| 隔週連載コラム「ずぼらの馬鹿力」No.008〜うがやinニューヨーク・その1 「4年前に別れた女との再会」 自称「第2の故郷」ニューヨークに帰ってきた。どうもこの街は人をキザにするのではないか。と、いうわけで今回はとりあえず「帰郷」当夜に書いたコラム。時差ボケもあって自分でも吹き出すほどキザです。後々読んで笑っていただきましょう。 |
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東京から12時間飛んでニューヨークに着くと、こちらは出発した時の東京の時刻と同じ時刻だ。東京は朝6時。今ごろ、友達や同僚は寝床から起き出して、ぼくより13時間先の未来をすでに始めているのだろう。なんだか自分一人だけが後に取り残されたような気がする。 乱気流のため飛行機が揺れに揺れたせいで、あまり眠れなかった。こちらの体は徹夜明けと同じである。ハイウェイは混んでいた。のろのろ運転のリモのシートでぐったりしながら、ぼくは朦朧とした目で風景を眺めている。 マンハッタンに向かうハイウエイは、ブルックリンの「ジャマイカ」という地区を通り抜ける。アフリカ系市民がたくさん住んでいる。文字通りジャマイカからの移民も多い。きっと故郷にちなんで名前を付けたのだろう。 赤茶けたビルに囲まれたコンクリートのコートでバスケットボールに興じる子供たちを眺めながら、ぼくのふやけた脳は4年前の記憶をのろのろとたぐり始める。あのときと、全然変わらない。ニューヨークを去った4年前と。ピントのぼけた写真のような記憶がどんより鈍った脳に再生された。 コロンビア大学の大学院の合格証書を手に、このハイウェイをたどったのは、さらに2年前、もう6年前だ。 あのとき、JFKに着いたぼくはニューヨーク名物の黄色いタクシーに乗った。なのに、シートに座れなかった。なぜかというと、そのタクシーにはシートがなかったからだ。 正確に言うと、後部座席だったはずのスペースはあった。が、シートのクッション部分がなかったのだ。どうやら、修理かなにかでシートをはずし、あきれたことにそのシートのない車で営業を続けていたらしい。 スーツケースをトランクに積んだあとになって気づいて愕然としたが、すでに手遅れ。中近東系の運ちゃんは、早く乗れと運転席から手をぶんぶん回している。悲しいことに、あのころのぼくには「やっぱり止めた。降りる」と告げる勇気も、英語力もなかった。 季節は夏だった。タクシーにはエアコンもない。車のフレーム材がごりごりと尾てい骨をこする。エンジンの熱がじりじりお尻を焼いた。くたくたで座りたいのに、座れない。脂汗がだらだら流れて、目に入る。風景がぼやけた。 結局、ぼくは中腰でフロントシートの背もたれにしがみついたまま、マンハッタンまでの50分を耐える羽目に陥った。 「これは、とんでもないところに来てしまった」。ぼくはニューヨークくんだりまで高いカネを使って来たことを真剣に後悔し始めた。 「私は甘くないわよ」。ハイウェイの向こうにマンハッタンの高層ビルが見え始めたとき、ぼくはこの街がそう言っているのが聞こえたような気がした。 会社を休職して自費で留学したため、給料は止められていた。6年間働いて貯めたお金だけが生命線だった。はっきり言ってカネはなかった。 カネはなかったが胸は希望で一杯だった、なんてクサいことは言わない。希望なんてなかった。ぼくは不安で死にそうだった。 計算してみると、2年間の課程を終えるぎりぎりの額しかない。使える額は一日5ドルだった。人里離れた真っ暗な夜道を、ガス欠寸前の車で飛ばすような気持ち、といえばいいだろうか。実際、この時に乗ったタクシー代50ドルが、2年の間に使ったタクシー代の最高額になった。 それから2年後、ぼくは大学院を無事に卒業した。1日5ドルの計算はぴったり当たり、貯金は帰りの飛行機代を残してすっからかんになった。