![]() このドーナッツみたいなのがベーグル。手前白いのが塩ベーグル。手前右はガーリック。奥の皿に乗っているのが、オニオン、レーズン、ポピー。 |
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午後8時。気温、マイナス5度。窓の外のビル街に雪が舞っている。 今日みたいに寒くて外にメシを食いに行くのが面倒なとき、ぼくが住む界隈はとても便利だ。前にも書いたけど、ここの近所にはそれこそいろんなレストランがあって、温かい部屋に座っているだけで、世界中の味を運んでくれる。 和食にチャイニーズ、イタリアンは言うに及ばず。アルゼンチンにスペイン、ギリシア、ブラジル。インド、タイ、アフガニスタン。 フランス人の婆ちゃんがやっているフランス家庭料理屋は隠し味のワインが効きすぎて、日本人の舌にはちょっとしょっぱい。スペイン料理屋では、いつもスパニッシュギターを抱えたはげ頭のオッサンが悲しげな調べをぽろぽろと(誰も聞いていないのに)つまんでいる。プエルトリコ料理屋のオバチャンは、アンドレ・ザ・ジャイアントが店に来たときの写真を自慢げに見せてくれた。 この、ぼくが住むウエストサイド50丁目のあたりを「ヘルズ・キッチン」という。「地獄の台所」。名は体を現す、である。 なんでも、19世紀の末ごろ、このあたりはマンハッタンでも最悪のスラムだったんだそうだ。アイルランドやら東欧やらプエルトリコやらからの移民が、鉄道や屠殺場のすぐ隣にひしめき合って住んでいる。そんな場所だったらしい。やたらとレストランの種類が多いのは、その名残なのだ。 (ついでに言うと、ヘルズ・キッチンとは19世紀末のアイリッシュギャング団の名前。名作『ウエストサイド・ストーリー』はこの界隈が舞台である) ぼくの部屋には、そんな店のメニューがどっさり積んである。この界隈にやって来たとき、どこも店頭にメニューを置いているのに気がついた。出前を頼んでくださいね、、というわけである。これ幸い。隣近所10ブロックを歩き回ってかき集めておいた。 きょうのディナーは、四川料理の「ウー・リャン・レイ」である。紅油水餃と担担麺が死ぬほどうまい。舌に襲いかかるラー油の辛みと、やや遅れてくる甘みにも似た奥深い味わい。一発で中毒になった。週に3回は食っている。NYを離れて東京に帰る日が来たとき、一番つらいのはここの紅油水餃と担担麺が食えなくなることだろうなと思う。 腹を空かして待っていると、インターコム(内線電話)がぷるぷると鳴る。 出前のふりをした泥棒が入らないように、1階のコンサージュ(受付)が確認するのである。 おい、ミスター・ウガヤ、フード・デリバリーを頼んだか? うん、早く上げてやってくれ。ぼくは電話にしがみつくように言う。 腹ぺこで死にそうだよ。 コンサージは笑って言う。よし、分かった。お前が飢え死にする前に部屋に行くように言っておくよ。ま、たぶん間に合うだろう。えーと、27階のI号室だったな?エンジョイ・ユア・ディナー。 間もなくドアベルが鳴る。 どちらさま?いちおう、のぞき穴を確認する。確認せずにドアを開けて強盗に襲われても、この国ではこちらの責任になってしまう。 中国語訛の英語がドアごしに聞こえる。ハーイ、フード・デリバリーです。 ドアを開ける。いつもの中国人のオッサンが白いビニール袋を手に立っている。 えーと、代金が23ドルだから、チップ1割ちょっとでまあ3ドルか。てことは、30ドル渡して、4ドル返してもらえばいいわけだな。 と、これだけの計算を瞬時にやらなくてはいけない。誠に面倒くさい。チップがいかんのである。やめてほしい。 とはいえ、デリバリーボーイというのはだいたい最下層の人々、つまりは移民したての中国人やラテン系(料理に種類にかかわらず、なぜか出前持ちは中国人とラテン系が多い。逆に、タクシー運転手にはインド人や中近東系がやたらと多く、中国・ラテンという出前二大勢力はいない。