10月18日日曜日のニューヨークタイムズ紙。大量に来る。



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隔週連載コラム「ずぼらの馬鹿力」No.011〜ニューヨーク編
"ニューヨークタイムズと朝日新聞はどこが違うのか?"
ニューヨークに住むことの楽しみのひとつは、ニューヨークタイムズ紙が読めることである。「日本のクオリティ・ペーパー」を自任する朝日新聞だが、NYTに比べるとまだまだ幼稚としかいいようがない。両者を読み比べてみる。前回が小説風だったので、今回は論評モードです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自宅アパートで仕事をしている。朝日新聞のニューヨーク支局は歩いて10分ほどの近さなのだが、まったく行く必要がない。実際、新聞社の海外支局オフィスなんて、もういらないんじゃないかとさえ思う。自宅で十分だ。

取材先にアポイントを申し込んでも、携帯電話の番号さえ先方に教えておけば、外を出歩いていてもすぐ返事を聞ける。留守番役なんていらない。取材前に新聞雑誌を下調べておく時も、持参した重さ2キロ足らずのマッキントッシュ・パワーブック2400でインターネットから検索できる。かつて支局にでんと構えていたロイターやAPの速報チッカー(打ち出し機)も、ウエブサイトで見ればまったく不要。ニューヨーク株式市場や外為相場など、20分に一回くらいアップデートされる。テレックスやファックスがないと日本へ送信できなかった原稿も、メールで瞬時に送れてしまう。

自宅アパートの寝室に机をレンタルしたので、ベッドの隣が仕事机。目覚めて30秒後には仕事が始められるので、ぎりぎりまで寝ていることができる。ぼくのような朝寝坊には素晴らしいことだ。うるさい上司や、うっとうしい同僚もいない。精神衛生上、まことにまことに好ましい環境である。

目覚めて一番最初の「仕事」は何かというと、玄関のドアを開けてニューヨークタイムズ紙を部屋の中に蹴り込むことだ。ドアの外の廊下の床にぽんと配達されているのだ。

なんで「蹴り込む」のかというと、重いからだ。一番分量が多い日曜版など、二つ折りの状態で厚さ10センチくらいある。いや、誇張でもなんでもなく、もう本当に「これでもか」というくらい情報が詰まっているのだ。

日曜版は特に重い。10月18日付を例に取ると、ワシントンの動きや国際ニュースを載せる「本紙」が36ページ。これだけで東京本社発行(つまり一番広告出稿が多くて四本社の中で一番分厚い)の朝日新聞と同じ分量だ。

さらに、ニューヨークの「都内版」にあたる「メトロ」が12ページ。経済面にあたる「ビジネス」が34ページ。これでも週末で官庁や企業が休みだから出稿量が少ない方だ。

「スポーツ」が14ページ。ファッションなどを特集する「スタイル」が10ページ。自動車評「オートモービル」が18ページ。レストランやNYのクールな名所を取材した「ザ・シティ」が18ページ。特集ものを収容する「ウィーク・イン・レビュー」が16ページ。これに求人・不動産案内が別綴じで42ページもつく。 数えるだけでも疲れる。全部でなんと、堂々200ページである。

曜日ごとに付く綴じ込みも変わる。映画、音楽、美術、演劇評論では権威ある「アート&レジャー」。「リアル・エステート」(不動産情報)、「ブックレビュー」(書評)、「トラベル」(旅行ガイド)、「サイエンス」(科学)などがまたドカドカついてくる。いやはやよくぞこれだけ、と同業ながら頭が下がる。

土曜日か日曜日にセントラルパークへ行ってみるといい。みんな分厚いNYTを横に置き、ベンチや芝生に寝そべって一生懸命読んでいる。日向でのんびりNYTを読むというのは、ニューヨーカーにとって最高に知的で素敵で、贅沢な休日の過ごし方だ。

困ることもある。ちょっと新聞を鞄に突っ込んで、というのができないのだ。重いしかさばるのでバックパックに入れることができない。地下鉄で読もう、と思って自宅から持ち出しても、これだけあったらとてもじゃないが読み切れない。隅から隅まで読むとまる一日つぶれる。古新聞がたまるスピードもむちゃくちゃ早い。

東京にいたころ、自宅を出て駅から地下鉄に乗って朝日新聞を広げれば、最初の乗り換えまでの20分でほとんど全部読めた。ぼくの英語読解力の貧弱さを差し引いても、情報量を比べれば、おしゃぶり昆布1枚と特大アメリカンTボーンステーキ5連発くらいの差がある。

