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■ぼくは酒が飲めない■
で、なんでこんなに疎外されなアカンのじゃ

 

 

 ぼくは酒が飲めない。

 どれぐらい飲めないかというと、ビールをコップに一杯飲んだだけで気を失ってしまうくらい飲めない。日本酒かワインならオチョコ一杯で倒れる。それだけではない。全身にジンマシンが出て、万力で締めつけられるような頭痛にのたうちまわるのだ。

「あなたの体には、アルコールを分解する酵素がまったくありません」

 何年か前、ぼくの体を調べた医者はそう言った。ぼくはそのころ新聞記者だった。この仕事ほど、社内外の人と「酒席を同じくする」ことが業務にとって重要な仕事もないんじゃないだろうか。酒が飲めないと仕事のつきあいにも入れないので、困り果てて病院で検査してもらったのだ。

 普通の体の人は、体内に入ったアルコールを酵素が分解する(胃から出るのだそうだ)から、脳や心臓には飲んだアルコール量のうちほんの少ししか回らない。だから量を飲まないと酔わないのだが、ぼくの場合は、分解されないアルコールが、そのままストレートパンチのように脳や心臓を直撃するわけだ。

「だから、ビールコップ一杯でも、あなたにとってはウォッカのストレートをジョッキで飲んでいるようなものですよ」

 医者はそう告げた。あなたの年齢では(何て悲しいせりふだ)心臓が止まったり脳の血管が破裂したりする可能性もありますから、アルコールは危険です。そうも言った。

 これは「ウガヤさんって、お酒に弱いんですネ」なんていうかわいいレベルじゃない。ぼくはアルコールアレルギーなのだ。酒は毒薬も同然なのだ。

 そう言われて思い出した。大学に入った直後のサークルかなにかのコンパで、日本酒の一気飲みをやらされたことがあった。あれはひどかった。むせ返って、途中で鼻から日本酒を吹くくらい急に飲んだのだから、もう、たまらない。宴会場の畳と天井がレコード盤のようにぐるぐる回り始め、狂乱するサークル連中がぼんやりとかすんできたかと思うと、そのままばったりとその場に倒れてしまったのだ。

 気がつくと、ぼくは家の居間に寝ていた。誰かがぼくの頭をボール代わりにゴルフのスイングでも練習しているのかと思うような激しい頭痛。内臓が出てくるんじゃないかというようなひどい吐き気。便器を抱くようにげえげえ吐いた。それが翌日も延々と続いた。

 後で聞くと、意識を失ったあと、ぼくは起き上がって暴れ始めたそうだ。「アホンダラ、おれに酒なんか飲ませやがって」と先輩につかみかかり、宴会場の赤電話のコードを引きちぎり、便器に放り込んだという。まったく痴態というほかないありさまである。

 あきれたサークル連中はぼくをタクシーに押し込み、家に送り返したらしい(当時は実家に住んでいた。だれがタクシー代を払ったのかいまだにわからない。たぶん母親だろう)。実家でも、ぼくは別れたばかりのガールフレンドの名前を叫んで泣きわめき、たまたま遊びに来ていた高校時代のツレに「ううう頭が痛い。内臓を吐きそうだ。おれがこのまま死んだらレコードは全部やる」と「遺言」まで口走っていたという。19歳のバカ者、いや若者とはいえ、一体何をやっているのだ。自分の体質も知らないものだから、ムチャクチャをやっていたのだ。

 が、まあ、怪我の功名といいますか、これで「自分は酒に弱いのだ」という自我意識が芽生えたので、以降酒には近寄らないことにした。

 ところが、これがぼくの人生に多大な影響を与えることになるのだ。

 男同士が仲良くなる、いやもっと重要なことに、世の中では、オトコとオンナが仲よくなる場面というのはだいたい酒の席なのではあるまいか。近づきたい相手に「今度、飲みに行こう」と誘うのは定石ではないか。そしてほろ酔い気分でつい警戒心のゆるんだ相手、あるいは酔って理性的判断を失った相手に×××というのが世事ではないのか。だから新宿であれ渋谷であれ飲み屋街の後背地にはかくも多数のラブホテルが控えているのではないか。

