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「オレももう若くない」と初めて思い知らされたのは、コロンビア大学の修士課程に留学したときである。 ご承知かとも思うが、アメリカの大学院は過酷な勉強を生徒に強いるところである。週にreading assignment(予習のための指定読書)が、だいたい1コースにつきハードカバー週1冊。それも、スティーブン・キングじゃなくて学問用語てんこ盛りの学術書である。それをセミスター(年2学期制度の場合の一学期。だいたい4カ月)に4、5コース取らないと2年で卒業できない。すなわち、週にハードカバーの分厚い学術書を4、5冊ずつ読みこなし、さらにレポートだなんだとペーパーを書き続けないと、ドロップアウトしてしまうのだ。 テスト前になって愕然とした。1、2カ月前、確かに読んだはずの内容を、忘れている。記憶力が激しく減退しているのだ。2、3回読み直し、内容をノートに取らないと覚えることができない。知らない英単語が出てきた、と思って辞書を引けば、そこには以前一度チェックした印であるラインマーカーが引いてあってまた愕然としたりする。 僕が留学したのは1992年。29歳の時だった。高校や浪人時代、一度読んだものはするすると頭に入ったものだ。ファイナル・カウントダウンに入ったとはいえまだ20代、若い若い、などと勇躍大学院に入ったはいいが、授業が始まるなりそんな自信は粉々に粉砕されてしまった。 20歳代前半の若い留学生仲間に聞いてみると、みなさん楽々と「一夜漬け」でテストをこなしていらっしゃる。こちらは、一晩で暗記なんてとても歯が立たない。切歯扼腕してもゴマメの歯ぎしりである(若い読者のみなさん、一夜漬けは青春の一時期にしかできないマジックなのです。できるのも今のうちだけと肝に銘じ、一生懸命一夜漬けに励んでいただきたい)。 思えば、最後にまとまった勉強をしたのが大学時代。それから6年も経っている。しかも、その間は夜回りだ朝回りだ、と知力不要・体力のみのブンヤ生活。脳細胞が死滅するのも道理である。 その後さらに6年が経った。脳細胞は確実に死に続けているようだ。以前会った人の名前をど忘れする。思いついたコラムや記事のネタを10分後に忘れる(だからメモ帳をいつも持ち歩いて、思いつくとすぐ書き留めている)。漢字を忘れる。買い物に出たはいいが、買うべき品が思い出せない。悲惨な話はいくらでもあるが、それはまた別の機会に譲る。 が、むかし想像したほど35歳ってのは悪くないな、と最近は思う。 子供のころ、「人類は1999年に滅亡する」という例のノストラダムスの「大予言」に恐れをなして、人類が滅亡する年に自分が何歳なのか計算したことがある。 答え、36歳。 子供心に、思った。そのころはもう自分は頭は禿げ、腹はたるみ、あごがなくなるほど太り、灰色の背広に暗い色のネクタイをして黒い革鞄を下げ満員電車で通勤しているのだろう、と。黒い革靴はすり減り、靴下は当然臭い。新幹線に乗れば、何はなくともチクワと缶ビールを買い求め、靴を脱いで前のシートに臭い足を投げ出すのだろう、と。そんなみっともない姿になって、僕は人類とともに滅亡するのだ、と。 まことに幸いなことに、烏賀陽少年の予想は、今のところ全部外れている(いや、人類滅亡についてはまだ分からないな)。もっとも恐るべき厄災であるハゲは回避されている。体重は30歳を超えて以前より減った。ネクタイなんて年に数回しか着けない。酒が飲めないのでビールは飲まない。黒い革鞄の代わりにエディー・バウアーのバックパックをしょって出勤している。 それでも、今こうしている間にも時間は流れる。来年の1月8日が来れば僕は36歳だ。若いままでいられるわけはない。会社では「若手」から「中堅」に呼び名が変わった。若い後輩の態度はいやに恭しくなり、先輩や上司も以前よりはいくぶん丁重になった。 本人は相変わらず年齢を重ねている自覚はないのに、周囲が僕を見る目が先に変わっていく。「あれ?ヘンだな」という感じだ。そう、「何か」がそっと近づいているのだ。僕の知らない「何か」が。 