どこを読んでも感心するのは、記者がみんなよく取材して分かりやすく書いていることだ。 「リアル・エステート」にしても、日本の「アパマン情報」みたいな羅列情報ではない。記者が物件を訪ねて論評したり、マンハッタンや近郊の不動産問題について経済的視点から論じていたりする。「トラベル」にしても、必ず記者のホテルやレストランルポが記事化されていて、きちんと判断材料が提供されいてる。「ブック・レビュー」に至っては、辛辣さにおいて右に出るものなし。ここでも評者はNYTの記者である。もう、言いたい放題言いまくっている。が、必ず筋が通っていて、なかなか反論できない。

「レストラン評」も好きだ。記者が覆面で行って試食し、店の内装から店員の態度までチェックを入れる。最高ランキングは4つ星である。もっとも、4つ星は滅多に出ない。5年前、日本人経営のレストランが4つ星に輝いて話題になったくらいだ。逆に、1つ星を頂戴するレストランも時々ある。

NYTの社員記者(スタッフ・ライター)が、論評に責任を取るという姿勢がとことん徹底している。これはいい。隅から隅まで、NYTの「直営」なのだ。パワフルである。

朝日新聞の書評だと、外部の評論家や大学教授に「書評委員」というのを嘱託している。これだと紙面の一部を虫食い的に「間貸し」しているようなもので、どこからが朝日の責任でどこからが外部評者の責任なのかよく分からない。

何かを攻撃・非難したいときにも「識者の談話」という形で外部筆者に論調を代弁させてしまうのも、日本の新聞の常套手段である。なんだか、誰かを盾に押し立て敵の砲火から逃げいているようだ。弱腰というか、逃げいてるのが見え見えでみっともない。

「談話の使いすぎは記者の足腰を弱くする。談話に語らせるくらいなら、同じ内容をファクトを取材して書け」。記者になりたてのころ、先輩記者がそう言っていた。最近はそういう美風も廃れてしまったようだ。

もうひとつNYTをぼくが愛好する理由を挙げる。ページが多いこととも関係があるのだが、記事が詳しいのだ。そして、一本の記事を読めばその話題についてすべて頭に入るように書いてある。 「ジャンプ」と言って、フロント面から中に記事が途中で飛ぶのがうっとうしいという人がいるが、日本の新聞よりこっちのほうがずっといい。

例えば、10月7日・8日に起きた円ドル相場の乱高下の記事を見てみよう。

1ドル=130円台から一日で120円台に下落、8日には111円台まで下がる。ところが、8日午後になって急反発、119円台まで戻る。この急反発の原因は何だったのか。

朝日新聞はこう書いている。

「午後になって為替介入への警戒感が急速に強まったため」(10月9日付け朝刊)だそうである。分量はたったの2行だ。これでは何のことか分からない。

同じ部分をNYTで見てみよう。9日付けビジネスセクションだ。

「複数の外為トレーダーによると、ニューヨーク連銀トレーディングデスクが、通貨ディーラーに市場の状況を尋ねる電話をかけ始めたあとからドルの下落は速度が落ち、そして反転した。ニューヨーク連銀は、外為市場でのその日その日の連邦政府の取引を担当している。通常、市場が混乱していると認識したときにこうした連絡をする。しかし、トレーダーの中には、こうした問い合わせを、連銀が『当局はドルを安定させたいと望んでいる』というサインを送るため、ドルを買う準備をしているのではないかと受け取ったものもいた」(14行)

どちらが分かりやすいか、一目瞭然である。NYTを読めば、NY連銀がどんな仕事をしているのか、現場で何をしたのか、それを市場がどう受け取ったのか、市場の慣習とは何なのか、背景知識からコアとなるニュースファクトまで完璧に入っている。NY外為市場についてあまり知識のない人でも、これを読めば、なぜドルが反転したのか一発で分かる。記事一本で小宇宙が完結しているのだ。

朝日新聞の「為替介入への警戒感が急速に強まった」という記述は、あまりに漠然としていて何のことか分からない。まるで市場がいい加減な心理だけで動いているように読める。

NYTのように実際のファクトをひとつひとつ書いてあれば、なるほどそれなら早とちりする奴は慌てるだろうな、と分かる。 だが一方で、記者の憶測は注意深く省いてある。ファクトだけを丹念に積み重ねている。よって、リアルだし、信頼感がある。

さらに言えば「為替介入への警戒感が急速に強まった」という言い方は、金融界に慣れた人間だけに通じる一種の「方言」である。仲間内でしか通じない特殊言語と言ってもいいだろう。金融界に知識のない読者にも分かるように書けば、NYTのような書き方にならざるをえない。