きっとビザのない違法移民が多いのだろう)がほとんどである。彼らの給与が戦慄すべき少額であることを考えると、このオッサンの生活はぼくがいま渡そうとしているチップにかかっているのである。 オッサンは、いかにも安っぽいネズミ色のウインドブレイカーを着てぶるぶる震えている。 その瞬間、チャイナタウンのゴキブリのはい回るアパートでこのオッサンの帰りを待つ疲れ果てた中年の中国女、泣き叫ぶ幼女、腹をすかせてぐったりと眠る乳飲み子などの映像がどかどかと脳裏に乱入し、あなたが今出すチップにあたしたちの生活はかかっているのよ、と大合唱を始める。 ああ、ごめんなさい、あなたが寒風吹きすさぶなか自転車で走り回っているというのに、ぼくはアパートでぬくぬくとしていて。ぼくは卑屈な笑いをうかべてぺこぺこと頭を下げる。 あ、どうもどうも。お疲れさま。寒かったでしょ?いつもすみませんね。はい、これチップね。いつもご苦労さまね、はいはい。 オッサンは、チップの額を確かめると、にこりともせずに「サンキュー」と告げ、くるりときびすを返してエレベーターに消える。あまりうれしくないらしい。 ぼくは呆然とドアの前でたたずむ。 まあ、いい。デリバリーのオッサンの家族のことなんか、しらん。オレは客なんだぞ。とにかくメシだ。 ビニール袋から茶色の紙袋を取り出し、容器をテーブルの上に並べる。 この街の出前は誠に無粋である。料理が安物のタッパーウエアみたいなポリ容器に詰め込んであるのだ。 ラーメンがアイスクリームの容器みたいな入れ物に入っているのを初めて見た時は目が点になった。とてもじゃないが、そのまま食う気になんかなれない。 ドンブリを棚から取り出すと、容器のフタをひっぺがして中身を空けた。スープの真ん中に、麺がプリンみたいな形になってポコンと浮いた。必死になって箸で引っかき回して麺プリンを破壊し、あるべきラーメンの姿を修復する。でも、いつまでもプリン型ラーメンの形が網膜に漂って、味なんてよく分からなかった。 ぼくは目の前の麺プリンを箸でつついてため息をつく。 まったく、盛りつけも料理の重要な要素であることを理解しとらんのか、この国の者どもは。 などとブツブツ言いながらでも、ラーメンはラーメン。食えば腹はふくれる。何となく機嫌は直る。 ま、いいか。けっこううまかったし。 ぼくはキッチンに立ってドンブリと一緒にポリ容器を洗う。ねっとりした調理油をスポンジで丁寧に落とす。よしよし、しっかり乾かすのだ。うむ、この平たい容器は押しピンの入れ物に使えるな。こっちの背の高いのはペン立てにしよう。しめしめ。 鼻歌が出る。なんだか機嫌がいい。トクした気分だ。 おい、ちょっと待て。容器を洗う手が止まった。 ぼくは愕然とした。 なんで、出前容器を廃物利用しなくちゃいかんのだ。 ペン立てが必要なら買えばいい。いくらでもおシャレなアイテムが店で売っている。押しピンの容器だってそうだ。 何やってんだ、おれは。今のおれは給料取りなのだ。1ヶ月に一度は必ず銀行口座に月給が振り込まれる身なのだ。すっかり忘れていた。 困ったものだ。ぼくの体は、4年前の貧乏時代の習慣を覚えていて、出前を食べ終わると自動的に容器を廃物利用する行動を取ってしまうのだ。まるでパブロフの犬みたいに。 冗談でもなんでもなく、そんな習慣が染みついてしまうくらい、ぼくは貧乏の淵であえいでいた。コロンビア大学の修士課程で勉強するためにNYで暮らしていたころの話である。 自分で学費と生活費を払う2年間を送ることになったとき、ぼくは電卓をはじいて貯金の額から学費2万ドル(1年分は奨学金があったので、1年分)を引き、残りを730日で割ってみた。 愕然とした。答え、5ドル。つまり、一日に5ドル以上使うと、ぼくの留学生活はガス欠で頓挫してしまうのだ。 削るべき支出は全部削った。CD、教科書以外の本はもちろん厳禁。服や靴なんて買えるわけがない。 家賃は月650ドル。これはNYで暮らすには最低ラインである。