クリスマス・イブのマンハッタン雪景色。上方真ん中の細長いビルがアル・パシーノが住む高層アパート。その向こうはセントラル・パーク (ベッドルームの窓から)



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隔週連載コラム「ずぼらの馬鹿力」No.015〜ニューヨーク編
10カ所目の「家」から
クリスマス・イブ。ニューヨークに雪が降った。灯りのともる窓の一つひとつで、家族が温かい夜を過ごしている。ぼくは自分の家のことを考える。ずっと、ずっと昔、ぼくにも「家」があった。ぼくが家に帰るは、いつの日なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


キッチンでしゅうしゅう音がする。湯が沸いたみたいだ。

いったん目を覚ましてコーヒーを沸かそうとケトルを火にかけたのに、またベッドにもぐり込んで眠ってしまったらしい。

ここのところ、急に気温が下がった。よろよろとベッドから出てブラインドを少しだけ開けると、曇った窓ガラスの向こうでビルの屋上の電光掲示板が気温は零下8度だと言っている。

ぼくは寝ぼけた目をこする。 今日は何か取材があったっけ?ないと思う。そりゃそうだ。考えてみれば、今日はクリスマスイブだ。どこの企業も休み。よかった。やれやれだ。

こう寒いと、表に出るのが億劫になる。寒いというより、痛いのだ。氷の女王が両手でぼくの頬を包み込んでいるみたいだ。分厚いダウンパーカーを着て手袋をして毛糸の帽子をかぶって。それでもまだ寒い。冷気に晒される顔が痛い。特に耳。耳をつまんで吊り下げられているような痛みがするのだ。

夕べ家に帰る途中の歩道で、誰かが吐いたゲロが凍っていた。路上にこぼれたコーヒーも凍っていた。何かきらきら光る粒が歩道に落ちていると思って駆け寄ってみたら、痰が凍り付いていた、なんてこともあった。

まったく、ロクなもんじゃない。クリスマスだってのに、街は相変わらず汚い。ぼくはため息をついた。

ケトルがひゅうひゅう鳴るのが聞こえる。そうそう、火を止めなくちゃ。

キッチンの窓から27階下の地上を見て、眠気がいっぺんに吹き飛んだ。

こんなの、できすぎだ。 ぼくは絶句した。

雪が積もっていたのだ。

いつもは雨漏り止めのコールタールでどす黒いビルの屋上が、みんな真っ白だ。路上駐車の車が雪に埋もれて、丸っこいウサギみたいになっている。点々と続く足跡の先を歩いているのは、これから学校へ行く高校生だろう。

街全体が白い毛皮に包まれたみたいに丸く、ふわふわとしている。路上のゲロも痰も、きっともう白い雪の下に埋もれているのだろう。

夜目、遠目、傘の内に、もうひとつ追加だな。白い毛皮を着たマンハッタン。 ホワイト・クリスマス・イン・ニューヨーク。

こんなの、できすぎだ。カッコ良すぎるじゃないか。

ぼくはもう一度ひとりごちた。

ニューヨークでクリスマスを迎えるのは3回目だが、雪が降ったのは初めてだ。

I am dreaming of white Christmas. ビング・クロスビーのあの歌は、カルフォルニアの歌だ。決して雪が降るのことのないカルフォルニアのクリスマス。

ビング、雪が降ったよ。君の夢だったんだろ。いいだろ? 何だか、ぼくのニューヨーク滞在を神様が祝福しているみたいじゃないか。実に素敵なクリスマスプレゼントだ。

ぼくは一人でにんまり笑う。

キッチンの窓を少し開けてみる。クラクションやパトカーのサイレンと一緒に、冷気がすっと流れ込んでぼくの頬を撫でた。

ちらつく雪の向こうでマンハッタンの街が白くかすんでいた。昼なのに、うす暗い。ビルというビル、窓という窓に灯りがともっている。星をばらまいたみたいだ。

50丁目の向かいにある古い煉瓦のアパートが、下に見える。最上階のあの部屋は、窓際にクリスマスツリーを飾っている。そう、赤い絨毯のあの部屋だ。金銀のモールに、赤や緑の飾り玉。きっと明日の朝には、あのツリーの根元にプレゼントが並ぶんだろう。 その隣の部屋では、窓で電飾が点滅している。赤、緑、青、黄色…。蛍が集まったみたいだ。

ぼくは街を見回した。どのビルのどの部屋も、思い思いに窓を飾っている。モール、電飾、白くスプレーを吹き付けた窓もある。「メリー・クリスマス」「ハッピー・ホリデイ」。そんなネオンサインが見える窓もある。

