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隔週連載コラム「ずぼらの馬鹿力」No.010〜ニューヨーク編
"Unforgettable King"
4年前と比べて驚くのは、ニューヨークがこぎれいになったことだ。「いかがわしい」お店はほとんど姿を消し、ホームレスがほとんどいなくなってしまった。とあるホームレスとかかわることになった思い出話。

キングが歌っていたコロンビア大学の界隈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


穏やかな日曜の昼だ。FMからスムーズなバリトンが流れてきて目が覚めた。

ナット・キング・コールの「アンフォーゲッタブル」だった。

ぼくはベッドからはいずり出すと、ドアを開けて廊下の床に配達されたニューヨークタイムズの重い束を拾う。キッチンに立って湯を沸かし、スターバックスのフレンチ・エスプレッソを濃いめに入ると、寝ぼけた頭がのろのろ動き始めた。

ビルの隙間から、セントラルパークの緑が輝いている。珍しくいい天気だ。 手に持ったカップから、エスプレッソの香りが鼻に流れ込んでいた。

アンフォーゲッタブル。少し霧が晴れた頭に「キング」の顔が思い浮かんだ。

そういえば、キングはどうしているんだろう。 そうだ、116丁目へ行ってみよう。 もしかしたら、もう一度キングに会えるかもしれない。戻っているかもしれない。

ぼくは財布を開いて小銭を確かめた。25セントコインが何枚か。1ドル紙幣も少々。よしよし。

ぼくが今住んでいる50丁目から116丁目までは、9番線の地下鉄に乗って15分ちょっとだ。

116丁目の地下鉄駅から地上に出たとたん、タイムスリップしたような感覚に陥って、少しめまいがした。あまりに何もかもが、4年前にここを立ち去った時のままだったからだ。

重そうに膨らんだバックパックを背負った若者が行き交う、コロンビア大学のキャンパス。よくタバコや雑誌を買った、インド人のおばちゃんが経営する新聞スタンド。道路向かいには、パキスタン人のおっさんの文房具屋がある。

ぼくの家はこのすぐ近所だった。毎晩天井でゴキブリが運動会をしているようなおんぼろアパートに2年間住んでいた。

授業の帰り道、ここでよくノートやラインマーカーを買ったっけ。なつかしくて、ぼくは用もないのに店に入っていった。

「ヘーイ!マイフレンド」

パキスタン人のおっさんは一目でぼくを思い出してくれた。名前はそう、思い出した。カーンだ。客をみんな「マイフレンド」と呼ぶのも変わっていない。

「どうしてたんだ?3年?いや、4年ぶりだよな?」

彼は目をくりくりさせている。

「トーキョーに帰ってたのか?それで、またこっちに帰ってきたのかい?なに、今度は仕事?雑誌の記者?そりゃあすごいな」

相変わらず早口だ。かつてボスだったハッサンは、ブルックリンに店を出したので、今は一人で店を任されているという。

「出世したね」

カーンは胸を張った。

「まあね。もうすぐパキスタンから兄弟を呼び寄せるんだ」

再会の挨拶代わりに、ぼくは特に要りもしないノートと地図を買った。

「最近、ホームレスの連中はまだいるの?」

レジを打ちながら、彼は頭を横に振った。

「消えちまった。ジュリアーニ市長がホームレスをストリートから追い出しちまったらしいぜ」

そうか。ぼくはあたりを見回した。 店のなかはしんとしていた。客は誰もいない。 通りから午後の光がさしこんでノートやペンの束を照らしていた。

じゃあ、また来るよ。ぼくは別れを告げた。

そうかい。いつでも寄ってくれ、マイ・フレンド。

うん、シー・ユー・アゲイン。また会おうな。

ぼくは通りに出た。隣に「ユニバーシティ・マート」という小さなスーパーマーケットがあるはずだ。 肉、魚、チーズから洗剤、トイレットペーパーまで何でも売っている。コロンビア大学に通う学生なら必ず利用する「名所」だ。

スーパーは前の通りあった。相変わらず学生で混雑している。 が、通りにホームレスは一人もいない。こぎれいな格好のニューヨーカーが買い物袋を抱えて行き交っているだけである。

ここに、4年前はホームレスがいつも5,6人はいた。買い物の釣り銭の小銭で財布が膨らんだ客に施しを乞うのだ。

なのに、まるで掃き清めたかのように、彼らは消えていた。 ぼくは呆然と立ちつくした。

一体、なにが起きたんだ?