 ぼくは、人生この方、そういう世界からまったく疎外されているのである。

 市井の人々がごくふつうに経験する「酔って口説く」という行為に、足を踏み入れたことがないのだ。「酔った勢いで押し倒しちゃった」とか「ごめん、酔ってやっちゃったけど、ナシにしよう」とか「飲んでタクシーで送った帰りに彼女のアパートで××に及んじゃった」なんてうらやましい、いやちがったフシダラな行為は、生まれてこの方無縁だ。。

 だから、ぼくは必然的にモテない。おまけに先天的に強度の恥ずかしがりでもあるので、女性を口説くなんて、アフリカゾウに棒高跳びをやらせるくらい不可能だ。

 別に女性だけが問題なのではない。同僚や取材先に「ウガヤさん、今度飲みに行こうよ」と誘われたとする。相手はこちらと親交を結びたいという意思を示してくれているのである。

 ところがぼくが「酒が飲めないんですが、いいですか」と言うと、だれもが「あっそうなの。ごめんごめん」と言っておびえたように逃げてしまうのだ。酒が飲めない人間なんて地球上に存在するわけがない、そう言っているのは親交を拒絶しているのだ、ととるらしい。「いや、酒はダメですがお酒の席は好きですから行きましょう」とこちらは必死で食い下がるのだが、今度は「いやいやいやいや、おれ一人だけ酔っているのも悪いしさ」と遠慮し始める。なぜ自分だけ酔うのがいかんのかさっぱりわからんのだが、とにかくそう言って逃げてしまう。あるいは「ええっそうなの。酒飲めないの」と露骨にがっかりした顔をする人もいる。

 さらに困ったことに、ぼくは大酒飲みに見えるのだそうだ。そういう顔つきなんだと人はいう。ていうか、大酒飲みの顔つきって、一体何なんだよ。まあ、いい。ぼくは生まれつき敏感肌なので、確かに肝炎患者みたいに肌が荒れていることはある。でも「いやあ、ウガヤさんならバーボン一本くらい空けると思っていました」と言われたときは、人間というものはつくづく他人を理解せんもんだと絶句した。

 世がワインブームとかで、やれなんとかプリオンだ、シャトーかんとか、ボージョレかんたら、だとか騒いでいても、ぼくにはさっぱりわからない。メニューが100種類くらいあるカクテルバーに行っても、隅の方に5つぐらいあるソフトドリンクから「ウーロン茶を」と言うのが関の山である。

「何になさいますか」

「は、ウーロン茶を」

「ウーロンハイですね」

「いや、あの、ただのウーロン茶なんですけど」

 そう言ったときの、あの店員の、ちょっと軽蔑したような、落胆したような(だいたいソフトドリンクはアルコールより安いしね。悪いすね)視線。あれがまたぼくを責めるたてるのだ。お前、飲み屋でウーロン茶なんかオーダーすんじゃねえよ、と。

 そんなとき、ひどくさびしく、悲しい。

 まったく困るのは、最近は食い物屋の店員さんに日本語を母国語としない人たちが増えたことである。いや、別に外国人排斥だとかサベツだとか、そういう話じゃない。彼ら、よくオーダーを聞き違えるのである。

 あるとき、仲のいい友だちと、ホルモン焼き屋に入った。彼はチューハイを頼み、ぼくはレモンスカッシュをオーダーした。グラスに注がれたイエローな液体をぐいと飲み込んだ瞬間、ぼくの体に電流が走った。

 これ、レモンスカッシュじゃなくてレモンチューハイじゃないか。

「ヤバい!」

 ぼくは叫んで立ち上がった。パニックするひまもなかった。目玉が飛び出すんじゃないかというくらい拍動が上がってきて、顔がぐわっと熱を帯びたところまでしか、ぼくは覚えていない。ぼくは意識を失ってしまったのだ。気がついたら、ぼくは店の前のベンチに寝ていて、店員さんが申し訳なさそうな顔でウチワでぼくをあおいでいた。そんなことが2回くらいあった。

 こんな調子である。当然、かっこいいバーなんて、全然知らない。「おれ、大きな仕事が成功した夜は必ずこれをオーダーするんだ」とかなんとかカッコつけるカクテルのひとつもない。ええカッコできんのである。

