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隔週連載コラム「ずぼらの馬鹿力」再スタート編 [No.1]
白樺の森に誰かいる
以前にも書いたけど、僕は超自然現象によく行き会う。合理主義者、自然科学の信奉者を自称している身としてはとても困るのだが、なぜか「何か」の存在を感じ取ってしまうのだ。頼みもしないのに、「あちら側」の存在が僕を訪ねてくるような感覚、とでも言うのでしょうか。今日もその話をひとつ。


2年ほど前、僕がある友だちに招待され、長野県・蓼科にある別荘に遊びに行かせてもらった時の話です。
ぼくたちが別荘に着いたのは夕方で、あたりはもう薄暗くなっていました。

別荘の裏は白樺の森でした。下り斜面に暗い森が広がっています。荷物を降ろしてテラスに出たぼくは、森の空気を深呼吸しました。

が、そのとたんに、なにか澄んだ鐘の鳴るような空気の震えを、ぼくは感じたのです。その森に誰かがいる。そんな気がしたのです。それは、まるで静かな水面に雨粒が落ちてくるように、なんの前触れも根拠もなく、そんな気持ちが心にわき上がってきたのです。

「この森には、誰かがいる」

そんな概念だけが、雲のようにぽんと湧いて出たのです。

ぼくは森を見渡しました。薄暗い森は遠くで白い雪を頂いた高山の裾野まで続いていて、人がいそうな場所ではありません。不思議に思いつつ、ぼくは部屋の中に入りました。

「ねえ、この森って、向こうに誰かの家があるの?」

友人は不思議そうな顔をしてぼくを見ています。

「そんなはずないよ。向こう側はもう原生林だもん。うちの別荘が端っこ」

ふうん、とぼくは首をひねりました。納得がいきません。あの森に誰かがいる、という思いは、もう確信となってぼくの心にどっかりと腰を降ろしています。

いつのまにか家の外を闇が満たし始めています。白樺の木々が沈没林のように夕闇に沈んでいくのが見えました。それとともに、冷気が窓やドアの隙間から忍び込んできました。

「こんなこと言って、おかしいと思うだろうけど」

ぼくは、石油ストーブに火を付けようと腰をかがめている友人の背中に声をかけました。

「裏の森に誰かいるような気がするんだ。遊歩道でもあるのかい?」

友人は、はっとこちらを振り返りました。

「何だって?」

顔に、驚愕がありありと浮かんでいます。ぼくはちょっと狼狽しました。

「いやね、裏の森に誰かがいる。そんな気がしてしょうがないんだ」

友人は絶句してしまいました。そして、傍らのソファにどっかりと座り、真剣な顔でこう言ったのです。

「お前、どうして分かるんだ?」

今度は、こっちが驚く番です。

「何が、だよ?」

「裏の森に人がいることがさ」

「それ、どういうこと?」

「いるんだよ」

「だから、何が?」

「人がだよ。人が埋まってるんだ」

ぼくは自分の顔から血が引いていくのが分かりました。テーブルの上のティーカップを取ろうとする指先がぷるぷると震えています。

「……」

「うちの婆ちゃんなんだ。この別荘が大好きでね。よく裏の白樺の森を散歩しては野草や花を摘んでいたんだ。それで、亡くなったとき、遺灰の一部を持ってきて裏の桜の木の根本に埋めたんだ」

石油ストーブの火が、ゆらゆら揺れています。

友人は一人、しゃべり続けました。

お婆さんは苦労人でした。旦那さんは歯医者でしたが、女遊びが激しく、奥さんを顧みませんでした。最後は妾と結婚する、と言って奥さんを一方的に絶縁してしまったのだそうです。

晩年は、娘である友人の母親が引き取って面倒を見ました。

春や秋になると、お婆さんは別荘にやって来ては、飽くことなく白樺の森を歩き回りました。そこで、亡くなったとき、友人のお母さんが遺灰の一部を瓶に詰め、一番のお気に入りだった野桜の根本に埋めたのだそうです。

「ちょっと電話する」

友人は受話器に飛びつきました。

「もしもし、あ、母さん?おれ。いま、蓼科の別荘だけど。婆ちゃん、やっぱりいるよ。うん。友だちが感じるんだって。裏の森にいるんだって。そう、桜の木だったよな。母さん、良かったよなあ。婆ちゃん、やっぱり喜んでくれてるんだよ…」

ぼくは呆然として電話をする友人の背中を見つめました。背後のテラスの外の闇の中には、その白樺の森が広がっています。ぼくはそこで何かが息をしているような気がして、後ろを振り向きました。

白樺の木々が、闇に消えようとしていました。一本だけ、幹が黒い木があるのが、その野桜なのでしょう。確かめようとして、ぼくは目を凝らしました。

でも、無駄でした。黒い幹の野桜は、白い木々より一足早く、闇の中へ消えていきました。

(2000.8.1)




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