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■この世界に、つめきりのない家ってあるのかな■

 

 

 ぼくはときどき、とてつもなくくだらないことが気になる。

 気になり始めると、そればっかり考えている。思考がぐるぐると、イヌが自分のしっぽをおいかけるみたいにそこばかり回って、気がついたら、ぽかんと口をあけたまま10分くらいたっていた、なんてことがよくある。

 それも決まって、ひと様のお役に立つこととか、お金をもうける妙案、なんてのはひとつもない。ことごとく、役に立たず、くだらなく無益な内容なのである。

 たとえば最近、考えた。窓ぎわのいすに座って、ぷちぷちと足のつめを切っていたとき、ふと考えた。

「この世界に、つめ切りのない家ってのはあるのだろうか?」

 いま地球上に何人の人間がいるのか、よくしらない。いつも見るたびに数字が増えてるしね。

 60億くらいなの? うん、まあ60億としよう。とすると、もしかするとその中には「つめのない人」とか「つめの伸びない人」なんてのもいるのかもしれないが、まあ多くの人はつめがあって、それは伸びるのであろう。つめが10センチとか伸びては、ごはんを食べたりするにも不便なので、まあ切るか削るかする。そう仮定してさしつかえなかろう。

すると、この世界、ヒズボラだろうがニューギニア高地民族だろうがパリジャンだろうが、全人類はみなひとしくつめを切るのではないか。

ぐわわ。これって実はすごいことじゃないのか。ぼくは「ユーレカ!」と叫んで裸で街を走ったりはしなかったけれど、初めてこのことに気がついたときには、なんだかすごい大発見をしたような気がしてコーフンした。

ということはだね、全世界、どんな民族でも文化や言語の違いにかかわらずつめ切り道具は持っているはずだ。日本でおなじみの「プレス型」みたいなタイプのほかに、欧米には「ペンチ型」(つまり電線を切る工具のペンチね)みたいなのも厳に存在する、というのはアメリカで見たので知っている。やすりで削る民族もいるかもしれない。

 すごいなあ。やれ民族対立だ、それナショナリズムだ、ほれエスノ・セントリズムだと大騒ぎしているくせに、人間なんて、みんなつめを切るという点ではみんな一緒なのだ。

 日々、細胞分裂し、新陳代謝していくという点では60億人みんな一緒なのだ。

 こりゃあおもしろい。そういう「つめ切り道具」を世界各国から集めた「つめきりミュージアム」なんてのは、ふるさと創成運動、町おこしとしていかがであろうか。いやね、ぼくはマジメに言っているんですよ。

「全世界つめ切りコンファレンス」などというものが開かれてもいいのではないか。それぞれの文化が「のびたつめ」にどう対処しているのか、あるいは歴史的にどう対処してきたのか、語り合う国際会議。こりゃおもしろいぞ。ぼくだったら最前列で傍聴するね。

 いやいや、競争好きの日本人やアメリカ人ならば「つめ切り五輪」などすぐ国際組織化し、スポンサー企業を見つけてくるくらい難のないことだろう。「右足親指・男子団体」などと、各国がつめ切りのわざを競い合うなどというのがあってもよろしいのではないか。少なくともだね、同じ競い争うのなら、バグダッドを空襲したり、スペインの地下鉄を爆弾でぶっ飛ばしたりしているよりは、ずっといい。そうでしょう?

 同じロジックでいえば、「耳かき」でも同じことができるのではあるまいか。日本でいうあのスプーン状の「耳かき」という道具は、どうやら中国、コリア、日本など東アジア固有の道具であるらしい。これは竹の植生と関係があるのではあるまいか。ベトナムかどこかには「路上耳かき屋」という専門職がいて、耳かきだけで客をイカせてしまうという話をいつか読んだことがある。

 アメリカのレイモンド・カーバーの短編小説「注意深く」は、別居した旦那を尋ねてきた女房が、旦那のたまり切った耳垢を取り除こうと奮闘するという、物悲しいような、笑えるような、妙な作品である。それによれば、どうやらかの国では「ベビー・オイルにひたした綿棒(Q-Tips)」というのが耳垢掃除の標準ギアであるようだ。

 ぼくが子どもだったころ、ドイツに旅した親戚が、メタル製の耳かきを土産に持ち帰ったことがある。直径5ミリもない小さなメタル盤を、1ミリほどの間隔で並べ、銀メッキの棒で貫いたありさまをご想像いただきたい。この溝に耳垢をひっかけ、取り除くのである。耳内を痛めぬよう、驚くべき精巧さで各部の角が丸めてあったのが強く記憶に残っている。さすがはマイスターの国と感心したものだ。

あ、使い心地はというと、耳に入れるとヒヤヒヤと冷たく、やはりあの竹のミニスプーンのあたたかみに慣れた民族には、何かちょっとちがうんじゃないか感が残りましたが。

 うん。どうやら「耳かきミュージアム」は成立しそうな気配である。そうなると「世界耳かきカンファレンス」「国際耳かき技能五輪」も夢ではあるまい。

 宗教史に暗いぼくは、なぜカトリックとプロテスタントが同じキリスト教徒でありながらあれほど血で血を洗う抗争の歴史を繰り広げたのか、さっぱりわからない。

東アジア人であるぼくから見たらほとんど同じに見えるアイリッシュとイングリッシュがあれほどの差別の歴史を重ねたのか、よくわからない(いやもちろん、その文化差の存在は知ってるよ)。

 いやいや、よそ様のお庭を難ずるまでもなく、なぜ日本人と韓国人と中国人がお互いをののしり合い、見下し合うのかよくわからない。

 どうせ、みんなつめ切るんじゃん。耳あか掃除するんじゃん。人間なんだし。

 どうしてそういう共通点を先に見ないで、差違ばかりをあげつらっているんだろうね。ぼくたちは。

(2005.10.21)





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