街全体がメリーゴーラウンドのように華やかだ。いつもは肉食獣のようなこの街が、今日だけは白ウサギのように穏やかで、優しい。

ぼくはほっと息をつく。綿みたいな空気がぽっと宙に浮かんだ。

ぼくは街の灯りが大好きだ。灯りがともるところには部屋があり、人がいる。 今夜、あの灯りの一つひとつに家族が集まり、チキンを焼いて夕食をともにするのだろう。1年ぶりに会う親子もいるかもしれない。子供たちが小さな手を合わせてお祈りをするのかもしれない。

リビングルームの窓から、セントラルパークのそばにあるライムストーンの高層アパートが見える。あのビルの最上階には、アル・パシーノが住んでいるはずだ。 最上階の窓は?うん、オレンジ色の灯りがともっている。

忙しい売れっ子アル・パシーノも、今日は家でクリスマスを祝っているのだろう。

黒いひげもじゃのアル・パシーノが、例の悲しげな目をしながら子供たちをテーブルに座らせている。こら、静かにしなさい。騒ぐガキどもを叱りつけ、お祈りをする。天にまします我らの父よ。彼はイタリア系だからカソリックだよな。だったら、お祈りの後には十字を切るはずだ。アーメン。さて、いよいよ奥さんがオーブンからチキンの丸焼きを運んできて、みんなに切り分けて、さあ、食べようか。いただきまーす、と子供たち。

いや待てよ、英語に「いただきます」に当たる表現はないな。まあいいや。

メリークリスマス、アル。 ねえ、家族へのプレゼントは何を買ったの?

ぼくは窓に向かってコーヒーカップを掲げ、乾杯する。

蛍光灯を使わないからだろう。どの窓も、オレンジ色で温かい。

今夜、この街でクリスマスを祝う「家」の数を、ぼくは想像した。

数千?数万? 気が遠くなるほど優しくて、素敵な夜が来ようとしている。

日が暮れた。

ぼくはベッドに横たわって窓の外の街を眺めている。

このベッド、少し癖がついているような気がする。何人もの人間が寝るうちに、窪みというか傾きがついているようなのだ。たぶん真ん中へんに窪みができているのだろう。いつも目覚めるとぼくはベッドの真ん中に仰向けになっている。どんな格好で眠りに就いても。

ぼくが住んでいるのは34階建ての高層マンションの27階だ。部屋を買って住んでいる人もいれば借りている人間もいる。家主がホテルとして日決めで貸している部屋さえある。

ぼくの部屋はウィークリー・マンションみたいなものらしい。ソファもベッドも、皿にカップに包丁まで備えてあった。長期出張のビジネスマンが入れ替わり立ち替わり暮らしているのだそうだ。会社が用意した部屋なので、詳しいことは知らない。

でも、悪くない部屋だ。広さは40平方メートルくらいしかないが、天井が高くて広々としている。リビングとベッドルームにカウンター付きのキッチン。そして、この光の海に漂っているようなマンハッタンの夜景。部屋に絵を飾る必要を感じない。

ぼくは枕元のたばこに手を伸ばし、紙マッチを擦る。暗い部屋に、小さな赤い火が燃えて消える。 白い煙が暗がりに吸い込まれていった。

ひとつ、ふたつと指を折って数えてみる。生まれ育った京都の家を出てこの仕事を始めてから、住んだ家の数だ。

10。ちょうど10。12年で10カ所目の家が、このニューヨークのアパートだ。

やれやれ。ぼくはため息をついてごろんと仰向けになった。

1カ所に1年半も住んでいないって勘定じゃないか。人生最初の23年は一度も引っ越ししなかったのに、それがどうだ。後の12年はまるで旅芸人か季節労働者みたいな生活だ。

ぼくは10カ所の家のことを順番に考える。

生まれて初めて借りた家のことをよく思い出す。仕事で赴任した三重県の津市のマンションだった。3LDK、家賃5万5000円。人口13万人の田舎町では、この8階建てのマンションが一番高い建物だった。ぼくと妻が暮らし始めた家だ。

ぼくたちの部屋は6階にあった。夜になると、ぼくと妻はよくベランダに出て外を眺めた。街は暗かったけど、星がきれいだった。ずっと向こうに、伊勢湾の反対側にある知多半島の街の灯りが輝いて、星空と溶け合っていた。

海風が吹いていた。横を向くと、妻の長い髪が揺れていた。なんてきれいな髪だろう。そんなことを思ったのを覚えている。

ぼくは、ふうとたばこの煙を吹いた。

あれはもう10年も前の話じゃないか。いつの間に10年も経ったんだ?