これは、要するに誰を読者として思い浮かべながら記事を書いているか、の差が出ているのだ。金融村の官僚たちや銀行家、アナリストだけを想定して書くからこうなるのだ。「ね、為替介入への警戒感が急速に強まった、と言えば、何のことか分かるでしょ?」と言って甘えているのだ。

NYTは、金融界に知識のない普通のおじさんやおばさん、学生にでもたやすく理解できる。外為相場のからくりが、普通の人にも身近になる。丹念に読んで知識を吸収すれば、政府だろうと金融だろうと遠い存在にはならない。

よくNYTはインテリの新聞だ、と知ったかぶりをする日本人がいるが、それはウソである。試しにニューヨークの地下鉄に乗ってみればいい。どう見てもワーキングクラスの人だって、NYTは読んでいる。ホームレスが道ばたに座って読んでいるのを見てびっくりしたことさえある。

要するに、NYTの方が「権力(いうまでもなく金融も権力である)の情報を人々に還元する」という姿勢が徹底しているのだ。「権力情報の開示」は、民主主義には絶対の要件だ。それを忠実に実行しているのである。この精神が日本の新聞には乏しい。

ついでに言うと、同じ紙面で朝日新聞はドル暴落の原因を「米国経済の失墜に対する懸念を引き金とする」と書いているが、これは事実誤認である。ぼくも取材したので言うが、今回のドル暴落の原因ははっきりしている。世界同時株安で大損をしたヘッジファンドが、穴埋めのためにアメリカ国債を売り、その資金だった日本で借りた円建ての借金を返したから、大量の円買いが起きたのである。

「ドルは欧州通貨に対しても売られるなど、ドル暴落の様相」とも書いているが、これも誤り。ドルはポンド、マルクに対してはほとんど動いていない。相場の数字チェックを忘れたのだろう。初歩的なミスである。

だから、同じ紙面がいう「パニック感が市場を覆っている」という記述も、ウソである。パニックしていたのは記者の方だったのだろう。

ファクトは間違いだらけ。しかも記者の憶測が充満している。あまつさえ方向を間違え、ミスリードしている。ドル暴落という天下の一大事に、この程度の記事しか載せていないのだ。NYTと比べて、なんと質の低い報道だろう。

日本の新聞が分かりにくいもう一つの大きな理由は、朝刊・夕刊を読者が連続してずっと読んでいるという前提で記事を書くからである。これはぼくも現場で経験しているので証言できるが、夕刊なり朝刊なり前のバージョンで報じた内容は割愛していく。だから、昨日の夜忙しくて夕刊が読めなかった、という人はすぐニュースが分からなくなる。

だが、今この日本のどこに、朝夕刊全部に毎日目を通してる読者がいるのだろう。そんなのいても少数派に決まっている。ファンタジーでしかない。こういう甘えた前提でことを進めることを、英語では"happy assumption"(おめでたい仮定)"wishful thinking"(お祈り思考)といって馬鹿にする。

ぼくは、日本の新聞は夕刊を廃止すべきだと真剣に考えている。無駄だから、ではなく害が大きいからだ。

これは脱線だが、以前、入社10年研修の席上でこういうことを公に発表したら、広告局のみなさんが激怒した。夕刊がなくなると広告の器が減って会社の収入が減るんだそうだ。愚かな論である。なら朝刊を増ページして広告を収容、しかるのち夕刊を廃止すればいいのだ。

日本の新聞が分かりにくい理由をもうひとつ。同じ新聞の中で記事が分散しているのだ。例えば、ドル暴落の記事は一面+総合面+社説+経済面(場合によっては外報面、社会面も)とちらばっている。全体像を頭に入れるには、これをひとつひとつ読んで頭の中でつなぎ合わせなくてはいけないのだ。なんという無駄な労力を読者に強いるのだろうか。

NYTは一本の記事にすべてが、しかも分かりやすく書いてある。 NYTは朝刊しかない。しかも、記事は一本だけ頭から最後まで読めば全部が頭に入る。締め切りが一日に朝刊だけしかないから、日本の新聞の倍の時間をかけて取材できる。よって情報の精度もむこうがはるかに上。悔しいが、NYTと比べると、朝日新聞は幼稚である。

そういえば、留学中の93年に自民党政権が崩壊、細川内閣が誕生したとき、政治部出身の朝日新聞NY支局長が「朝日読むよりNYT読んだほうが何が起きているのかよく分かる」と嘆いていたのを思い出した。

こんなこと、6年前にニューヨークに来てNYTをじっくり読み始めてからずっと言い続けているのだが、未だに耳を貸す人間は朝日にはいない。

たぶん、何も変わらないまま破滅までまっしぐらなのだろう。もうあきらめた。

(98.10.18)





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