ぼくの前を、膨らんだバックパックを背負った東洋人の男が通り過ぎていった。日本人じゃない。きっと韓国か中国からの留学生だ。 そういえば、今は秋学期の中間試験のころだ。彼の背中には、一冊30ドルもする教科書や、図書館で借りた参考書がぎゅうぎゅうに詰まっているんだろう。

垢のついたシャツに、よれよれのジーンズ。くたくたのスニーカー。4年前のぼくみたいだ、と思う。

ぼくはいつもみすぼらしいなりをして、お腹をすかせながらこの道を歩いた。 授業を終えてアパートに帰る道すがら、マートに立ち寄った。おいしそうなベーグルやマフィンを目の前にしても、ぼくは買うことができなかった。授業料を払うために、ぎりぎりまで生活を切りつめていたからだ。

3ドル80セントのオレンジジュースがもったいなくて、いつも迷ったすえに1ドル90セントの方を選んだ。高い方は果肉入り絞りたて。もう一方は濃縮果汁還元の安物だ。 薄暗いアパートに帰ってコップにオレンジジュースを空けると、鉄の匂いがかすかにした。

あれは秋の夕暮れだった。ぼくはいつものように安物のオレンジジュースの入ったビニール袋を下げ、スーパーから出た。

目の前に、紙コップがにゅっと突き出されていた。

見上げると、ホームレスの男がコップの中の小銭を鳴らして、カネを入れろと催促している。 その目を見て、ぼくはどきりとした。澄んだきれいな目だったからだ。

「ごめんよ」

ぼくは頭を振った。

「ぼくは一日5ドルで生活してるんだ。悪いけど、あなたにあげるお金がない」

男はぼくをじっと見つめた。

「5ドルだって!」

信じられない、というふうに彼は頭を振った。少し垢の匂いがした。

「俺だって1日10ドルは稼ぐぜ」

ぼくはコロンビアの門を指した。

「ぼくはあそこで勉強してる。ばか高い学費を払わなくちゃいけない」

そうだろうな。分かるぜ。大変だな。 男は腕組みをしてふーんと鼻を鳴らした。

「でも、今はつらくてもあんたには未来があるぜ」

男はそう言った。 未来があるぜ。そんなことを言って励まされたのは初めてだった。

ぼくはたばこを1本彼に勧めた。ライターで火をつけてやると、男はうまそうに煙を吸い込み、ふうと吐き出した。手が少し震えていた。

「ありがとう」

彼はにっと笑った。歯が白くて、子供みたいな笑顔だった。

「まあ、がんばんなよ。グッド・ラック」

「ありがとう。あんたも、グッド・ラック」

ぼくらは握手して別れた。がさがさと荒れた感触がぼくの手に残った。

「アンフォーゲッラボー」

後ろから、少し鼻にかかった、甘い歌声が流れてきた。

ひとつひとつ、言葉を区切るような歌い方だった。 振り向くと、さっきのホームレスが歌っていた。ナット・キング・コールの「アンフォーゲッタブル」だった。

日が暮れようとしていた。通りを歩く人々の歩調が早くなってきたような気がする。

「あなたのことが忘れられない。なぜなの、こんなにあなたが忘れられなくなるなんて」

晴れた秋の空に、まろやかな歌声が昇っていった。

未来があるぜ。道すがら、ぼくは彼の言葉を頭の中で反芻していた。 ぼくの頭は、来学期の学費をどうやって払うかで一杯だった。

未来だって?そんな言葉、しばらく忘れていた。大学院を終えたあと、どうする?日本に戻る?ニューヨークに残る?会社はどうする?辞めちまうか?ジャーナリストは続けるのか?