そして、2年のうちにニューヨークはぼくの第2の故郷になっていた。街を去って日本に帰るハイウェイで、ぼくは名残惜しくて何度も振り向いた。イエローキャブの窓で、マンハッタンの街影が夕日に滲んでいた。 「あなた、なかなかやるわね。また来てよ」。 街がそう言ってくれたような気がしたのだ。 そしていま、ぼくは会社の差し向けたハイヤーのふかふかのシートに身を沈め、またこの街へと戻っている。今度は社命なので、給料は毎月振り込まれる。気分はずっと楽だ。 でも、別にエラくなったとも思わない。今のほうがマシだとも言い切れない。 留学に来たときは、鎖を外されたイヌのような気分だった。ぼくは野良犬になった飼い犬だった。カネは不安だったけど解放感はあった。誰もぼくのやることにとやかく言わない。その爽快感は初めての経験だった。そして、鎖を外され自由に走り回ることを覚えたイヌは、二度と元の飼い犬には戻れないことも知った。 一度野良犬になったぼくは、再び飼い犬として戻ってきた。今回は仕事だから、上司も同僚もぼくの働きを舐めるように見ることだろう。あれこれ言うだろう。カネの心配はないがプレッシャーがある。 自由とカネってのは両立しないもんだ、とぼくは苦笑する。 ハイヤーは渋滞を抜け、ハイウェイを疾走していた。確か、あのカーブを右に曲がれば、マンハッタンの島影が姿を現すはずだ。 ぼくはそわそわしている自分に気がついた。 なんだか、つきあって一度別れた女と、またつきあうような気分だ。そうすると、その女と4年ぶりに会うために待ち合わせ場所に急いでいるっていうシチュエーションだな、これは。そう思って、ぼくはまた苦笑する。 寡黙な韓国人運転手が、怪訝そうな顔をしているのがルームミラーに映っていた。何だ、このヘラヘラした日本人野郎は、という顔だ。 気まずくなって、金大中大統領の人気はどうだ、などと雑談を始めると、運転手はたちまち火がついたようにしゃべり始めた。全羅道は流刑地だったんだ。あそこの連中ってのは、みんな罪人の子孫だよ。でも商売はうまいな。頭が良いっていうか機転が効くんだな。 ソウル生まれの彼がハンドルをぐっと切って、車はカーブを曲がった。まるで空から降ってきたかのように、マンハッタンが長々とそこに横たわっていた。ちょうど夕日が高層ビルの向こうに沈むところだった。ビルの四角い影が、薄紫色になって橙色の空を削っている。一対の煙突みたいなワールド・トレード・センターが、茜色にきらきら輝いていた。 「やあ」 ぼくは窓に顔を寄せて、心の中でつぶやく。 「久しぶり」 夕暮れのマンハッタンに灯がともり始めていた。宝石と化粧で着飾った夜の女みたいだ。ちょうど出かけるところだった、という風情である。 「あら、あんたまた来たの。何しに来たのよ」 おいおい。それはないでしょ。また笑いがぼくの口から漏れた。 街の音が聞きたくて窓を開けた瞬間、車は海底トンネルに入った。再び地上に出ると、そこはもうマンハッタンの底、ビルの谷間だった。 窓の隙間から、車のクラクションやブレーキを踏む音、パトカーのサイレンなどなど、喧噪がどっといっぺんになだれ込んできた。 ロースト・ピーナッツとプリッツェル(ねじりパン)を焼く屋台の香ばしい匂いが入ってきて、車の中を満たした。ドブと排気ガスの匂いが、少し混じっている。 ああそうだ。ぼくは毎日この騒音を聞き、この匂いをかいで暮らしていたんだ。鎖の外れた野良犬として。 しばらく使わなかった脳の回路に、かちんとスイッチが入ったような気がした。 韓国人運転手は、アクセルをぐっと踏み込むと、Jウオーク(信号無視で道路を渡ること)の歩行者の群に突っ込んでいく。 おーい。帰ってきたぞ。おーい。腹が減った。 (98.10.1) |
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