 ぼくは情けない声で言った。もう午前2時近かった。明日は7時には起きて試験会場に行かなくてはならないのだ。


 びゅうと北風が吹いた。汗を吸ったシャツが重く冷たくなっていく。ぼくは歩道橋の上にへたり込むと、地面にビニ本の包みを投げ出した。


 何やってんだ、おれは。頭の中をそんな声がぐるぐる回っている。


 ぼくは膝を抱えて空を見上げた。都会の空は明るく、爬虫類の皮膚のような色に光っていた。


 何やってんだ、おれは。今度は言葉が口からこぼれ落ちた。クマちゃんに聞こえたのかどうかは分からない。


「おれら、あかんな」


 手すりにもたれたままのクマちゃんがぼそりと言った。


「あかんわ」


 顔は渦巻く車の濁流を向いたままだった。表情は見えなかった。泣いていたのかもしれない。湿ってふやけた言葉だけが下にぽとりと落ちて、轟音の渦に吸い込まれていった。


 ぼくは泣きたかった。


 もう、あかん。おれ、もうあかん。


 壊れたレコードプレイヤーのように、ぼくの頭の中をそんな声だけがぐるぐる回っていた。


 あのあとどれくらいの時間あの歩道橋にいたのか、どうやってホテルまで帰ったのか、どうしても思い出せない。


 その夜、ぼくはほとんど眠れなかった。



 それから1ヶ月後、ぼくは第一志望の大学に合格した。試験のできはどこも散々で、2浪を覚悟していたのに、蓋を開けてみたら受けた学校は全部受かっていた。クマちゃんも第一志望の国立大学医学部に合格した。


 合格後、喫茶店かどこかで落ち合った時、クマちゃんは久しぶりにあのニカーという笑顔で笑った。そして言った。


「わからんもんやなあ」


 ぼくも言った。


「ホンマにわからんもんやなあ」


 ぼくたちは喜んでいるというよりは困惑していた。だから抱き合ったり肩をたたき合ったりという劇的なシーンは何もなかった。でも、ぼくたちにはそれで十分だった。


 大学に入ってしばらくはクマちゃんともつきあいがあったのだが、彼が専門課程に上がるころには、だんだん疎遠になっていった。ぼくも自分の大学で友達を見つけ、そちらの連中と遊んでいる時間のほうが長くなった。やがてぼくは大学を卒業して新聞社に就職し、故郷を離れた。


 最後にクマちゃんに会ったのがいつか、もう思い出せない。


 クマちゃんは大阪の有名な大学医学部で心臓外科医になった、とどこかで聞いた。後に、心臓移植で世界的に有名なアメリカの大学に留学した、という話も伝わってきた。


 ぼくはぼくで、こうして東京で雑誌の記者やら編集者やらをやっている。クマちゃんと一緒にいたころから、もう20年も経ったのだ。


 でも、ぼくは、あの新宿のビルの谷間で路面にへたり込んでいた時の気持ちを、まるで昨日のことのように思い出せる。


 あのとき、ぼくはもう未来を逃したんだと確信していた。このまま社会に不要な人間として腐っていくと信じていた。湖底に沈んだ老木のように、誰にも気づかれないまま朽ち果てていくんだと。


 みじめで、情けなかった。あのとき、なぜ、下を渦巻く自動車の濁流に体を投げ込んでしまわまなかったのか、今でも不思議だ。


 だからぼくは、10代の若者が自殺したというニュースを聞くたびに、彼らの気持ちが分かるような気がするのだ。ぼくも同じ気持ちだった。理由も根拠もなく、確信していたのだ。勝利や栄光は絶対におれのものにはならないんだ、未来なんかもうないのだ、と。


 でも、実は未来はあった。驚いたことに。


 そんなに輝かしいものでも晴れがましいものでも何でもないのだけれど、とりあえず、あれから20年の人生をぼくは生きている。結婚したり離婚したり、外国の都会に暮らしたり日本の田舎に暮らしたり、18歳の時には想像もできなかった20年が、今はぼくの血肉になっている。20年前には想像さえできなかったことだ。


 ぼくはあそこで自分の腐った未来を消去してしまうことはしなかった。なぜかは分からない。勇気がなかっただけかもしれない。絶望していたくせに、自分にケリを付ける度胸さえなかったのだろう。ありそうなことだ。


 一つだけ言えることは、あのとき、ぼくは絶望してはいたけれど、一人ではなかったということだ。クマちゃんもぼくも絶望していた。二人で絶望していた。お互い抱き合って泣くなんてクサイ場面はなかったけれど、ぼくらはお互いが何を感じているか、よく分かっていた。完璧なほどよく分かっていた。あの新宿の、冷え切った歩道橋の上で。


 クマちゃんはどうしているんだろう。


(2001.6.4)

 
 





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