そう、ちゃんと先のことを考えなくちゃ。「今」は未来のためにあるんだし。 先のことを考えればこの貧乏生活けっこう楽しいかもな。

それにしても、ホームレスに励まされちゃうとはなあ。おれも落ちたもんだ。アパートの玄関をくぐりながら、ぼくはひとり苦笑した。

ホームレスに励まされるようなぼく。

これ以上落ちようがないくらいどん底のくせに、人を励ますホームレス。

笑ったら、なんだか、心が軽くなった。

学校への行き帰り、毎日彼にあった。 ぼくは彼を「キング」と呼ぶことにした。いつ見ても同じ「アンフォーゲッタブル」ばかり歌っていたからだ。まるで壊れたレコードみたいだった。それしか持ち歌がなかったのだろう。でもさすがというか、だんだん歌がうまくなっていった。

キングは夏も冬も、ふやけた新聞紙みたいなシャツやパーカーをごてごてと着込んでいた。右手に小銭を受けるペーパーカップを持ち、左手を胸に当てて歌う。

キングの黒い肌に、きらきらした目が輝いていた。道行く人を一人ずつじっと見つめながら、歌った。本当に、あなたが忘れられない、と一人ひとりに歌いかけているようだった。

ぼくは相変わらずキングに小銭をあげる余裕がなかった。その代わり、どきどきたばこをあげた。そんなとき、キングはウィンクをしてそっとたばこをポケットに入れ、5秒だけ歌を休む。

「サンキュー」 そしてまた歌い続けるのだ。

いつもと変わらない夜だった。

ぼくは部屋で教科書を広げ、おんぼろの中古マックを叩いてレポートを打っていた。

帰宅した妻は、ぐてんぐてんに酔っていた。

「おかえり 」

ぼくは妻を見た。 妻はしばらく机の横のベッドに仰向けにひっくり返ったまま、黙って天井を見ていた。

「大丈夫?水でも飲む?」

妻はまだ上を向いている。蜘蛛の巣が天井の隅でゆらゆら揺れている。

「あたし、××君と寝たのよ」

妻は、そう言った。 悪いジョークだ、とぼくは思ってまたマックを叩き続けた。

「冗談だろ?」

背後から声がした。

「本当よ」

妻の声はすわっていた。

マックの画面が突然乱れた。めちゃくちゃなアルファベットがあふれ出して、ぼくの指は動きを止めた。 手がががくがくと震えているのが分かった。からからになった喉から、声を絞り出した。

「それ、で?」

「あんたなんかより、ずっと良かったわ」

どす黒い毒が、血液に溶けて全身に回っていくのが分かった。 ぼくはふらふらと席を立った。ドアを開けて廊下へ転がり出た。 後のことはよく覚えていない。

気がつくと、ぼくは夜の街をさまよっていた。どこへ行こうとしているのか、自分でもさっぱり分からなかった。幽霊のように足が勝手に動いた。

泥の海を歩くように足がもつれて、ぼくは前のめりに倒れた。乾いた路面はゴミ臭い匂いがした。

自分の顔が濡れていることに気づいた。涙だった。拭わなかった。放っておいた。 ぼくの涙が白い路面に落ちた。

なぜこんなことがぼくに起きる?ぼくが何をしたっていうんだ?