 酒席に招かれないのだから、当然仲間も増えない。会社員時代、ぼくが社内の人事やうわさ話にまったく暗かったのは、同僚が酒の席にまったく誘ってくれなかったということが大きいと思う。ぼくだって行きたかったのだ。でも飲めない人間が「飲みに行こう」とは言えんじゃないか。

 だから、ぼくは会社員時代、同僚の友人が極端に少なかった。もともと、会社は友人をつくる場所じゃないと思っていたこともある。でも、それも今から思えば、酒が飲めれば少しは違った考えをしたんじゃないかと思う。社宅の奥様族の井戸端会議みたいな社内のうわさ話が嫌いだったということも、もちろんあるのだが、酒に酔っていればそれも我慢できたかもしれない。

 大学でも会社でも、ぼくは孤独だった。酒を間にはさんだコミュニケーションというものから、まったく疎外されてしまったのである。孤独でうれしい人間なんていない。ぼくも本心を言えば、そうだった。

 酒が飲めない。たったそれだけのことで、これほどまでに不適応を起こす。それが日本のサラリーマン社会なのだ。ぼくは自分が「同僚とのチームワークで仕事を達成するタイプ」ではないことに早くから気付かざるをえなかった。何から何まで自分でやらないといけない。気が済まない。そういうタイプになってしまった。「まあ、いいじゃない」と最後はいい加減に済ませることができなくなった。同僚は、ぼくのことを、堅苦しい、仕事しか頭にないイヤなヤツだと思ったことだろう。

 まあ、いいこともたまにはある。同僚が酒を飲んでいる間ずっと仕事をしているので、人よりたくさんの仕事をこなすことができた。意識が覚醒している時間が長いので、人よりたくさん本が読めた。たくさん文章が書けた(だからこんなウエブサイトまでやっている)。こちらの方が生産的だが、どうしようもなく孤独だ。

 なにかとても苦しいことが起きたとき、酒で気を紛らわせることができないというのも、実はつらい。逃げ道がないのだ。覚醒した意識のまま、まともに苦しみと対峙しなくてはならない。思考だけが、自分の尾を追うイヌのようにぐるぐると巡り、めまいがしてくる。そういうとき人は何らかの薬物に依存せずにはいられないようで、ぼくは重度のニコチンとカフェイン中毒になった。たばこを一日に30本吸い、コーヒーを10杯飲んだ。胃がズタボロになって血を吐いた。

 「酒なんて、飲んでいるうちに強くなりますよ」と言われて、無理して飲み続けたことがある。が、これも悪質なウソだった。飲んでも飲んでも、激頭痛と嘔吐、ジンマシンのあげく気絶というパターンはまったく変わらなかった。「酒に強くなる鍛練」なんて、ぼくにとっては、くじ運が強くなるように練習するのと同じくらい無意味だ。一体誰だ、あんなあほな俗説を広めたヤツは。

 ぼくの友だちの編集者に、ビールかホッピーを飲むのが人生最高の幸せ、という人物がいる。本当に、あんなにうまそうにビールを飲むやつをぼくは見たことがない。

 オーダーして、ホッピーを待つ間の、彼の高揚した顔。グラスが目の前に置かれたときのキラキラした目。液体を流し込むときの、きゅうきゅうとのどが鳴る音。口をグラスから放したときの、あのため息。まさにエクスタシー。そんな表情。

 こんなささやかなことで、街のどこにでもあるもので、幸せになれる。そんな彼が、本当に本当に、うらやましい。

 ぼくは幸せをさがすのがひどく下手なのだ。気に入る本やレコードを探してああだこうだレコード屋を回ったり、カスみたいな本やハズレのCDに無駄金を使ったり、ベースギターを弾ける場所まで重い荷物をしょってバイクででかけたり、ぼくの「幸せ」は手間がかかってしょうがない。そして疲れる。ホッピー一杯のほうがずっと手軽だよ、まったく。

 全国の酒飲みのみなさん、ぼくはあなたが本当にうらやましい。

 ささやかなことで幸せになれる。そんな人生のほうが、豊かな人生に決まってるじゃないか。

 (2005.9.11 / 4861字)

 





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