妻との生活が終わったのは、ニューヨークの安アパートだった。築100年、家賃650ドル。

もうぼくは妻の裏切りを知っていた。毎日、彼女と怒鳴り合いを繰り返していた。ぼくはへとへとだった。来る日も来る日も、ぎしぎしスプリングの鳴るおんぼろベッドに横たわって、ゴキブリが走り回る天井を見つめていた。大学院の勉強どころか、立ち上がる気力すら残っていなかった。ばらばらになったぼくの世界はいつか元に戻るんだろうか。そんな不安を抱えてうずくまっていた。

10カ所の家は、どれもぼくの家だった。毎晩、仕事を終えたときに、思うのは家のことだった。家に帰りたい。風呂に入りたい。温かい布団で眠りたい。間違いなくそう思う。 でも、転勤の辞令が下りてその街を去ると、もうそこへ戻ることはなかった。何かの折りにかつての家を尋ねても、そこには誰か見知らぬ人が住んでいた。

暗い天井にたばこの煙が漂っている。

ぼくは目を閉じて思い出そうとする。ぼくが生まれ育った京都の家のことだ。

黄色い壁の家だ。広い庭をキンモクセイの生け垣が囲んでいる。

学校から帰ると、100メートル先からキンモクセイの匂いがする。もうすぐ家だ。もう秋なんだ。そんなとき、ぼくはよく歩道に立ち止まって、ひんやりした空を見上げた。薄青の空に糸のような雲が流れていた。

春になると庭のサクラの木が花をつけた。2階建ての家より背の高いサクラだった。

大学に落第したときも合格したときも、ぼくは縁側に座って満開のサクラを眺めた。 春の光の中で花びらがきらきら輝いていた。

春は別れの季節だとぼくは思う。一人膝を抱えてうずくまっているぼくにはお構いなしに、サクラの木は輝いていた。なんて残酷なんだろう。ぼくはこんなに寂しいのに。まだ10代だったぼくは、そう思った。

あの家もキンモクセイもサクラも、もうない。

バブル景気が崩壊したとき、親戚の一人が不動産投資に失敗して破産した。ぼくが知らないうちに、母親は自宅を担保に入れてこの親戚にカネを貸していたのだ。 家は二束三文で銀行に担保として取られ、不動産デベロッパーに売られた。

取り壊しの直前に、ぼくは家にお別れを言いに京都まで出かけた。

家の写真を何枚か撮ったあと、ぼくは庭の片隅にそっと近寄った。

庭木の陰になったその一角は、いつも土が湿っていて柔らかい。子供のころから、飼っていた動物が死ぬと、ここに亡骸を埋めた。カメとか、キンギョとか、ザリガニとかだ。

子猫のリクオもここに埋めた。リクオは家の前で車にはねられて死んだ。

寒い冬の朝だった。リクオは歩道の側溝で毛玉のように丸まって死んでいた。大学の仲間と徹夜で遊んで帰ってきた時に、ぼくが見つけたのだ。 抱き上げると、リクオは口から少し血を流していた。冷たかった。

妹たちが起きてきて悲しまないようにと、ぼくは一人静かにスコップで穴を掘り、リクオを埋めた。コタツで眠っているように丸まったリクオに、土をかけた。

いつからか、そこにはムラサキツユクサが一面に茂るようになった。

家との別れの日、ぼくはしばらくそこに座ってツユクサの茂みを撫でた。ふわふわした感触が、リクオの背中によく似ていた。

土を持って帰ろうか。一瞬そう思ったけど、やめた。リクオはもうここの土になってしまったのだ。そっとしておいてやったほうがいい。

もうここへは来ることができないんだ。ごめんよ。ぼくは、もう一度リクオにお別れを言った。

寂しかった。

不動産業者は、ぼくの家を引き倒したあと、庭木を根こそぎ抜いて更地にして6軒の家をその敷地に建てた。

6軒だって!一体どんな狭い家なんだ?

リクオも怒っているだろうな。上に家を建てたんじゃ、重いし息苦しいよなあ。化けて出てやれ、リクオ。

ぼくは起きあがってたばこを灰皿でもみ消す。

腕時計は午前零時だと言っている。クリスマスイブがクリスマスになった瞬間だ。

「ギャオー!メリークリスマース!」

向かいのアパートの窓で酔っぱらいが叫んでいる。クリスマスツリーの見える窓だ。

マンハッタンの灯りがぼつぼつと消え始めている。 窓の明かりがひとつ、またひとつと消えていく。

おやすみ、みなさん。メリークリスマス。

目が覚めたらプレゼントがツリーの下にありますよ。楽しみですね。

一年で一番楽しい夜が、街に降りていく。何千、何万という夢が眠りに落ちる。

ぼくも、家に帰りたいな。 ぼくは一人つぶやく。

でも、それはどこにあるんだろう?

(98.12.25)





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