頭がジェットコースターに乗せられたようにシェイクしていた。 ぼくの生きてきた世界は、ばらばらに砕け散ったようだった。

ぼくは116丁目の駅近くまで来ていた。

午前零時を回っていた。スーパーの灯りはまだ点っている。店を閉めても泥棒よけに灯りはつけておくのだ。

軒下で、ホームレスが何人か寝ていた。ぼくはその前で足を止めた。

「おやおや」

見知ったキングがその中にいた。

「元気か?」

元気じゃないよ。見れば分かるだろ。ぼくは言いたかった。が、嗚咽が出そうになって言葉が途切れた。

「女房が他の男と寝ていた」

なんで、そんなことをキングに言ったのかよく分からない。たぶん、誰でもいいから聞いてほしかったのだ。

キングはしばらくきょとんとしていた。そして、ふむ、と鼻を鳴らした。

「うーん。そりゃ、タフだな」

うんうんとうなずいている。

「ほんとにタフだ」

でもな、と彼は言葉を継いだ。

「お前さんにゃホームがあるんだろ。ほれ、おれを見ろよ」

薄暗い軒下に、黒い影が何個か、じっと息を潜めてうずくまっていた。ゴミの山と見分けがつかなかった。

さ、もう帰れよ。女房がそんなんじゃ、家は大変だろうよ。 でも、家があるだけいいじゃないか。 ドント・ウオーリー。

キングはそう言ってまたごろんと寝転がった。

ぼくは暗い夜空を見上げた。星は見えない。

キングはぼくの相手をするのが面倒臭かっただけなのかもしれない。が、彼の言うとおりだった。

いくつかの影が闇の中でうめき、動いている。眠りを妨げられたのだろう。機嫌の悪そうな舌打ちが聞こえた。

「さ、もう帰って眠れよ。ゴーホーム・アンド・ゲット・サム・スリープ」

キングはもう一度促した。

家に帰ってからのことは、もう思い出せない。

それ以降、妻とぼくとの関係は二度とは元に戻らなかった。それだけは覚えている。

それ以降、キングは、ぼくを見ると歌を中断してにっこり笑うようになった。そして小さく「ハイ」と言う。ぼくも「ハイ」と返す。それだけだった。

ぼくは妻のことを誰にも相談しなかった。誰にも言えなかった。

家に帰るのがつらいことがよくあった。 そんなとき、ぼくはよく足を止めて歌う彼をぼんやりと眺めた。

日が暮れようとするころだった。黄金色の夕日は、キングのスポットライトのようだった。

通りを行き交う人は、ほとんどキングに気さえ止めなかった。そして横にたたずむぼくにも誰も注意を払わなかった。

ぼくの人生がばらばらになっても、世の中はまったく変わらないままだった。すべてはいつも通りだった。 時計は回り、立ち止まっていてもぼくの人生は前へ進む。

ライフ・ゴーズ・オン。ビジネス・アズ・ユージュアル。

ぼくにとって、愛した妻は死んだも同然だった。彼女は自分で自分の頭を撃ち抜いて死んだのだ。 ぼくの家にいるのは、誰か知らない女だった。

このニューヨークで、いや、この世界の中で、キングだけがぼくの苦しみを知っていた。

「アンフォーゲッタブル」を歌う黒人ホームレスの彼だけが。

ぼくが最後にキングを見たのは、それからしばらくした冬の夕方だった。

朝から、冷たいみぞれが降っていた。ぼくは授業を終えると、傘をさして、アパートへと急いでいた。とけた氷がべちょべちょ傘に積もった。 濡れたブロードウエイの路面を、車のライトが照らしていた。

雨音と車の喧噪に混じって、キングの歌が漏れてきた。

キングはずぶぬれで歌っていた。氷の混じった雨粒が、情け容赦なく彼の体を叩いていた。

声をかけようとして、ぼくははっとした。キングの目はもうぼくを見ていなかった。虚ろな瞳が中をさまよっていた。白い液体が鼻から流れ、涎や雨水と混じって顔を泥沼のように汚していた。

キングの心はもうどこかよその世界へ行ってしまったのだ。

「アン・フォー・ゲッタ・ボー」

切れ切れの歌で、キングの吐く息も細切れになって白く凍った。

いたたまれずに、ぼくは無言でその場を去った。背中の後ろから、歌が追いかけてくるようだった。ぼくは走った。逃げるように走った。

みぞれは何日か降り続いて雪になった。窓の外が真っ白になった。雪はしばらく降り止まず、ぼくは外に出ることができなかった。ぼくは誰にも会わずに部屋でFMラジオを聴き、教科書を読んですごした。味気ない日々だった。

雪が止んで久しぶりに晴れた日、ぼくはキングのいた場所へ行ってみた。 キングはいなかった。スーパーの前に積もった雪を、色の浅黒い男がシャベルで片づけていた。なにかスペイン語でぶつぶつ言いながら。

それ以来、ぼくはキングの姿を見ていない。ホームレスのシェルターに収容されたのかもしれない。病院に運ばれたのかもしれない。あの雪の夜、肺炎で死んだのかもしれない。

死んだ?

ぼくは頭を振った。 4年前のあの時と、少しも変わらない風景が目の前に広がっていた。

ぼくはキングが歌っていたあたりに立ちつくして、白く乾いた歩道の路面をじっと見つめた。

相変わらずスーパーは繁盛している。バックパックを背負った学生が出たり入ったりしている。 が、あの歌声も、ホームレスたちがコップの小銭を鳴らす音も、もう聞こえない。

ぼくは思った。パズルの最後のワン・ピースが抜けているように、何か大事なものが欠けている。何かはよく分からない。が、それが欠けているせいで、風景はひどく嘘っぽく、白々しく映る。

ぼくはたばこに火を付けた。

また日が暮れようとしていた。ハドソン川の向こうに、太陽が傾いている。

そろそろ帰ろう、と地下鉄の駅に足を向けたときのことだ。

「アンフォーゲラボー」

あの歌がどこからか聞こえたような気がして、ぼくははっと振り返った。

キング?