これ以上下げると、治安最低、いつでも泥棒ウエルカムのスラムに住まなくてはいけない(実際、住んでいた所から10ブロック北はハーレムだった)。よって、これは死守すべし。 と、なると後削るべくは食費しかない。一日5ドルでしのぐためのメニュー。頭を振り絞って考えたのがこれである。 (朝)コーンフレークと牛乳。オレンジジュースは濃縮果汁還元の安物。 (昼)家で食パンを薄く切って、チーズとハム、レタスをはさみ、学校に持参。ジュースの類は避け、できるだけ水を飲む。 (夜)近所のコリアンのオバハンがやっている八百屋に出かけ、コメを買って日本から持参した電子ジャーで炊く。オカズはこのオバハンが漬けたキムチ。または実家から救援物資として送らせたフリカケ。少し余裕があれるときは、挽肉をまとめ買いしてハンバーグを作った。でかい骨付きの豚肉を買い、スライスして生姜焼きにすることもたまの贅沢。骨はもちろん煮込んでスープにする。ネギを浮かべると、けっこううまいのである。 ホントにこれで2年間乗り切ってしまった。ゴキブリが毎夜天井をはい回る日照時間一日3時間の薄暗いアパートで、そんなメシをポソポソと2年間も食っていたのである。 当然、ぼくはいつもお腹をすかせていた。夕方になると腹が減って目が回りそうだった。そんなビンボー学生を哀れに思ったのか、大学院が毎日午後3時になるとクッキーとお茶をタダでふるまうというサービスがあった。ぼくは毎日そのラウンジに突進してはクッキーを鷲掴みにして、大事そうにナプキンにくるんで持ち帰ったのだ。 いま、ぼくは家賃3000ドルのハイライズマンション27階で24ドルの出前をがつがつと食っている。 24ドルの夕飯!4年前なら卒倒していたはずだ。 ぼくはため息をついた。 ビンボー時代に癖になってしまい、今も続いていることはまだ他にもある。例えば、ぼくの朝飯は断然ベーグルである。それも、ガーリックまたはオニオンフレークをまぶしたやつ。これがないと朝が始まらんのだ。 (ベーグルというのは、ドーナッツ型のパンのことだ。元々はユダヤ人の食べ物だったそうで、パン生地を茹でてから焼くのでやたらと固い。それがトースターで焼くと、不思議なほどクリスピィな歯ごたえになるのだ。) なぜベーグル中毒になったのか、原因ははっきりしている。「ワンデイ・オールド・ベーグル」のせいである。 大学院時代、キャンパスからアムステルダム通りを挟んだ向かい側に、ラテン系の兄ちゃんがやっている小さなデリ(総菜屋)があった。 そこである日、ぼくは見つけたのである。レジの前に客が4人も並ぶと身動きがとれなくなるような小さな店の片隅に、「ワンデイ・オールド・ベーグル1ドル」と書いた張り紙を。 もしやと思い尋ねると、やっぱりそうだった。前日の売れ残りのベーグルを1ダース1ドルで売っていたのである。 1ダース1ドル!普通なら6ドルはするはずだ。 これは買うしかない。 ぼくは2ダースの売れ残りベーグルを買い求め、喜びでスキップしながらアパートへ帰り、さっそくトースターで焼いてみた。味は普通とまったく変わらない。 あの瞬間のことはよく覚えている。黒い雲が割れ、薄暗いアパートに天から光が差し込んできたような気がした。天使がぼくの回りを舞っているのが見えた(ような気がした)。これで食いつなげる。大学院を卒業できる。おれは人生に勝ったのだ。 ぼくはベーグルを握りしめ、熱いパンが空きっ腹に落ちていく感触をしみじみと味わったのだ。 ところが、意外な敵が現れた。 昼頃に買いに行くと、もう売り切れたという。もとより供給の安定しない商品である。仕方あるまい。では、と午前10時くらいに行って買い占める。すると、次の日にはもう10時には売り切れになるのである。どうやら、このお買い得ベーグルを目当てに、近所のビンボー人やらホームレス、他のビンボー学生やらが殺到しているらしい。 しかし、これ以上朝早く買いに行くのは朝寝坊のぼくにはつらい。 そこで一計を案じた。午後8時、デリが閉店する直前に店に入る。