それは一体、何だろう。恐るべきものなのか、歓迎すべきものなのか。 前回書いた村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公(34歳)は、同級生の「五反田君」との対話の中でこう言っている。 「我々はどちらも34歳で、それは13歳とはまた違った意味でとても難しい年齢だった。二人とも年をとるということの本当の意味を少しずつ認識しはじめていた。そして我々はそれに対してなにがしかのものを準備しはじめなくてはならない時期にさしかかっていた」 そして、主人公と五反田君は「われわれにいま必要なのは愛だ」と意見が一致するのである。 でも、そんなに恐がるほどでもないんじゃないの、と僕は思う。 話があちこち飛んで恐縮だが、僕は観葉植物が好きで、部屋でポトスやアイビーを育てている。 彼らを眺めていると、教えられる事が多い。 例えば、葉。芽を吹いた時は、瑞々しい黄緑のうえに白い産毛がきらきらして、見とれるほど美しい。が、柔らかくて破れやすい。風や気温の変化にも弱くて、すぐ枯れたり破れたりする。 ところが、その葉が成長すると、だんだん緑が濃くなって、ぶ厚くなっていく。若葉の時の繊細な美しさは失われる代わりに、無骨でたくましい姿に変わる。茎も節くれだって硬くなり、ちょっとやそっとの風でも折れない。 そして茎を伸ばすと、その先にまた小さな若葉が芽を吹く。最後は茶色く枯れ、葉は落ちる。そのころには、今まで若葉だった葉が、またたくましく成長している。それをくり返すうちに、葉が茂り茎は伸び、全体は大きく育っていく。 人間も、それでいいんじゃないだろうか。 僕は、新聞記者になってから書いた記事を全部保存している。自分の成長記録というか日記みたいなものである。 当たり前かもしれないけど、新人記者時代に書いた記事のスクラップを開くと、けっこうほほえましい。誰も読まないような火事や交通事故のベタ記事に悪戦苦闘し、書き上げるのに半日かかったりしたことを思い出す。今なら1時間以内、あるいは30分かもしれない。「オレも多少は昔よりうまくなった」と安心したりもする。 僕の場合「自分の書きたいことが書けるようになってきた」、つまり自分の文章を自分でコントロールできるようになってきた(もちろん、まだ完璧にはほど遠いけど)と感じ始めたのは、記者になって8年経ったころである。どの記事かというと、ニューヨーク留学時代に書いた「チェルシー・ホテルの昼と夜」だ。 この記事までは、「自分が書いたもの」が、「書きたかった事」とあまりにかけ離れているので、非常に不満が強かった。毎日毎日、記事を書き続けて8年である。23歳だった僕は、31歳になってしまった。 だが、僕のような特段の才能のない凡人には、それだけのトレーニングがどうしても必要だったのだ。そして、自分が何を書きたいのか、8年のうちに明確な輪郭が見えるようになってきた。それだけでも、8年トシを取る価値はあったと思う。 年齢を経ることって、奪うばかりじゃない。与えてくれるものもある。そう考えると、トシを取るのもそう恐くはなくなった。 最後に余談です。 僕が35歳の誕生日を迎えた夜、京都の母親から電話がかかってきた。 母「あんた、きょう誕生日でしょ」 僕「へえ、覚えていてくれたんか。ありがとう」(やっぱり親はありがたい、と一瞬思う) 母「いやね、昔、私が35歳になったとき、あんた『これでお母さんも四捨五入したら40歳やなあ』って言ったの、覚えてる?」(勝ち誇ったように) 僕「そ、そんなこと言うたかな」(実は言ったことを思い出した) 母「あんたが35歳になったら同じこと言うてやろ思て。もう40歳やで。チューネンやで。35歳の誕生日、オ・メ・デ・トさん」(電話切れる) なんと、わが母親、かつての恨みを24年も覚えていて、ついに復讐を遂げたのである。若い読者のみなさん、人のトシのことを軽々にからかってはいけません。天に向かって唾するが如し、です。 (1998.6.28) |
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