どこにいる?

やっと小銭が用意できたんだ。

ぼくは元気になった。 帰ってきたんだ。

いくら見回しても、どこにもキングの姿はない。 煉瓦建ての高層アパートが、ぼくを見下ろしていた。

自動車のクラクションや道行く人々の喧噪に混じって、開け放たれた窓のどこかから、ナット・キング・コールの歌声が流れていた。誰かがラジオかCDを鳴らしているらしい。

アパートの窓に、灯が点り始めていた。 ビルの谷間のマンハッタンは日が落ちるのが早い。空気が少し冷たくなってきた。

ぼくはジャンパーの襟を立て、たばこの火を踏み消した。

ぼくはもう行かなくちゃ。

バイバイ、キング。

シー・ユー・アゲイン。

(98.10.13)

 

(もうひとこと)

4年前、ニューヨークはホームレスだらけだった。地下鉄の駅ひとつに5,6人は必ずいた。

ただでホームレスにカネを恵んでやるほどニューヨーカーは甘くない。また、ホームレスも、何もせずにカネをねだるようなプライドの低いことはしない。同業者の数が多いから競争も激しい。だから、みんな様々な「芸」を披露する。

いきなりブレイクダンスを踊るやつ。バケツを逆さに並べて見事なドラミングを披露するやつ。ニューヨーク市のホームレス政策はけしからん、と演説をぶつやつもいた。

地下鉄の車両にも時々そういう連中が現れる。自分が無くした眼鏡が奇跡的に戻ってきたとか何とかで、キリストの愛と奇跡について延々と演説するオッサン(演説が終わると乗客の前にカップ突き出してカネを要求する)。

手すりに捕まって、踊りだかなんだか分からないようなクネクネした動きを一生懸命披露する兄ちゃんもいた。下手だけど、あまりに一生懸命なのでつい小銭を恵んでやってしまったりする。

クリスマスシーズンだったと思うが、3人組のアカペラ・ホームレスというのも見た。クリスマスにひっかけたジョークを飛ばしつつ、「滑らないで、転ばないで、食べ過ぎないで」と完璧なハーモニーで歌うのだ。これは最高だった。あまりにうまいので、無愛想だった地下鉄の客が一斉に拍手をしたくらいだ。

なんでそんなにうまいのにホームレスなんかやってんだ、と小銭を投げるついでに聞くと「ショウをやっていたクラブがつぶれたんでヒマなんだ」と言っていた。

4年が経って、ニューヨークは好景気である。ホームレスもほとんどいない。やる気さえあれば、職があるのかもしれない。 東京に比べればそれでもまだ多いが、4年前に比べると違う街のようだ。

いても、芸なんてやらない。ぼさっと突っ立って「チェンジ・オアフード、プリーズ」とぶつぶつつぶやいている。

仕事ができないくらい心や体を病んだホームレスくらいしか、もう残っていないのだろう。

タイムズスクエアは大規模な再開発が行われ、ポルノショップやストリップ小屋など「いかがわしい」店がほとんど姿を消してしまった。街娼もぜんぜんいない。代わりにぴかぴかのミラーガラスのビルディングが建ち並び、確かに見た目はかっこいい。

でも、なんだか嘘っぽい。白々しいのだ。いかがわしいもの、汚いものを捨ててしまった街は、どこか嘘臭い。「私は排泄行為をしません」と言い張る人間みたいなもので、不自然なのだ。

ニューヨークは世界一の金持ちと世界一の貧乏人が同じストリートですれ違う街だったはずだ。見た目は汚くてみっともないのだけど、社会の矛盾というものを素直に見せる姿は自然だった。

勝者と敗者。栄光と悲惨。繁栄と没落。 どちらも、ぼくと同じ人間だった。生身の人間の姿そのものだった。

「これが私よ。文句ある?」

街がそう言っているみたいだった。 ぼくはそんなニューヨークの方が好きだった。

(98.10.16)





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