時計が8時を回ったのを見計らって、レジの兄ちゃんに言った。 「あそこのベーグルだけど、あれは売れ残りかい?」 「そうだよ」 「つまり明日になったらワンデイ・オールド・ベーグルになって売られるんだね?」 「そうだけど、それがどうした?」 「うん、つまりこういうことだ。どうせもう店は閉まるんだろ?」 「ご覧のとおりさ」 「だったら、あのベーグルはもうすでに実質的にワンデイ・オールドなわけだ」 「何だって?」 「いやね、あのベーグル、明日にワンデイ・オールドで売るのも、今売るのも、一緒ってことだ」 ここで、ぼくは指を1本ぐっと突き出す。 「だから、いま1ダース1ドルで買おうじゃないか」 ラテン兄ちゃんは、隣にいたやっぱりヒスパニックの兄さんと顔を見合わせた。そして、揃って腹を抱えてげらげら笑い出した。 「お前、チャイニーズか?」 兄ちゃんはひいひいと苦しそうに息をしながら言う。 「ちがう。ジャパニーズだ」 「ジャパニーズってのはリッチなんじゃじゃないのか?」 ぼくは胸を張って言う。 「他は知らんが、オレは貧乏だ」 分かったよ。分かった。なおもげらげら笑いながら、兄ちゃんは言う。お前はワンデイ・オールド・ベーグルがほしいんだな。 「でもな」 兄ちゃんは真面目な顔で言った。 「競争はフェアじゃなくちゃあ、いかん」 他にもワンデイ・オールド・ベーグルを求めてやって来るカスタマーはいっぱいいる。お前だけに抜け駆けさえるわけにはいかん。 まあ、また明日来いや。 兄ちゃんはウインクをした。 「なかなかナイス・トライだったけどな」 言葉通り、ぼくは次の日一番にデリに駆け込んだ。ラテン兄ちゃんは大きな目をウインクすると、カウンターの下に積まれたワンデイ・オールド・ベーグルの袋を指さした。 それ以来、この兄ちゃんとぼくは仲良しになった。 次に店に行ったときのことだ。もうワンデイ・オールド・ベーグルは売り切れだった。 泣きそうな顔で兄ちゃんを見ると、ちょっと待て、と手で合図している。彼はちょっとかがむと、カウンターの下からベーグルの袋をひとつ取り出してぼくに手渡した。 「はいよ。1ドルな」 ぼくはうれしかった。困った他人を助ける、その心優しさがうれしかった。うれしくて、要りもしないアイスティーを一瓶買った。 アパートに帰ってベーグルを焼いて食った。温かかった。 そのとき以来、ぼくが行くたびに、兄ちゃんはワンデイ・オールド・ベーグルの袋をひとつだけ取り置いて、そっと手渡してくれるようになった。 4年後、ニューヨークに戻ってきたとき、ぼくはあのデリを訪ねてみた。 もうデリはなかった。ピカピカのコンビニみたいなおしゃれなデリカテッセンが同じ場所に建っていた。ラテン兄ちゃんはいなかった。ワンデイ・オールド・ベーグルなんて商品ももうなかった。ワンデイ・オールド・ベーグルはあるか、と聞いたら店員に不審な目で見られた。景気がいいから、そんなものをわざわざ買いに来る客もいないのだろう。 いま、ぼくは高層マンションの温かい部屋でベーグルを焼いている。毎朝毎朝、来る日も来る日も、焼いて食う。それがあの兄ちゃんへの恩返しだとでも思っているかのように。 ガーリックフレークの焼ける匂い。さくさくした歯ごたえ。それはまったく変わらない。 あのころ、 ごくたまに、ワンデイ・オールド・ベーグルを買いに行かない日があった。すると、ラテン兄ちゃんはデートの待ち合わせに現れなかった彼女を責めるように、こう言ったものだ。 おい、昨日はどうしてたんだい? ごめんよ。宿題が忙しくてね。 ぼくは申し訳なさそうな顔をして言う。 そうかあ、お前も大変だな。まあ、がんばれや。ほれ、1ドル。 ぽん、とベーグルの袋がぼくの手に包まれる。 そんなささやかな会話を、ぼくたちは交わしたのだ。ニューヨークの片隅にある、小さな小さなデリで。 (99.2.23) |
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